新年度が始まり、自分の職場にも今年の新卒が入ってきました(大学の会のブログなのにこんな冒頭)。
最近東京も雨多くなりましたね。いよいよ雷雨になることも増えて、桜もそろそろ散るのが本格化する時期でしょうか。
青山キャンパスの5号館裏にある八重桜の木が個人的なお気に入りだったんですが、あの木もそろそろ花を咲かせる頃合いですかね。

さて、そんな時期ではありますが、前回の記事で言ったとおり、上げる予定だった記事のダイジェスト版を上げようと思います。
この先上げるのが確定している記事が12本ありますが、そこにプラス、もう14本上げる予定がありました。今回の記事では、その14本の記事で使う予定だった写真をそれぞれ1枚ずつ上げて、その記事の内容を大まかに紹介していきます。なお、ほとんどがバス記事の予定だった(2本ほどそうでもないのもありましたが)ので、便宜上バスタグをつけます。それではどんどんまいりましょう。
・1:茨城北部バス巡り
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写真は茨城交通の水戸22あ1382(左)と水戸200か1132(右)です。どちらも前に記事で取り上げたと思います。水戸22あ1382は茨交最後の富士重6Eで、形式は日産ディーゼルP-RM81G。当初の廃車予定から1年以上生き延びましたが、残念ながら一昨年廃車されました。因みに茨交に統合された日立電鉄にいた6Eもすでに除籍済みなので、茨交から6Eは全滅しています。水戸200か1132は元神奈中の三菱ふそうKC-MP317Mで、茨交ではあまり多くないニューエアロスターです。この車、塗ホイールから銀ホイールに変わる車が多い中で、銀ホイールから塗ホイールに変わったという特異な変化をたどったようです。なお、最近また銀ホイールに戻されました。
さて、この旅は一昨年の8月中旬ごろに常磐線を北上していったもので、一度水戸に寄ってバスをしばらく撮り、そのあと高萩に向かって椎名観光バスを撮ろうと思ったんですが、まさかの休日運休。このことを知らず日曜日だったこの日に高萩に向かったために空振りに終わり、椎名観光の車庫のある十王で途中下車、車庫を見てから水戸に戻り、水戸でまたもやバスを撮って帰った旅でした。この時初撮影になった元尼崎市営のノンステエアロスター(KC-MP747K)の水戸200か1259や今は除籍になった椎名観光の元名鉄のエアロミディ(KC-MJ218F)の水戸200か943、茨交では貴重なU-UA系の残存車として有名な水戸200か424(U-UA440LSN)、今は関鉄バスに移管されたJRバスも記録できました。
行程:東京→水戸→高萩→十王→東京
・2:東海地方バス巡り18券旅1日目~浜松・大垣・岐阜編~
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写真は遠州鉄道の浜松22か2730です。遠鉄バスではあまり数が多くなかった三菱ふそうKC-MP317Mですが、遠鉄最後のツーステ車グループとして活躍を続けたグループでした。この時もツーステ車はこの車しか見ず、日野シャーシの7Eも1台残っていたようですが、見ることは叶わずでした。この車も一昨年頃に除籍され、その時点で遠鉄バスのツーステ車が消滅しました。
この旅は東海地区の未撮影事業者をひたすら撮りつぶしまくることを目的とした2日間旅で、ほとんど18切符を使った旅でした。一昨年の8月後半に行ったものでした。
1日目はまず浜松経由で浜北へ行き、今はなき浜松バスを記録、浜松に戻って遠鉄バスを撮影し、その足で大垣へ移動、名阪近鉄バスを狙ってから岐阜へ戻り岐阜バスを撮影、名古屋経由で多治見へ移動し、東鉄バスを撮影した後、宿をとった名古屋へと戻りました。今は全車が引退した名阪近鉄バスのセレガR(KL-RU1FSEA)の岐阜200か1875や名阪近鉄バス復刻塗装の元近鉄バスブルシチワンステ(KL-HU2PLEA)の岐阜200か1656、岐阜バスの旧塗装車や行灯付き車などを記録することができました。
行程:東京→浜北→浜松→大垣→岐阜→多治見→名古屋
・3:東海地方バス巡り18券旅2日目~三重・名古屋編~
