青山学院大学鉄道同好会公式ブログ

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juillet 2018

暑い。
それはそれとして、7月は雑記のみになりました。是非もないよネ!
というわけで懲りずにバスの雑記です。あしからず。

今回のテーマは日本メーカーのスケルトンバスの歴史みたいなのを書きます。一応一般路線車限定です。一部高速路線車も取り上げるかもですが、あんまりそっちは考えてないです。
まあ勿論そんなにちゃんとしたのではないです。
それではまいりましょう。
まず、国内には基本的に4つのシャーシメーカーがあります(ありました)。三菱ふそう、いすゞ、日野、日産ディーゼル(通称日デ)です。このうち日産ディーゼルは、UDトラックスに社名変更ののち、トラック専業化、バス製造業を廃止しました。
一方、車体メーカーは基本的に5つ。三菱ふそう、いすゞ、日野、富士重工、西日本車体工業(通称西工)です。このうち富士重はのちにバス事業を廃止、その後、バス製造終了と直接の関係はないですが、社名をスバルに変更しています。西工は西鉄の子会社で、こちらは近年会社を解散しています。
そしてスケルトンバスとは、従来の航空機を作るような構造を採用して作られた、丸っこいモノコックバスではなく、その後に登場した角ばったスタイルのバスで、溶接を採用した軽量で開口部も大きくできるなど、大量輸送機関として理想的な構造です。現在国内で運行されているバスはごく一部を除いてすべてがスケルトンバスです。
ではメーカー順に見ていきましょう。
基本的には日デは車体がないので、分かりやすい車体メーカーで行きます。
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まずは三菱ふそうから。
三菱ふそうは昭和59年、それまでモノコック車体を採用していたMP系の車体をスケルトンに変更し、エアロスターとして発売しました。この時、形式をMP218/618とし、足回りも一新しています。
実は、先代のモノコック世代であるMP118/518にもスケルトン車がいました。都営の都市新バス用の車両などで呉羽自動車工業(現在の三菱ふそうバス製造の前身で、のちに新呉羽自動車工業に社名変更)のオリジナルのスケルトンボディを架装したり、中には西工や富士重のスケルトンボディを架装したものもいました。なお、西工や富士重のボディを架装したのは何もこのグループだけではなく、何なら他社製のシャーシでも架装することがあります。
三菱は比較的スケルトンボディの導入が遅く、他社がスケルトンに移行する中、ブルドッグと呼ばれた同社のモノコック最終モデルの製造を続けていました。
初代のエアロスターには2種類のモデルがいます。エアロスターKとエアロスターMで、Kは呉羽製、Mは三菱名古屋製でした。Kは若干ライトの間が離れており、ちょっとのっぺりした印象を受けます。Mはその点、かっちりしたデザインに思えます。
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これがエアロスターMです。結構角ばったような印象も受けますね。幕まわりの処理はちょっと古めに見えるでしょうか。
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一方こちらがエアロスターK。ちょっとのっぺりした感じが分るでしょうか。幕まわりはこっちの方が近代的に見えますね。
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さて、ではこの車はどっちでしょうか。勿論Mですね。ただ、この車はちょっと例外的な存在で、実は新呉羽製造扱いなのです。丁度三菱名古屋が新呉羽と統合される頃(この後若干の期間を経て三菱自動車バス製造に改称されるので、この間に製造された車がこんなことになります。なのでかなりの少数派です)に製造されたため、この辺りがごちゃごちゃになり、結果エアロスターMなのに新呉羽製という変な車が生まれました。
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また、こんな感じの車も存在します。形式こそMP618ですが、エアロスターMでも顔はエアロバスと言う車。こういう例(観光マスクの路線車という言い方をします)はたまにあり、他社や他メーカーでもごく少数ですが見かけます。勿論このグループもしずてつジャストラインでは8台しか導入されませんでした。
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また、この車は元都営バスの蓄圧式ハイブリッド車。尤も鹿児島交通ではその機構は使っていないようですが、こんな車もいます。
他にもノンステ試作車や都市型超低床車など時代に合わせて変化していきました。特に超低床車はかなり特徴的なマスクですが、導入例が限られており、その車も結局老朽廃車されたために、現在ではもう見られなくなっています。
さて、時は流れて平成8年、エアロスターはマイナーチェンジを受けて2代目になりました。エアロスターと言えばこの顔、という方も多いと思います。トミカやなんかでもこのタイプがエアロスターとして製品化されていました。時代は既にワンステ、ノンステの時代、このグループでも最初からワンステが、翌年からはノンステもラインアップされました。また、短尺のMMもラインアップされました。
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この車は初期の車で、初期はこういう風な前後扉車もいました。ただ、このタイプはノンステに向かず、神姫バスで試作車が1台出たのみに終わったため、その後は前後扉車は作られなくなっていきます。
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また、初期の車の中にはこういうタイプもいます。デンソー製の大型クーラーを最前部に載せたタイプで、初期のノンステ車などによく見られます。
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時にはクーラーがこんな位置にあるのも。西工車とかだと時々見ますが、エアロスターでもたまに見ます。
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増備が進み、大分見慣れた姿になってきたと思います。かなり近代的ですね。因みに、この頃にはこの見た目で日デという車がいます。形式を見るとMPではなくAPとなっているのですぐにわかりますが、見た目ではとても判断できません。これは三菱が日デのOEMとなっていたためで、それからほどなくして日デはバスを作らなくなりました。また、この世代ではオーストラリア向けに製造されたグループも存在します。
さて、平成26年、エアロスターはまたもマイナーチェンジを受けました。これによって前面デザインが一新され、印象ががらりと変わりました。
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基本的にはこの尺が多いと思います。先代から割とこのくらいだったでしょうか。
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ですが、時にはこんなに長いのも。特にこの世代になってからはこの尺が多い気がします。クーラーも小型が多くなりました。
勿論2代目に移行してからも多くの低公害車が出ましたが、この頃には低公害車が珍しくなくなっているので省略します。
続いては中型車です。
昭和56年、54年から製造されていた中型車のMK116の車体が呉羽製のスケルトンボディに変更されて、スケルトン車が登場しました。その後、昭和61年にエアロミディの名前が与えられ、そして昭和63年にエアロスターに合わせた車体に変更されました。一部は香港でも運行されたようです。
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このグループはあまり長い期間製造されなかったこともあり、車齢の問題もあって現在あまり残っていません。
そして平成5年、バンパーにライトが設置されたデザインへとマイナーチェンジがなされ、以降はこのデザインで増備が続けられることになります。サイズによってMJ、MEなどの派生型も存在します。
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2代目エアロスターよりもずっと早くこのグループが出たので、二段窓グループもかなりの数存在します。最近は中古車でよく出てきますね。この世代でもワンステはいます。
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そしてエアロミディにもノンステ化の流れが。このスタイルになって、随分と近代化した印象があります。
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また、エアロミディMJのノンステ車では、こんな感じに後輪の位置が思い切り後ろにある特徴的な形態です。
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また、中型車でも大型車並みの車体長となる、所謂中尺ロング車も存在します。
その後、エアロミディは昨年、生産が終了しました。
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続いてはいすゞです。
昭和59年にそれまで生産されていたCJM系をフルモデルチェンジして、斬新なデザインで登場したのがキュービックです。フランスのPR100形を参考にしたと言われ、これまでの常識を覆すデザインで話題となりました。
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登場当初からこのデザインです。今でも古さを感じさせないデザインです。
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中にはこんな車もいます。沖縄の特殊仕様です。前面窓が思い切り上まで伸ばされたデザインで、観光マスクのようにも見えますが、観光車はキュービック似のデザインがいないので、これは特殊な例と言えます。
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その後、マイナーチェンジがあってこんなようなスタイルになりました。都市型の大型扉車で、ワンステ車の設定もありました。この車もワンステです。
のちにノンステや低公害車などの設定も出ましたが、このグループの方が特殊仕様なのか、他社への譲渡例が多くなく、譲渡された車も大半が廃車になっていて、もうほとんど目にできなくなっています。
また、新潟交通に新潟の特殊車両メーカーである北村製作所の製造した車体を架装した車もいました。特殊な見た目で、なまずの愛称で親しまれましたが全廃となり、現在1台が公園で静態保存されています。
そして平成12年、いすゞの大型車はキュービックからエルガへとフルモデルチェンジが行われました。車体スタイルや前面デザインなどが完全に変更され、新世代のバスとして各社に相次いで導入されました。
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この車は初期車ですが、あまり変化は分かりません。デザインなど、一応の完成をみたということでしょうか。
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これは最終モデルです。見比べてもほとんど違いはありません。ただ、近年は引き戸が採用されるのがほとんどなので、そのあたりの違いはあるでしょうか。
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中にはこんなモデルもいます。所謂トップドア車で、基本的に長距離路線バスに使われます。この仕様は他のメーカーにもあり、長距離路線のうち、高速をあまり使わなかったり、バイパスや国道などの一般道を経由する路線など用に導入する場合が多いです。JRバス(特に中国)では準高速バスとも呼ばれる形態です。
そして平成27年にはフルモデルチェンジが行われ、2代目に移行しました。構造的にはあまり先代と変更はありませんが、特に前面やリアのデザインが変更され、印象ががらりと変わり、シャープになりました。
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こんな感じ。各社がこぞって導入しています。日野車とのデザイン統一が図られて、見た目での判断が出来なくなりました。
さて、中型車に行きましょう。
昭和59年に従来から製造されていた中型車のCDM系がマイナーチェンジされ、ジャーニーKが登場しました。キュービックにも似た印象ですが、前面窓や幕まわりの処理に違いがあります。ジャーニーという車種自体はEやQなど何種類かありますが、その中でも中型路線バスはKとなります。
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これは初期モデルです。キュービックと同じく、最終モデルまであまり変化はありません。むしろノンステなどのバージョンがない分、こっちの方がさらに変化が少ないかもしれません。
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場合によってはトップドアもいます。鹿児島には割と多い仕様なようですが、そのほかの地域ではとんと見かけません(知らないだけだとは思いますが)。
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これがほぼ最終グループ。見た目の違いがほとんどないことがよくわかります。CNG車なども出ましたが、あまり多くはありません。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、エルガミオに変わりました。エルガの中型バージョンとも言うべき車種ですが、実はこっちの方が登場が早く、1年の違いがあります。勿論外観はエルガとそっくりで、エルガの幅と前後を詰めただけという感じがします。
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初期グループではツーステの設定もありました。この車がそのうちの一つで、ツーステの中ではかなり末期の方のモデルです。
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この車は打って変わって最終グループ。まあそんなに違いはないですね。ただ、上の車がツーステな分、こっちの方がちょっと近代的に見えるでしょうか。
そして平成28年にフルモデルチェンジが行われ、現行のデザインとなりました。日野レインボーともデザインが共通化されました。
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これがその新型車。これまでのエルガミオより少し背が高いようにも見えます。新型エルガなどでも言えますが、形状の凹凸が少なくなった印象を受けます。
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さて、それでは日野に行きましょう。
昭和57年、それまでモノコック車体を採用していたRE/RC系をスケルトン車体にしたRT/RU系が登場し、それまで観光スケルトン車で使われていたブルーリボンの名前が付けられました。ただ、RT/RU系はあまり製造されず、途中でHT/HU系へとモデルチェンジ、以降は大増備がなされていくことになります。
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初期の車は幕まわりの処理が古く見えますね。U規制に移行する頃にはこのタイプはほぼ作られなくなっています。
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その後になると、この様に近代的な見た目になります。ライトも角型になり、幕まわりの処理も新しく見えます。日野のエンブレムがありますが、新しい方のエンブレムですね。
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これの3扉だと、こんな感じになります。今一番3扉車が多く運行されているのは恐らく奈良交通だと思います。ここのは基本的にほとんどがKC規制のブルーリボンなので、これが標準仕様です。
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この世代ではノンステ車が出ました。都市部に導入されましたが、こちらも特殊仕様だからなのか、譲渡例はほとんどなく、今ではほとんどが鬼籍に入っています。
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また、電気ディーゼルハイブリッド車の走りとして開発されたHIMRは、今でも一部が残ります。特にアルピコでは運行する区間が高原だからか、環境に配慮したようで、まとまった数が今も走っています。
平成12年、ブルーリボンはフルモデルチェンジを受けてブルーリボンシティとなりました。前面デザインが大幅に変更され、印象ががらりと変わりました。
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このように、かなり斬新なデザインです。初期は結構折り戸車もいましたが、この頃には既に引き戸が主流です。
そして、平成13年にブルーリボンシティにもHIMRが設定され、平成17年、ブルーリボンシティハイブリッドとなりました。
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この車はハイブリッドになってから余り経っていない頃の導入ですが、基本的な仕様はその後の車でも変わりません。ブルーリボンシティ自体は平成17年で生産が終了しましたが、ハイブリッドのみは平成27年まで生産が続けられました。
平成17年、日野といすゞのバス製造が合弁会社であるジェイ・バスに移行したことを受け、統合車種であるエルガに合わせたフルモデルチェンジを行い、ブルーリボンⅡへと移行しました。途中のモデルからは前灯の形状が異なり、エルガが2段なのに対し、ブルーリボンⅡでは1段です。
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これは初期モデル。どう見てもエルガですが、日野の表記があるので何とかわかります。