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写真は三重交通の5809号車です。三重交通ではそれなりに見るいすゞKC-LV280Qの富士重7E架装車で、いすゞシャーシの長い7Eというのがかなり特異な存在ですが、三重ではたまに見ます。因みにこの車の前に付くコーポレートマークは古いもので、最近はこの車にバスマスクが付いているらしく、今はマークが更新されたかどうか確認できないようです。
上の旅の続きで、2日目は宿をとった名古屋から四日市へ移動、市内をうろつきながら三交バスと三岐鉄道バスを撮り、桑名に戻って三交バスと八風バスを撮影、名古屋経由で太田川へ移動して知多バスを撮りましたが、知多バスは1台しか撮ることができず・・・時間が許せば常滑に行けばよかったんですが、時間的に太田川になったのが惜しいところでした。そのあとは名古屋市内に戻り、栄バスセンターで名鉄バスと市営バスを撮ってから名古屋を離脱、豊橋で豊鉄バス、静岡でしずてつバスをそれぞれ撮りながら東京へと戻りました。今は離脱してしまった八風バスの元三交いすゞ7E(KC-LV380L)の1208号車や名古屋市営バスのエルガミオ(KK-LR233J1)のNMS-9号車、この時が初撮影だったしずてつのブルーリボン(U-HT2MLAA)の静岡22き2839、たまたま特定輸送をしていた鯱バスの新型レインボー(2KG-KR290J3)の113号車などを記録出来ました。
行程:名古屋→四日市→桑名→太田川→名古屋(栄)→豊橋→静岡→東京
・4:軽井沢と碓氷峠、前橋を巡って
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写真は草軽交通の2018号車(左)と2038号車(右)です。2018号車は元東急コーチの三菱ふそうKC-MK219Fで、珍しい観光マスクの短尺エアロミディとして、東急時代のカラーのまま活躍しています。置き換えの早い軽井沢地区ではすでに珍しくなったKC規制車ですが、まだ元気に活躍を続けているようです。2038号車は元神奈中のPJ-MS86JPで、元東急グループの草軽交通では珍しく、グループ外から来たエアロバスです。草軽交通標準の東急リムジンカラーをベースとした塗装ですが、通常地が銀のところを白塗りになっており、屋根には神奈中時代の薄青が残るという折衷塗装。草軽としてもかなり珍しい車です。
この旅は一昨年の8月末、横川の鉄道文化むらに数人で連れ立って行こうとするも、結局誰も来れなくなり、1人で行動することになった旅でした。まず最初に東京から安中を目指し、安中でボルテックスアークを撮影、そこから横川に出て、バスで峠を越えました。軽井沢に着いたはいいものの、合流できるかもと言っていたメンバーが結局来れなくなり、一人で横川へ戻ることに。横川で文化むらには入らずに横を散策し、そのまま電車で高崎経由で前橋に出て、結局前橋でバスを撮って東京に戻りました。この旅では京阪バスでは2台しかいなかったうちの1台が来たボルテックスアークの日デRN系(KC-RN210CSN)の高崎200か134やかつて渋谷駅前で大量に見かけた元東急トランセ代官山ループのリエッセ(PB-RX6JFAA)の草軽交通2037号車、日本中央バスの日デRM系(KC-RM211GSN)のM-1050号車などを記録できました。
行程:東京→安中→軽井沢→横川→前橋→東京
・5:東武電車代替バスと宇都宮のバス
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写真は関東自動車の宇都宮200か790です。元大阪市営バスのいすゞU-LV870Lで、キュービックの試作フルワンステ車という珍車。この形式自体20台と生産されておらず、都営バスと大阪市営バスにしか入らなかったという超珍車で、その中でも前後扉は大阪市営に入った2台のみでした。都営バスの個体は放出されませんでしたが、大阪市営バスの個体は2台とも北関東に移籍(関東自動車と関鉄バス)、そのうち関鉄バスの個体は残念ながら除籍されましたが、関東自動車の個体は未だに現役を貫いています。先月頃から宇都宮のバスは相次いで後乗り化される流れがありますが、この車もしっかり後乗り化されており、まだまだ元気なようです。