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対してこっちは後期モデル。前灯が違うのが分かります。
そして平成27年、エルガがモデルチェンジを受けたのに合わせて、ブルーリボンもモデルチェンジを受けました。名前はブルーリボンに戻り、エルガとの違いが再び判らなくなっています。
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これがその新型。新型エルガとそっくりです。
続いて中型車です。
昭和55年、これまでモノコック車として製造されてきたRL系をスケルトンボディに変更し、日本初の路線型スケルトンバス、RJ/RR系が誕生しました。名前はレインボーと名付けられ、国内のバスに新しい潮流をもたらしました。
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初代(とは言っても一部改良型ですが)はこんな感じです。特徴的な丸い前灯を1つずつ付けた顔で、直噴式クーラーが思い切り前に付いているのも特徴です。このグループは若くても車齢が30年なので、一部しか残っていません。因みに大分バスなど一部には前灯4灯型もいたようです。
昭和63年にフルモデルチェンジを受け、デザインがかなり変わりました。
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この車は割合初期の車です。とはいえ、一度平成2年に少し改良が加えられた後のモデルではあります。
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この車は後期車。ワンステなので、結構印象が違います。マスクもかなり変わっていますね。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、形式がHRに変わりました。前灯などを中心にデザインが変更され、特にクーラーが最後部に移動したのが大きな特徴です。一部、いすゞエルガJとしてOEM供給されたものがあります。
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この車は初期のもの。中型の尺で、初期では割合標準で出ていました。
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ですが、のちにこの大型尺のみのラインアップとなり、以降はHRと言えばこの車体という風になっていきました。
平成16年、エルガミオとの統合車種化に伴ってレインボーⅡとなりました。ブルーリボンⅡと同じく、いすゞ車と見分けがつきにくくなっています。なお、平成22年まではHRも並行して製造されていました。
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初期のレインボーⅡはやっぱり見た目が完全にエルガミオ。見分けがつかないのもブルーリボンⅡと同じです。
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こう来ればやっぱりこういうデザインの後期型レインボーⅡ。統合車種で同じメーカーなだけあって、ほとんど同じです。
そして平成28年、こちらもマイナーチェンジを受けてレインボーに。
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勿論新型エルガミオそっくりです。統合車種化が進み、この先はずっとこうなようですね。
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さて、この後の2社は既に製造を終了している会社です。まずは富士重から。
富士重のスケルトン車は昭和57年に、これまで製造されてきたモノコック車である大型車3Eと中型車4Eをスケルトンボディに変更し、大型車5E、中型車6Eにしたのが始まりです。基本的に自社で車体を製造していなかった日デを中心に、基本4社すべてに架装しました。昭和59年にマイナーチェンジを受け、リベットの少ないボディに変わりました。
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この車は6Eの終期グループに当たります。ただ、前灯の形状などが割合古めなので、それよりさらに古い印象を受けます。小田急や琉球バスの5Eなどには角型前灯もいたので、ともすればそっちの方が新しく見えます。このグループももはや風前の灯火で、ともすれば2つ目RJより目にするのが難しいです。
昭和63年からは大型車が7E、平成2年から中型車が8Eに移行しました。それまでの丸みを帯びていたデザインからがらりと変わり、角ばっていてバンパーに前灯があるデザインになりました。
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この車は7Eの割合初期の車で、足回りは日野のものです。上の6Eと比べても印象ががらりと変わったのが分かりますね。
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こっちは8Eです。かなり小柄に見えます。
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8Eにはやっぱりロングもいます。かなり細長く見えますね。
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また、このグループにもかなりの小型車がいました。少し顔が違うこともあり、8Eグループとは言っても印象が大分違います。
平成12年、7Eの各部のマイナーチェンジが行われ、印象ががらりと変わりました。新7Eと呼ばれるグループとなり、ノンステ車としてほとんどが日デ車に架装されました。
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このように、同じなのは顔位といった感じです。心なしかどっしりとした印象も受け、幅が広く背が低く感じます。
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また、7Eの自家用や貸切用などとして、7Bが存在します。一部はこのように普通のトップドア車として路線バスで使われることもあります。なお、5Bや6B、8Bも存在しました。勿論そのグループも一部は路線バスで使われました。
富士重は結局平成15年を以てバス製造事業から撤退、主に行っていた日デの架装は西工に集約されました。
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続いて西工です。
昭和58年、これまで製造されていたモノコック車である53MCのマイナーチェンジを受け、スケルトンボディである58MCが登場しました。日デが多いですが、他の3メーカーのものもかなり多く存在します。
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このタイプはB-Ⅰと呼ばれるタイプで、前面窓が左右同じ高さです。因みに足回りは日野です。
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一方こっちはB-Ⅱと呼ばれるタイプ。前面窓の公式側側面寄り半分が少し大きくなっている仕様です。この車の足回りは三菱。また、前灯形状やナンバー高さが違いますね。こういうのは他の車種でも時折あります。
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また、この様に中型車もいます。この車は足回りが日野です。中型ロングもいますが、西鉄など限られた会社のみの導入でした。
平成8年、フルモデルチェンジが行われ、96MCが登場しました。近代的な見た目になり、前灯の位置などがバンパーに変わりました。また、基本的に西日本地区ばかりに納入されていた西工車ですが、この頃から東日本地区でもかなりの数が導入されるようになりました。
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この辺りはかなり初期の車です。尤も、西鉄ではかなりの数があり、結構全部同じように見えるので、違いがよくわかりません。
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これが最近の車。一応小改良がなされた後のモデルで、少し近代的になりました。
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中型車もいます。九州地区に特に多いように思えます。
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翻って中型ロングは結構いろんなところで見ます。これは九州ですが、元々都営バスの車。他にも京王やジャストラインなどでも見ます。
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また、高速仕様車も存在します。フロントマスクでこそ普通の96MCですが、側面は完全に高速車です。
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そしてその更に派生型、高速車でありながら一般車のシャーシを使ったもので、これも96MCの一員です。E型と分類されます。
昭和63年には実質の日デ車純正車体を登場させました。西工と日デが共同開発したもので、早い時期からワンステ車を開発していました。ただ、このグループはあまり数が多くなく、現在あまり見ることができなくなってきています。
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この車は割合初期の車で、デザインは96MCにも通ずるものながら、側面が2段窓というのが特殊な感じです。
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その後、マイナーチェンジがあり、こんな感じの車体になりました。この雰囲気のまま製造終了まで製造されたようです。
その後西工は平成22年を以て車両製造を終了、同年中に会社自体が解散し、消滅しました。日デはこれ以降三菱がOEMとして製造を担当することになりました。ですが、その日デも翌年の平成23年を以てバス製造事業から撤退しています。
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ここからは特殊な車両、そして小型車などをざっくり紹介します。
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まずはトヨタFCバス。燃料電池バスの国産初の量産車で、平成27年、都営バスに導入されました。一応車体はブルーリボンシティを基にしていますが、面影はありません。そしてこの後、さらに改良を加えた新車種であるSORAがデビューし、現在この2車種が都営バスの燃料電池車として運行しています。
次に三菱ローザです。この車は三菱のマイクロバスとして長い間製造されています。
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この車は昭和61年にマイナーチェンジが行われてできた3代目に当たります。3代目でも平成2年より採用されたデザインの後期型です。
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平成9年にはまたマイナーチェンジが行われ、4代目に移行し、現在でも製造が続いています。この車はその中でも割合初期のグループです。
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対してこっちは現行車種。フロントグリルなどが変更され、印象が変わりました。
続いて日野リエッセ。レインボーの中でも特に小型だったグループを改良してできた車種で、登場は平成7年です。マイナーチェンジを繰り返しましたが、基本的な仕様は変わっていません。
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このような小型車です。一部、いすゞのOEM車もいます。
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初期はこんなトップドア車もいましたが、のちに路線車は全中扉に統一されています。平成23年に生産中止となりました。
一方のリエッセⅡは、完全なマイクロバス仕様で、トヨタコースターとのOEMで製造されました。製造開始は平成8年です。
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ローザよりもかなり路線バスで使っている例が少ないですが、時にはこうやって使う例もあります。昨年マイナーチェンジを受け、2代目がデビューしました。デザインがよりシャープになっています。
最後に日野ポンチョ。平成14年より初代が半国産で製造されましたが、ミニバンのような外観でした。それを平成18年にフルモデルチェンジし、2代目が誕生、この世代より純国産になっています。
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最近各地で見るようになったポンチョ。どんどん導入されています。最近は電気バスなんかもある模様。なおリエッセの生産終了に伴って、路線バス用の小型車がポンチョに集約されました。
と、こんな感じでざっくりとした紹介でしたが、いかがだったでしょうか。今まで特に説明することなくバスのことを書いてましたが、やっぱり鉄道系のブログなわけですから、バスのことを知らない人も多いと思ったこともあって、ちょっとした解説記事を書きました。これによって、皆さんがちょっとでもバスの車種を見分けられるようになったらいいなと思います。

と、言うわけで今月最後の記事でした。
色々この夏もやることもありますが、そっちもぼちぼちやっていきます。
某アイドルのファッションリーダーTシャツが地味に欲しいです。
ではまた。
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もう7月、今年もあっという間に上半期が終わり、下半期に入りました。
先々週の大阪での大きな地震で、一時親戚の安否確認でワタワタしてました。
亡くなった方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

さて、そんな地震でもシートのスロープなどで注目を集めた阪急電車を今回はピックアップしていこうと思います。
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阪急電車は恐らく皆さんご存知であろう関西大手の雄(個人的な意見です)。
車体は阪急マルーン、車内の化粧板は木目調、椅子はゴールデンオリーブ色のアンゴラ山羊の毛織物。走っている地域も相まって、高級感の代名詞のような会社です。
路線は京都、宝塚、神戸の3本線と、京都線に千里線と嵐山線、宝塚線に箕面線、神戸線に伊丹線、今津線、甲陽線の支線があります。
元々現在の宝塚線と箕面線に当たる区間を箕面有馬電気軌道として明治43年に開業したのが始まりで、大正7年に阪神急行電鉄と改称、2年後には神戸線に当たる区間を開業させました。この時、日本で初めて電鉄の言葉を社名に採用した会社となりました。その後、昭和18年に戦時統合によって京阪電気鉄道と統合されて京阪神急行電鉄となり、戦後昭和24年に京阪が分離した後も社名は変わらず、更に京阪が子会社を設立して開業させ、のちに京阪の路線となっていた新京阪線も阪急側に残って京都線となりました。そして昭和48年、社名が阪急電鉄に変更されて現在に至ります。なお、現在の阪急電鉄は、阪急阪神ホールディングスに移行した際に新たに設立された会社で、当時の阪急電鉄とは異なります。
現在京都線と千里線(多客時の直通特急に限り嵐山線も)は大阪メトロ堺筋線に、宝塚線(日生エクスプレスのみ)は能勢電日生線(川西能勢口~山下間は妙見線)に、神戸線は神戸高速東西線(神戸三宮~新開地間のみ、神戸線の一部として運行)にそれぞれ直通しています。
現在私鉄各社が行っている沿線開発の先鞭をつけた会社であり、現在の私鉄の施策を初めて行ったのは恐らくこの会社であると思われます。
それでは路線を見ていきましょう。まずは京都線系統です。
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京都線は梅田~河原町間を結ぶ路線で、元々京阪の路線でありましたが、今では阪急を代表するような路線になっています。正式な区間は十三~河原町間で、梅田~十三間は宝塚線の複々線に乗り入れる扱いを受けています。これは元々正式なターミナルが天神橋(現在の天神橋筋六丁目、通称天六)であり、十三~淡路間が支線の十三線であったことに由来するもので、長らく十三までしか直通してこない時代もありました。のちに梅田に直通するようになり、新たに複線を増設して、現在の形になりました。そのためか、神宝線とは違い、梅田~十三間に中津がありません。
データイムの種別はJRの新快速とデッドヒートを繰り広げるフラッグシップである特急、準急、普通の3種別で、ラッシュ時はこのほかに通勤特急、快速急行、快速があります。基本的に通特と快急は特急の代わりに運転される種別で、同じ時間帯に走るというのはありません。通特よりも快急の方が朝早い、若しくは夜遅い時間帯の運転です。このほか、土休日の昼間には2時間ごとに特急を置き換える形で快速特急「京とれいん」が運転されます。
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特急の停車駅は梅田、十三、淡路、茨木市、高槻市、長岡天神、桂、烏丸、河原町で、通特はこれに西院、大宮を足して淡路を抜いたもの、快急は特急の停車駅に西院、大宮を足したものです。準急は梅田、南方、淡路、上新庄、南茨木、茨木市、高槻市から各駅で、快速は梅田から高槻市まで準急の停車駅であり、高槻市から河原町は快急の停車駅となります。快特は特急から茨木市、高槻市、長岡天神を抜いたもので、淡路~桂間をノンストップで走破します。このほかに多客時のみ設定される直通特急があり、京都線区間は十三~桂間を走ります。線内の停車駅は快特と同じです。普通は、データイムは梅田~高槻市間の京都線のみを走る列車のほかに梅田~北千里間の列車、堺筋線天下茶屋から来て、淡路から高槻市まで京都線を走る列車、そして京都線を全く経由しない天下茶屋~北千里間の列車があります。ラッシュ時はこの他の区間列車や河原町直通の列車も設定されます。