この旅は普通に行けば宇都宮にバスを撮りに行くのが目的だったんですが、JRの運賃が高いということで、東武電車を迂回して行くことにしました。一昨年の10月ごろでしたが、当時は東武日光線の栗橋~栃木間が川の氾濫により被災したため運休となっており、結果的に代行バスを体験することになりました。北千住から東武電車で北上、代行バスは南栗橋から乗れたので栃木までバスに乗り、JRと東武両方が被災して泥だらけになり、当時の爪痕が色濃く残る栃木駅を見ながら東武宇都宮線に乗って宇都宮まで移動、バスでJR宇都宮駅前に行き、そこで撮影した後JRで東京に戻る旅でした。この旅では貴重な両開き中扉を持つ関東自動車の元京急キュービック(U-LV324N)の宇都宮200か644や貴重なワンステ試作車で、先月惜しくも除籍されてしまった元川崎市営のいすゞ7E(U-LV324K)の宇都宮200か834、全国的にも非常に貴重な三菱7E(KC-MP217K)の栃木22う1053、白河から古河を経てやってきたJRバスの国鉄バス復刻塗装の元東急新7E(KL-UA452KAN改)のL538-02503号車などを記録できました。
行程:東京→栗橋→栃木→宇都宮(東武)→宇都宮(JR)→東京
・6:SUNQパス全九州4日間の旅1日目~長崎編~
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写真は長崎県央バスの5E14号車です。元県営バスの三菱ふそうU-MP618MTで、トップドアに長距離塗装を纏った長距離仕様エアロスターMです。個人的に県営バスといえばこのイメージが昔からあり、この色が旧標準色と勘違いしていたというわけですが、生で見るとそのかっこよさに圧倒されます。県営バスグループ内では最古参グループですが、まだ諫早などに向かう路線で元気に走り回っています。なお、このグループではこの年式(平成5年式)のみ銀サッシメトロ窓を採用しています。
この旅は久しく行っていなかった九州に、初めてバスをメインに行った旅で、九州島内と下関の域内完結高速バスを含む路線バス50社局近くが乗り放題になるSUNQパスを使って長崎、熊本、宮崎、大分を訪問した旅でした。1日目は東京から飛行機で長崎へ入り、バスで新地バスセンターへと移動、市内電車で長崎駅前に向かい、ずっと駅前でロケハンをしました。最後は県営バスターミナルから熊本へと高速バスで向かい、熊本に宿をとりました。この時熊本まで乗ったバスが、高速バスとしてかなり古参のKC規制セレガだったのにはびっくりしました。この日は県営バスグループ最古参として先月まで活躍を続けた、5E14号車の1年先輩の県央バスのトップドアエアロスターM(U-MP618MT)の4E16号車や県営バスの一般車としては最古参級のエアロスターM(U-MP218M)の7E24号車、貴重な県営バスのU規制エアロバスミドルデッカ(U-MS826P)の5E31号車、長崎バスの急行色が凛々しい元急行車のキュービック(KC-LV280N)の2001号車などを記録できました。
行程:東京→長崎空港→長崎→熊本
・7:SUNQパス全九州4日間の旅2日目~熊本編~
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写真は九州産交バスの熊本200か885です。元西武バスの日産ディーゼルKC-UA460KAMで、全国的にも非常に貴重なKC-UA系のノンステ車の生き残りでした。九州地区のみならず、少なくとも営業ナンバーを付けた車としては、関東以西で最後の生き残りでしたが、一昨年運用から離脱、去年に除籍され、貴重なこの形式もまた1台減ってしまいました。