因みに、京都市内の地下区間は昭和6年に開業したものですが、当時国内では3例目、西日本地区では初の地下線でした。当時の駅名は京阪京都で、京阪神急行になってから河原町に延伸されるまでは京阪神京都を名乗っていました。
また高架化に際して、当時建設中だった東海道新幹線の高架を一時的に京都線が走ったことがあり、新幹線の高架を私鉄が走ったのはこの時と、ついこの間解消されたえちぜん鉄道の福井くらいでしょうか(えち鉄は三セクなので、厳密には私鉄ではない)。
西山天王山の駅は高速長岡京バス停に直結しており、高速バスに乗り換えることができるという珍しい構造になっています。尤も、西山天王山は準急までしか止まらないため、特急に乗った場合は長岡天神か高槻市で乗り換える必要があります。
続いては千里線です。
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元々千里山線として開業した路線で、北大阪電気鉄道として開業した当時、新京阪線はまだなく、京都線よりも歴史の長い路線でもあります。現在は天六~北千里間を結び、淡路で京都線と交差します。淡路はこの平面交差がダイヤ上のネックになっており、現在立体交差化をするために工事が行われています。これが出来れば、近鉄の布施や京急の蒲田のような巨大な要塞が出来上がります。既にかなり巨大な構造物が出来上がっています。千里ニュータウンの拡大と共に路線も延伸されてきたような路線で、吹田市中心部に行くにはこの線が一番便利です。
種別は普通と準急のみで、そのうち準急は堺筋線から京都線に直通する列車のみであるため、天六~淡路間のみを経由します。この区間にある途中駅である柴島は準急が通過するため、柴島は千里線で唯一、定期列車で通過列車が存在する駅になっています。
上記の通り天六はかつては天神橋として新京阪線の大阪側ターミナルで、昭和43年に堺筋線との直通を開始して地下化されるまでは立派なターミナルがありました。その当時のビルは地下化後も残り続け、平成22年ごろまで天六阪急ビルとしてその威容を示していました。
北千里には開業当初から自動改札が設置されていました。これは世界初の自動改札機で、国際的な賞も受賞しています。駅には今もそのレリーフが飾られています。
続いては嵐山線です。
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桂から分岐して嵐山に至る短い路線ですが、嵐山という京都でも有数の観光地を抱えるために、特に行楽期には多くの観光客で混み合います。各駅の有効長が6連のため、6連車までしか入線できず、臨時で運転される直通特急や嵐山直通の快速特急は全て6連車が充当されます。かつて一時期直通特急ほづ号に充当されていた大市交66系も、中間の2両を抜いて6連で運転されました。普段は6300系の4連車がのんびり走っています。この路線は京都線の名車が最期を迎える場所でもあり、2800系や2300系板車、古くは流線型で有名だった200系など、数々の名車がここで引退を迎えました。
種別は普段は普通のみですが、多客時には直通特急や快特も乗り入れてきます。ですが、線内は各駅に停まるので、あまり普通と変わりません。折り返しは桂行きの普通に充当される場合もあります。
戦前は複線でしたが、戦時中に不要不急路線に指定され、片方の線路がはがされて単線となりました。現在ではまた観光需要が高まっていますが、再び複線化する予定は今のところないようです。
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京都線は元々別会社であったこともあり、機器のメーカーや出力などに神宝線のものと違いがありました。神宝線が基本的に東芝製の機器を採用しているのに対し、京都線では東洋製の機器を採用しています。これは現在でも一貫して守られている慣例であり、今後も変わらないと思われます。また、3300系まではかつての附番方式にのっとって、車番が1から振られていました。阪急はかねてより車番を0から振っているため、特殊な例となっていました。ですが、これは5300系以降0から振るようになり、神宝線に合わせられました。元々高速路線として建設された京都線は、軌道線あがりの神宝線と異なり、開業当時から架線電圧が1500Vでした(神宝線は開業当時600V)。京阪と同じように、新京阪当時の新造車は2段窓を採用していたりと、妙な特徴があります。また、車両の寸法も違いますが、これは堺筋線に直通するために大市交に合わせて新規設定されたため、直通に対応し始めた3300系以降の車両となります。因みに、直通しない6300系や9300系もこの寸法に合わせられたため、幅が少し広く、神宝線で走るとのりばにぶつける可能性などがあるため、神宝線を走ることはできません。ですが、3300系登場前の各系列は神宝線も走ることができたため、2300系が神戸線を営業運転したこともありますし、2800系のさよなら運転でも神宝線を走っています。
京都線はその昔、名古屋への延伸計画がありました。その名も名古屋急行電鉄。大津を経由して、野洲辺りから滋賀の奥、永源寺を経て、石榑峠を越えて大安あたりから多度を経由して熱田に至る壮大な計画でした。そもそも新京阪時代だったので、自社だった京阪石坂線と接続をとるためか、膳所から浜大津までも計画されていたのも特徴です。因みに、新京阪線からの分岐点は今の西向日。ここから浜大津に至る大津線(そもそも京阪六地蔵線など、いくつかの計画をつなぎ合わせたものだった)を作り、その大津線の途中の膳所から更に名急を分岐させる計画だったようです。実際に寒冷地対応を施されて製造されたP-6形もいたそうです。
続いては宝塚線系統です。
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宝塚線は梅田~宝塚間を結ぶ路線で、元々軌道線から始まった路線です。そのためカーブが多く、優等種別でもあまりスピードを出せない線形になっています。とは言え阪急の始まりの路線、沿線には豊中や池田といった阪急が開発した高級住宅地が並び、ステータスの高い北摂地域を代表する地域となっています。伊丹空港へのアクセス路線としてモノレールと合わせて使われることも多く、また終点の宝塚にはこれも阪急が開発した宝塚の街があります。元々宝塚新温泉として開業した街ですが、現在は専ら宝塚歌劇団を中心にした街となっています。ただ、宝塚に行く場合、実は宝塚線の急行に乗るよりも神戸線の特急で西宮北口(通称西北)へ行き、そこから今津線に乗り換えた方が早く着くため、宝塚線ルートを使う人はそこまで多くありません。
種別は、データイムは急行と普通のみで、急行は宝塚行き、普通は雲雀丘花屋敷行きのため、雲雀丘花屋敷で当駅止めの普通から後続の急行が乗り換え客を受ける形になるため、種別に関係なく終着まで一番早く到着するダイヤが組まれています。かつては昼間に特急などが設定され、普通は庄内などで退避していましたが、現在ではデータイムの列車退避は消滅しています。ラッシュ時はこの他に特急日生エクスプレス、通勤特急、準急が設定されます。このうち通特は川西能勢口発梅田行きの片道のみの運行、日生エクスプレスは全列車が能勢電に直通します。
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停車駅は、急行が梅田、十三、豊中から各駅、準急が梅田、中津、十三、曽根から各駅です。日生エクスプレスは梅田、十三、石橋、池田、川西能勢口、(これより先は能勢電線内)平野、畦野、山下、日生中央で、通特は日生エクスプレスの川西能勢口より手前の停車駅に豊中を加えた停車駅です。と言うよりは、急行の川西能勢口より手前から蛍池を抜いたものですね。これは、かつて運転されていた通勤急行の停車駅と同じで、通急の代替として設定されたのが通特でした。なお、通急は宝塚まで走っていましたし、上下列車ともにありました。通特が設定された改正で、通急は急行に統合されて消滅しました。なお、かつては通勤準急も存在し、準急を名乗りながら急行と同じ停車駅でした。これは箕面直通の列車の種別を分けるためのもので、現在は準急に統合されてなくなっています。また、準急は阪急の優等で唯一中津に停まる優等です。
阪急の3本線の中では唯一、最高速度が110km/hに抑えられており、その結果、高速が出せない車両が多く在籍しています。特に6000系は、かつて神戸線にいた車も多いですが、神戸線の最高速度が115km/hに上げられた時に対処できなくなり、宝塚線にいた7000系と交換されてほとんどが転属したほどです。
かつて川西能勢口から国鉄の川西池田の駅前(川西国鉄前と言う駅だった)まで走る小さな電車がありました。能勢電の妙見線の一部でしたが、本線とは分断され、路面電車のようなサイズの、Z型パンタを載せた小さな電車が単行で、800mほどの区間を行ったり来たりしていました。
宝塚にはかつて保存車などを置いた博物館がありましたが、現在はそれらは全て正雀工場に移されています。
続いては箕面線です。