この日は朝からずっと熊本でした。前日にICレコーダーをバスの中に忘れたため、受け取りに産交バスの車庫に行き、戻ってきた後は通町筋や水道町周辺でロケハン、一度熊本空港に行きましたが、再び水道町に戻ってロケハンした後、熊本城に登り、最後は桜町バスターミナルから宮崎へと高速バスに乗って宿をとった宮崎へと向かいました。この日は一昨年惜しくも除籍されてしまった熊本都市バス最後の元都営バス都市新バスブルーリボン(U-HU2MLAA改)の熊本200か315や阪東バスから熊本バスに来た特殊塗装の7E車体のブルーリボン、通称日野富士(U-HT2MMAA)の熊本200か574、空港連絡用として残存していた貴重な産交バスのU規制セレガ(U-RU2FTAB)の熊本22か2791などを記録できました。
行程:熊本(市内)→産交バス西部車庫→熊本(市内)→熊本空港→熊本(市内)→宮崎
・8:SUNQパス全九州4日間の旅3日目~宮崎編~
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写真は宮崎交通の宮崎22か933です。定期観光バス用のいすゞU-LV771Rで、全国的にも非常に貴重な前期型スーパークルーザーのスーパーハイデッカ―でした。同年式同仕様車が乗合転用されたりする中で、観光車として貸切登録で生き残り、ファンから注目されていましたが、先日遂に除籍されてしまいました。
この日は朝から宮崎駅前で少し撮った後、宮交シティに移動、そこでロケハンしたのち都城へ高速バスで移動、都城でも撮影し、宮崎に戻ってまた宮崎駅前でロケハン、最後は高速バスで宿をとった大分へ移動しました。因みに都城から宮崎に戻る際、最初は宮交シティに行こうとしたのですが、帰りの高速バスが迂回するというので宮崎駅まで乗ったという経緯がありました。都城では行き帰りU規制のエアロバスとスペースアローということで、古参車が大量に在籍する宮崎の底力を見ました。この日は2台導入されたうち生き残った方の1台である日デの西工58MC(P-UA33L)の宮崎22か866や貴重なP規制キュービック(P-LV214M)の宮崎22か873、かなり貴重になってきた日デの西工92MC(KC-RA531RBN)の宮崎22か1102、三菱ふそうの蓄圧式ハイブリッドであるMBECS-Ⅱとして全国的にも貴重な、鹿児島交通の元都営バスのエアロスターM(KC-MP637K)の鹿児島200か943などを記録できました。
行程:宮崎(市内)→宮交シティ→都城→宮崎(市内)→大分
・9:SUNQパス全九州4日間の旅4日目~大分編~
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写真は大分バスの12676号車です。大分バスでは大量に在籍する日野U-HT2MLAAで、大分バス名物の日野富士の1台です。P規制も1台残りますが、これは残念ながら撮れず。ですが、U規制車は大量に撮ることができ、1台には乗車も叶いました。
この日は朝から府内城を訪問した後駅前に移ってただひたすら駅前でロケハン、少しバスに乗って歩いて戻るだけをしました。そのあとは空港に向かい、東京へと飛行機で帰りました。この日は大分バス唯一のチャボ(KC-RM211GSN)の22192号車や4台導入されるも早期に路線バスから引退し、3台が越後交通に移籍した残りの1台で、最近は教習車として運用されるノンステエアロスター(KC-MP747K)の42147号車、国東観光バスの貴重な新呉羽車体の短尺エアロミディ(U-MK117F)のKF627号車などを記録できました。
行程:大分(市内)→大分空港→東京
・10:冬コミ急行C97編
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写真は東京都交通局のN-L794号車です。都営バスでは最後まで残った日産ディーゼルKL-UA452KAN改で、都営バスのL代の中でも最後まで残った車、つまり、都営バス最後のKL規制車でした。都営バスではその年度で消滅予定の世代は2月ごろには全廃となる例が多いのですが、L代は令和元年度消滅予定だったにも関わらず年度越えを果たし、6月まで現役を続けました。末期はこの車が走るというだけで沿線にカメラを構えた人たちが集まるという人気車両でした。