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現在箕面市内では唯一の鉄道で、行楽鉄道と通勤鉄道の両方の顔を持った路線です。石橋で宝塚線から分岐し、箕面に至る短い路線ですが、前述の通り宝塚線と同時に開業した、歴史の長い路線でもあります。石橋は通常5号線のみ使用しますが、ラッシュ時には3・4号線も使用します。これは宝塚線からの直通列車に対応するためで、5号線は有効長が4両ですが、3・4号線は8両となっています。またこのため、箕面線内各駅も有効長は8両となっており、普段は4連車が行き来している線なので、のりばが長く感じます。特に、箕面は両側にのりばのある頭端式の構造のため、のりばの入り口からかなり深いところまで電車が進む感覚が味わえます。また、箕面に着く直前に上り勾配があり、このあたりが山の入り口であることを実感させてくれます。
種別は準急と普通の2つのみで、準急も線内は各駅に停まります。上記の通りこの準急はかつては通準でしたが、前回の改正によって準急に統合されました。なお、次回の宝塚線の改正は来月7日と目前に迫ってきており、この改正によって箕面線の宝塚線からの直通列車は消滅、箕面線からの宝塚線直通列車も平日朝2本のみになるようです。これで、箕面線内から優等種別が消滅します。この改正によって、8連車運用がこの2本以外なくなってしまうのか、それともある程度残るのか、そこが気になります。
最後に神戸線系統です。
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まず神戸線は、梅田~神戸三宮間を結ぶ路線で、優等はかなりの列車が新開地まで直通するので、実質の運転区間は梅田~新開地間です。阪神間の3路線で最も山側を走っており、ここでも西宮や芦屋、六甲などの高級住宅地が並びます。駅間の長さも特徴で、並行するJRよりも駅間が長く、普通列車でも110km/hで飛ばします。それでも駅間に3分かかったりします。かつては山陽電車の須磨浦公園に直通しており、山陽電車も六甲まで直通してきていました。ただ、阪急側が8連、山陽側が6連だったため、三宮で分併の必要があり、結局阪神に直通運用が一本化されて消滅しました。なお、山陽電車の阪急三宮行きの普通列車は現在も折り返しを六甲で行っているため、山陽電車自体は今も六甲~三宮間で見ることができます。
種別は、データイムは新開地行き特急と三宮行き普通の2つのみ、西北で上下列車ともに接続するダイヤが組まれています。ラッシュ時には特急、普通のほかに通勤特急、快速急行、急行、通勤急行、準急があります。京都線と同じく通特と快急は特急を置き換える形で運転されることが多く、朝早くと夜遅くは快急となります。準急は梅田行きのみ、しかも今津線からの直通列車のみの運転です。
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特急の停車駅は梅田、十三、西宮北口、夙川、岡本、神戸三宮、花隈、高速神戸、新開地で、通特はこれに塚口を加えたもの、快急は通特に更に六甲を加えたものです。急行は梅田、十三、塚口、西北から各駅、通急は梅田、十三、塚口から各駅です。準急はなんと西北には止まらず、神戸線内初の停車駅は塚口となり、その後は十三、梅田と止まります。これは西北の今津線からの連絡線にのりばがないためで、構造的に止まれないためです。ただ、構造的に止まれるはずの武庫之荘にも止まらないので、通急より速く思えます。また、行楽期には神戸線からも直通特急が走っており、神戸線区間では快急と同じ停車駅となります。
上記の通り115km/hが最高速度のため、6000系などの110km/hまでしか出せない車両は宝塚線に転属しましたが、それでも5000系など残った車両もいます。普通列車は110km/hが最高のため、あまり支障がないので普通列車に専ら充当されますが、実は朝ラッシュ時の特急の最高速度は110km/h。この時ばかりは5000系なども特急に入ることができ、また、神戸線に唯一残った6000系である6016Fは増結車両であるため、ラッシュ時のみの運用となり、こちらも特急に入ることができます。
続いては今津線です。
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運転系統が西北で完全に分かれていることから今津~西北間が今津南線、西北~宝塚間が今津北線と呼ばれています。かつてはつながっており、今津から宝塚まで通しで運転されていましたが、西北での平面交差(ダイヤモンドクロッシング)がダイヤ上のネックとなり、さらにこれに邪魔されて神戸線の電車の増結が出来なくなっていたため、輸送力が頭打ちになっていました。そのため、平面交差が解消されることとなり、今津線は南北に分断されました。南線は短区間を3連車が行き来しますが、北線は6連車が運行されています。支線区の中でも、千里線と並んで車両のバリエーションが豊富な北線、趣味的にも面白い路線です。また、ワンマン化されている南線ですが、全区間複線であり、それも特殊なように思えます。
種別は、南線には普通しかなく、北線には準急と普通があります。準急は上記の通り神戸線への直通列車のみの運転で、線内では門戸厄神までの各駅に停まります。また、多客時には直通特急が運転され、停車駅は準急と同じになります。
途中の仁川には阪神競馬場が隣接しているため、競馬が開催されるときは神戸線から直通の臨時急行が運転され、仁川で折り返すため留置線に電車が入っているのを見ることもできます。
宝塚南口は宝塚ホテルの最寄であり、副駅名として宝塚ホテル前が設定されています。なお、北線の両端である宝塚と西北はそれぞれ、宝塚大劇場前、阪急西宮ガーデンズ前の副駅名が設定されています。
ここは3000系の板車の6連車が最後まで残っており、長編成の板車としては阪急最後の存在でした。それが3058Fであり、映画阪急電車では撮影にも使用されました。
南線の途中にはJRを乗り越える場所があり、そこはJRの複々線が長くまっすぐ伸びているのが見えます。線路の南側が今のところ空地になっており、かなりダイナミックに見渡すことができます。
続いては伊丹線です。
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塚口から分岐して伊丹まで走る路線です。平凡な支線に見えますが、実はかつて宝塚への延伸計画が存在しました。阪神が尼崎から伊丹を経由して宝塚に行く路線を計画したことに危機感を持った阪急が、宝塚まで伊丹線を延伸することを計画したものでした。結局阪神側の尼宝線が計画倒れとなり、阪急側の計画も自然消滅となりました。小さな支線区ですが、塚口の駅構内から駅の手前を除いて全線複線です。これは戦時中に輸送力増強のために複線化されたもので、伊丹という土地が当時より重要な場所であったのがよくわかります。種別は全列車が線内折り返しの普通です。
塚口の駅を出る場所に阪急では最も急なカーブがあります。半径60mのカーブは2両前の車両がくっきり見えるほどで、15km/hほどの低速でゆっくりと通過します。
伊丹駅は阪急の中で最も阪神大震災の復旧が遅れた場所で、震災から4年経つまで、南寄りの場所に仮駅が作られて営業していました。停車中だった2本の電車が駅の崩落に巻き込まれ、復旧がかなり遅れました。今回の地震で鉄道施設に大きな被害が出なかったのも、この辺りでの経験が活かされたんだろうと思います。
最後に甲陽線です。
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夙川から甲陽園へと向かう小さな支線で、今津南線と同じ車両が運用されます。阪急では最短の路線で、ワンマン運転が行われている単線の路線です。中間駅は苦楽園口のみで、この駅でのみ交換ができます。両端の夙川と甲陽園は単線のため、2列車しか同時に運転できない構造です。甲陽園はかつて2線ありましたが、平成20年に構内で脱線事故が起こり、それを機に片方を使用停止の上線路を撤去、のりばを広げて棒線の終端駅となりました。線内折り返しの普通のみが運転されます。
西北の駅と共に涼宮ハルヒシリーズの舞台となった路線で、甲陽園の駅も出てきます。テレビアニメ1期の時点ではまだ6000系が肩部アイボリーなしの単色時代だったため、単色の6000系が出てきます。1期では3連車ではなくもっと長い編成で出ていたようですが、2期か劇場版辺りからは普通に3連車になったようです。また、スピンオフの長門有希ちゃんの消失の劇中でも甲陽線に乗る場面があり、しっかりと阪急電車の車内が映っています。
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なお、車庫は京都線系統が正雀、宝塚線系統が平井、神戸線系統が西宮にあります。平井は駅がないのでわかりにくいですが、雲雀丘花屋敷から宝塚方に進んだ場所にあります。また、工場は正雀にあり、アルナ車両も併設しているため、リトルダンサーで有名な低床路面電車はここで作られています。勿論工場があるため、阪急の全車両の重要な検査や改造などもここで行います。救援車4050形、4250形も常駐しています。また、横には大阪メトロの東吹田検車場もあり、地名自体が摂津市阪急正雀と、完全に工場の街になっています。
続いては車両を解説していきます。
まずは3000系。
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昭和39年に登場した車両で、神戸線用の車両として登場しました。昇圧後のことを見据えて1500V単電圧車に容易に改造できる仕様の車として登場し、神戸線の主力として運用されましたが、9000系に置き換わり神戸線から撤退、宝塚線に行った編成も9000系に置き換わりました。箕面線、今津北線、伊丹線に残りましたが、箕面線では5100系や6000系に置き換わり撤退、7000系や5000系に置き換わって今津北線からも撤退して、残るは伊丹線のみとなりました。もういつ撤退してもおかしくない状況で、また6000系の改造などが進んでいるため、記録を早くしないといけません。4連車が3本のみ存在し、伊丹線で運用されています。
続いては3300系。
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昭和42年から京都線で運行されている車両で、上記の通り現在の京都線車両のサイズを初めて採用した車両で、京都線車として最後の車番が1から振られる系列です。登場当初から一貫して地下鉄に直通し、既に半世紀以上地下鉄直通車として活躍しています。初期車を中心に廃車が進んでおり、地下鉄運用から徐々に離脱をしているものの、リニューアル車を中心にまだまだ現役です。3000系列ではあるものの世代としては5000系の世代であり、台車なども5000系に近い仕様です。ただ、今となっては京都線唯一、本線系統でも唯一の菱形パンタ装備車であり、阪急としても貴重な車両となっています。現在7連8本と8連5本が京都線と千里線で運行されています。
続いては5000系。
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昭和43年から神戸線で運用されています。1500V昇圧後のデビューであり、元より単電圧車です。阪神大震災を機にパンタが交換され、その後もリノベーションに合わせて交換されたため、シングルアームパンタを載せています。全車がリノベーションを受けており、車内は新車同然、前面も改造され、スカートが付き、肩部にはアイボリーが入れられてかなりきれいな車両になりましたが、デビューから今年で半世紀を迎えた古豪です。一部5100系から編入された車両が存在します。最近は中間車を2両抜いて今津北線に転属する編成がかなり出ており、気づけば神戸線の5000系は風前の灯火となりました。現在6連6本と8連2本がそれぞれ今津北線と神戸線で運行されています。
続いて5100系。
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昭和46年から運用されている車両で、元々3本線共通仕様車として登場しました。現在ではほとんど宝塚線で運用されますが、実際に京都線や神戸線でも運用されたことがあります。また、試作冷房車5200系の試験結果を受けて導入された、阪急初の量産冷房車でもあります。共通仕様車として登場したものの、電動機の出力の問題などから結局宝塚線に集められることになり、現在に至ります。一部はリニューアルを受けています。最近は1000系の新製投入によって置き換わることが多く、宝塚線から箕面線や能勢電に転属する編成が多く出ています。現在4連2本、6連1本、8連4本がそれぞれ箕面線、今津北線、宝塚線で運用されています。なお、6連車の後ろ4両は伊丹線予備車となっており、4両のみで伊丹線に入ることもあります。
続いては5300系。
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昭和47年から京都線で運行されている車両で、京都線用では初の量産冷房車です(上記の通り、京都線では5100系の方が先)。5100系の車体を京都線用に改良した車両で、増備期間が長く、クーラーなどに違いがみられます。一部はリニューアルを受けており、登場時よりあまり変わらず運用されています。現在は7連7本と8連7本が京都線と千里線で運用されています。
続いては6000系です。
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昭和51年から運行されている車両です。5100系の足回りに2200系の車体を合わせた車両で、神宝線双方に配置された車両です。神戸線の編成は須磨浦特急にも主力として入っていましたが、のちに最高速度が110km/hまでしか出せないために宝塚線に転属していきました。初期の車両では一部、阪急初のアルミ車として製造されましたが、結局その後は鋼製車体に戻っています。のちに2200系から編入車がありました。宝塚線では主力として運用されており、一部はリニューアルを受けています。最近は1000系の導入によって離脱車が出はじめ、その編成が短編成化などされて支線区に転用されており、今後この流れがどこまで続くのかが気になります。また、6002Fは能勢電に転属し、これによって日生エクスプレスが阪急の片乗り入れから相互直通運転に変わりました。現在阪急で最も広い範囲で運行されている車両であると思われます。2連1本、3連5本、4連1本、6連1本、8連12本が在籍し、2連車は神戸線の増結用、3連車は今津南線と甲陽線、4連車は伊丹線、6連車は今津北線(後ろ3両は今津南線・甲陽線共通予備車)、8連車は宝塚線(うち1本の後ろ4両は箕面線予備車)で運行されています。
次は6300系。
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昭和50年から運行されている車両です。元々京都線特急車であり、先代の2800系と同じく2扉車です。ただ、2800系が2300系などとドア配置が同じなのに対して、6300系は車端部に寄った配置になっており、居住性をより重視したデザインです。窓下の標識灯の周囲にステンレス製の飾り帯が付き、肩部に初めてアイボリーが入りました。結局この後肩部にアイボリーが入って新造されるのは8300系まで出ず、6000系や7000系は当時はまだマルーン1色でした。ブルーリボン賞を獲得した唯一の阪急電車で、京都線のクイーンとも呼ばれました。最終編成は7300系のようなチョッパ制御で製造され、車番も30番代でした。ですが、2扉では段々と時代に合わなくなり、京都線特急からは撤退、嵐山線に4連化の上転属し、残りの編成のうち4編成は完全に廃車に、2編成は6連で残りました。結局片方が京とれいんに改造されて残りました。嵐山線用は車内が一部ロングシート化され、転換クロスシートは9300系のものに交換されるなど、よく手を加えられています。現在は4連3本が嵐山線で、6連1本は京とれいんとして運用されています。
続いては7000系。
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昭和55年から神戸線を中心に運行されている車両で、阪急では最大勢力の車両です。神宝線では唯一の界磁チョッパ車で、元々は宝塚線にも一定数が存在しました。ですが、6000系と交換で神戸線にその大多数が転属したため、現在では宝塚線では少数派になっています。途中から6000系初期車以来のアルミ車体に変わり、更にその後運転代行部に小窓が設けられるようになり、これは既に製造されていた初期車や6000系などにも波及しました。一部2200系から6000系に編入された車両を組み込んだり、8000系の増結車と組み合わせて8連車を組成する編成もあり、変化に富みます。リニューアル工事が進んでいますが、工事の内容も時期によってメニューが異なり、多数派だけにバリエーションが豊富です。また、1編成が京とれいんに改造する旨が発表されており、またバリエーションが増えることになります。現在2連7本、4連1本、6連5本、8連20本が在籍しており、8連車のうち1本は元2200系の6000系を組み込んでいます。6連車のうち4本は8000系増結車と合わせて8連車として運用されています。また、これとは別に2連車が1本、6000系の中間車を組み込んで4連車として再デビューを目指して改造されています。2連車のうち4本が神戸線で、3本が宝塚線で増結車として、4連車は伊丹線で、6連車のうち1本は今津北線で、残り4本と合わせて、8連車24本のうち、20本が神戸線で、4本が宝塚線でそれぞれ運行されています。また、8000系と組み合わされて運行されている6連車のうち、神戸線にいる3本は今津北線でも運用されることがあります。また、直通特急が運転される際にはこの神戸線で普段8連を組んでいる6連車が充当されます。
続いては7300系です。
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昭和57年から京都線で運用されている車両で、7000系の京都線バージョンに当たる車両です。7000系と同じく、京都線で唯一の界磁チョッパ車でもありますが、製造時期が遅かったことから、最終編成である7310Fのうちの7310号車はインバータ試作車になり、現在でも残っています。一部は8300系の6連車と組み合わせて8連を組んでいます。リニューアルが進んでおり、7000系と同じく長期に亘るリニューアルのため、バリエーションに富んでいます。現在2連5本と8連9本が在籍しており、2連のうち3本は京都線で増結車として、2本が8300系と組み合わせて8連車として、残りの8連車と共に京都線と千里線で運用されています。また、8連車の中に3本、2連と6連を組み合わせた8連車があり、この6連車の方は嵐山線直通運用にも充当されます。
続いては8000系・8200系です(8200系の写真はありません)。