この回はいつも通りのコミケ急行で、1日目、3日目、4日目のバス(参戦は夏と同じく3・4日目のみ)を撮影しました。上の写真のN-L794号車も連日動員され、KL規制車としては最後のコミケ急行を盛り上げました。結局現時点でこのコミケが最後になっているので(C99も延期が発表されましたし)、結果的にこれ以降コミケ急行を撮る機会がありません。仮にこのサークルも参加が決定していたC98が開催されていた場合、N-L794号車も充当されたんでしょうか。1日目は京橋一丁目交差点でのみ、3・4日目はビッグサイトでのみ撮影しました(3日目に関しては有明駅手前でも)。
この回ではグリーンアローズサボを掲出した都営バスのエルガ(QPG-LV234L3)のS-X280号車や前面窓下の黒塗りが凛々しいブルリⅡ(PKG-KV234L2)のS-R635号車、青海連絡バスの乗務員休憩用に来た中日臨海バスのリエッセ(PB-RX6JFAA)の品川230う7202、今は除籍されてしまった、ちばフラワーバス最後のシーサイドライナーカラーだったセレガR(KL-RU4FSEA)の6208号車、バスコレのモデルにもなった茨城交通のセレガR(KL-RU4FSEA)の水戸200か396などを記録できました。
行程:省略
・11:SUNQパス全九州3日間の旅1日目~宮崎編~
P2090935
写真は宮崎交通の宮崎22か703です。宮崎交通ではまだかなり大量に在籍する日産ディーゼルP-RM81Gですが、この車が恐らく全体でも6Eの現役最古参の車となります。宮崎交通の全在籍車で見ても最古参級の車で、昭和61年式の6Eの中でも特に古い車です。この後ろには宮崎22か825が続きます。こちらも宮崎交通ではまだ多数派の日野P-RR172BAですが、残念ながらこの車は去年の秋に除籍されてしまいました。とはいえ昭和63年式ということで、これも去年の写真ですが、令和も2年目になるのに昭和年式のバスが2台続いてやってくるという結構な光景です。こういうのは今でもよく見られる光景で、宮崎の街のすさまじさを感じます。
この旅はSUNQパスを使ってバスを見に行った旅の2回目で、今回は去年の2月頭に全九州3日間券を使い、宮崎、福岡、佐賀を回った旅でした。1日目のこの日は飛行機で宮崎へ飛び、バスで宮交シティに移動、ちょっと見たり翌日のバスの予約をした後に市内に移動し、あとはずっと撮影でした。この日乗ったバスは、成田まで電車で行ったのもあって、P規制車とU規制車しかないという状況でした。
この日は空港からまさかいきなり乗れると思わなかった昭和年式P規制スパクル(P-LV719R)の宮崎22か846や宮崎交通全体でも最古参級のジャーニーK(P-LR312J)の宮崎22か712、1台のみ生き残った観光タイプブルリ(P-RU638BB)の宮崎22か901、貸切車から転用されたセレガ(U-RU2FTAB)の宮崎22か1003などを記録できました。
行程:東京→宮崎空港→宮交シティ→宮崎(市内)
・12:SUNQパス全九州3日間の旅2日目~宮崎・北九州編~
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写真は西鉄バス北九州の1148号車です。西鉄バスではそれなりに多かったいすゞKC-LV380Nで、貴重になった58MCの生き残りでした。本体からは流石に全滅した58MCですが、北九州にはある程度の数が生き残ります。とはいえ、除籍が続いているのも事実で、この車も去年の春に除籍されてしまいました。小倉駅前で58MCが見られるのも今のうちですね。
2日目のこの日は朝から宮崎市内で野球キャンプシャトルバスを含めて撮影をし、そのあとは高速バスで天神へ、そのまま乗り継いで小倉へ向かい、撮影をした後市営バスを狙って黒崎へ行くもほとんど撮れず、結局JRに乗り換えて折尾へ移動、この日はJRのダイヤが大幅に乱れてはいたものの、それでもバスに乗るより速かったので、さすがに市内移動は電車だな、と悟りました。折尾でも撮影し、そのあとは小倉に戻ってそこから終車近い高速バスで福岡市内に戻りました。この日は野球キャンプシャトルに充当されたホークスラッピングのP規制7E(P-UA33N)の宮崎22か894や数いる宮崎交通の6Eの中では少数派のエアサス車(P-RM81GR)である宮崎22か910、西鉄グループでも最古参の西鉄バス北九州の日デの58MC(U-UA440LSN)の6661号車、当時は唯一乗合車で生き残り、今は他の車とともに貸切車になった北九州市営バスの7E(U-UA440LAN)の503号車などを記録できました。
行程:宮崎→小倉→黒崎→折尾→小倉→福岡
・13:SUNQパス全九州3日間の旅3日目~福岡・佐賀編~
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写真は昭和自動車の0994号車です。九州ではそれなりに多いいすゞKC-LR333Jの西工58MC架装車です。佐賀にも58MCがいるということでぜひ撮りたかった車でした。佐賀市内では恐らく最後まで残った58MCで、方向幕が残ったことでも注目された車でしたが、残念ながら去年の夏ごろに除籍されてしまい、これで佐賀市内から58MCが消滅したと思われます。
この日は朝から博多駅前でロケハンし、そのあと姪浜へ移動、姪浜タクシーや昭和バスを撮ったのちに天神に戻り、天神で少しロケハンしてからそろそろ乗りたかった西鉄電車を使って久留米へ移動。ここでまたロケハンし、天神に戻ってから高速バスで佐賀へ向かいロケハンをして、そのあと佐賀空港から東京へ帰りました。この日は元大阪市営の赤バスだった姪浜タクシーのポンチョ(SDG-HX9JLBE)の福岡230あ793や今は除籍されてしまったらしい西鉄バスのいすゞの初期96MC(KC-LV380N)の1209号車、まさか福岡ではなく久留米で撮るとは思わなかった復刻塗装の96MC(PKG-RA274MAN改)の9429号車、新潟輸送からの移籍車で昭和バスらしい自家用中古のような車だった、これも今はなき日デの8B(KC-RM250GSN)の0169号車、今では佐賀市営バスでも最古参級の日デチャボ(KC-RM211GAN)の718号車などを記録できました。
行程:福岡(博多)→姪浜→福岡(天神)→久留米→佐賀→佐賀空港→東京
・14:信州の鉄道とバス、城を巡る旅
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写真は千曲バスの長野200か606です。自家用中古の三菱ふそうKC-MK219Fで、上田では最後の方向幕車でした。短尺であることも手伝ってかなり目立つ車で、側面幕はありません。銀サッシ2段窓に中扉2枚折り戸は千曲バスのプロパー車でもそれなりに多い形態でしたが、さすがに短尺車は数が少なく、かなり注目される存在でした。この車も千曲バスでも屈指の古参車であったこともあってか、新呉羽車体車が1台生き残る中、去年の末に除籍されてしまいました。
この旅は去年の2月中頃に所用で長野県内に行った際、軽井沢を基点に付近を巡った旅でした。軽井沢から小諸へ移動し、バスを撮ろうとするも本数が極めて少なかったため、小諸城を歩いてそのまま上田へ移動、別所線の被災現場を見学した後上田城を訪れ、そのあとは上田駅前でロケハンをしてそのあと軽井沢へ戻りました。ずっと115系に乗った旅で、初期信州色やスカ色にも乗ることができました。この旅ではJRバス関東から移籍した草軽交通のエアロバス(KC-MS829P)の2022号車や別所線代替バスとして運用中だった上田バスの東急中古V8エルガ(KL-LV280L1改)のI-032号車、千曲バスでも数少ない22ナンバー車であるエアロミディ(KC-MK219J)の長野22あ2355、碓氷線で使われる長い車体が特徴のJRバス関東のトップドア96MC(KL-UA452TAN)のM538-04406号車などを記録できました。
行程:軽井沢→小諸→上田→軽井沢
上の14件の記事をあげる予定でした。バスが主体のものがほとんどだったとはいえ、鉄道的にも面白いものもちらほらあったのですが、如何せんそこまでの時間的余裕がなく・・・もったいないですが、こういう形で紹介するにとどめておきます。

さて、ずっと悩んでた懸案をとりあえず片づけました。
この記事も当初の投稿予定より2週間延びました。この先も時間はかかりますが、とりあえずちまちま書いていきます。
それではまた。