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昭和64年から運用されている車両です。阪急初の量産インバータ車で、神宝線唯一のGTOインバータ車です。前面デザインが大幅に変更され、初期車では額縁のようなデザインになり、更に後期車になると額縁がなくなってくの字型の前面になり、更にその中でも窓のサイズなどに差異が見られます。最終増備グループは8040形とも呼ばれます。そして平成7年に登場したさらなる仕様変更車が8200系です(8040形の方が8200系より後に製造されているため、8040形は8000系と8200系の合いの子のような存在)。この系列はラッシュ時の増結用として製造されており、当初は関西では唯一の座席収納車でした。ですが、流石にこのサービスは不評で、しかも新快速などに乗客が流れて混雑が緩和されたことから、平成19年に通常座席に改造されました。8200系は側窓が扉間2枚窓となり、側目行先表示は阪急唯一の3色LED式、クーラーは連続型と、かなり特徴的な車両です。8040形では扉間窓や行先表示器、クーラーなどの形状が元の8000系の仕様に戻りました。8000系8連車のうち、半数以上が下り方2両に転換クロスシートを備え、サービス向上に寄与しています。また、8200系は阪急初のシングルアームパンタ装備車になり、これ以降阪急の新造車は全てシングルアーム車になっています。また、一部試験的に機器更新された車両も存在します。現在8000系は2連7本、4連1本、8連10本、8200系は2連2本が在籍し、8000系2連車のうち1本と8200系は神戸線増結車として、残りの6本のうち2本は宝塚線増結車として、残り4本は前述の7000系6連車と合わせて8連車の一部として3本が神戸線、1本が宝塚線で、4連車は箕面線で、8連車のうち6本が神戸線、4本が宝塚線でそれぞれ運行されています。
続いては8300系。
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平成元年より京都線で運用されています。8000系の京都線バージョンで、京都線初の量産インバータ車です。8000系と同じく途中でデザインが変わり、最終増備グループではシングルアームパンタを採用しました。8000系もそうですが、途中でインバータの素子が小変化しています。8000系ではわかりにくいですが、8300系では音がかなり違うためすぐにわかります。この車両は正直平凡な車両に思えますが、実は恐らく日本の鉄道車両でこの車両だけではないか、という歴史があります。それは、平成14年から19年までの5年間に起きたことです。それは、車両の保有が阪急電鉄ではなかったこと。これだけ言うとそこまで変に思えませんが(実際鉄道車両のリース自体は京成など数例がある)、この車両はなんと、英領ケイマン諸島に本社を置くリース会社が保有していました。ケイマン諸島はカリブ海、キューバ沖に浮かぶ小さな島々で、タックスヘイヴンとして知られています。この時の保有会社は世界各地の鉄道車両を保有してリースしていたようで、その中のひとつとなりました。海外の会社の保有となるのは恐らく国内唯一ではないでしょうか。結局契約満了に伴って阪急籍に復帰しています。最近一部編成に機器更新車が出ています。現在6連2本と8連9本が在籍し、6連車は両方とも上記の通り7300系の2連車と組み8連車を組んで、全編成が京都線と千里線で運用されています。また、6連車は嵐山線直通運用にも入ることがあります。
続いては9000系です。
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平成18年より神宝線で運用されている車両で、神宝線では初のIGBTインバータ車となります。阪急では初めてフルカラーLEDを採用しました。実はマスコンハンドルのみ9000系から神宝線も東洋製になったそうです。京都線の9300系は一応特急車という扱いのため、通勤車としては日本一豪華と言われています。また、9300系が転換クロスシートのため、新式のロングシート(途中に仕切りがある)を採用したのは9000系が初めてです。神宝線双方に配置されていますが、仕様が共通化されており、時折特に神戸線から宝塚線への貸し出しが行われます。現在8連11本が在籍し、偶数編成(ラストナンバーの9010Fを除く)5本が神戸線で、奇数編成と9010Fの6本が宝塚線で運用されています。
続いて9300系。
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平成15年より京都線で運行をしており、新性能車では3代目の京都線特急車として、6300系の跡を継ぎました。京都線特急車としては初の3扉車で、ある程度通勤需要も視野に入れた設計となりました。これより先の仕様は9000系とも共通ですが、車体は大きな1枚連続窓(2分割)が扉間に設置され、屋根上のクーラーなどを隠すように一体となったデザインとなっています。窓はボタンを押せば自動で開くパワーウインドウ(ただ、パワーウインドウ自体は8000系から採用されている)、車両間貫通扉はセンサー式の自動扉、車内の照明は天井に段差を付け、そこの裏に設置された蛍光灯で照らす間接照明方式と、まさに贅をつくした豪華な仕様です。9300系では特急車のため、転換クロスシートが採用されています。最初に増備された3編成では行先表示器は通常の幕式でしたが、平成20年に増備が再開された後の後期車では、9000系に準じてフルカラーLED式に変わりました。現在8連11本が在籍し、京都線特急や快急などの優等列車を中心に、京都線のみで運用されています。
最後に1000系・1300系。
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1000系及び1300系の系列を持つ車両としては2代目で、1000系が平成25年より神宝線で、1300系が26年に京都線でそれぞれ運行が開始されました。ほとんど同仕様のため、ここにまとめます。前面貫通扉に幌枠が付いておらず、前面に電連を備えていないため、他車との併結が出来ず、8連の運用のみに就きます。9000系を作った時にその豪華仕様ゆえのコストの高さが問題となり、ある程度コストカットしながら、それでも阪急電車としての品格も備えた車両となっています。車内の袖仕切りこそプラスチック地がむき出しとなっていますが、最近の関西圏の車両が耐火基準の見直しによって次々と蛍光灯カバーを廃止している中で、新耐火基準をクリアした素材を採用した蛍光灯カバーを採用し(天井埋め込み式のLED蛍光灯)、気品の高さを物語っています。扉上のLCDモニターが大型のものになっており、かなり見やすくなっています。阪急では初めてPMSM駆動を採用し、静粛性が格段に向上した車両でもあります。反面コストカットの観点からパワーウインドウや自動貫通扉は廃止されました。現在1000系は8連15本が、1300系は8連7本が在籍し、1000系のうち7本が神戸線で、8本が宝塚線で、1300系は全て京都線と千里線で運行されています。なお、9000系と同じく、1000系も神宝線間で貸し出しが行われることがあります。
ついでに2300系も書きます。
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昭和35年に登場した車両で、現在の阪急電車のデザインを確立した2000系の京都線バージョンとして登場しました。2000系とほぼ同時期に登場したため、2300系も元祖と言えます。特急車2800系は2300系の派生型で、2300系を基に特急型として作られました。元々2300系も特急として運用する予定だったようですが、車内がオールロングシートの3扉車では特急として相応しくないと思われ、2800系を開発したようです。そのデザイン性などから、2000系と共に記念すべきローレル賞第1号に選ばれています。この時はまだ京都線車両の規格が地下鉄規格ではなかったので、神戸線でも運用されたことがあります。のちに界磁チョッパ改造が行われ、足回りが様変わりしました。一時期は2800系が組み込まれていたこともあります。前述の新幹線の高架を走ったことのある車両としては最後の生き残りでした。嵐山線では最後の板車にもなり、注目されていました。最後は京都線と千里線で、普通と準急を中心に就いていました。結局デビューから55年を迎えた平成27年に引退、現在正雀にトップナンバーの2連車が1本、動態保存車として残っています。
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他に絡んでくる車両としては大阪メトロ66系、能勢電1700系、3100系、5100系、7200系、山陽3000系、3050系、3100系、3200系、5000系、6000系でしょうか。
前述の直通特急についても少し書きましょう。
直特の写真はありませんが、直特に入る車両の写真ならあります。なお、ここでは嵐山快特に関しても書きます。
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まず、嵐山直通の臨時列車はかつて急行などで運行されていました。それが、直通特急と独自の種別を与えられ、のちに快特も含めて列車名も付きました。梅田~嵐山間の快特がさがの、河原町~嵐山間の快特がおぐら、天下茶屋~嵐山間の直特がほづ、高速神戸~嵐山間の直特があたご、宝塚~嵐山間の直特がとげつと名前が付きました。一時期、さがのとあたごが充当される編成にラッピングがされていたため、そのラッピング名をとって、それぞれ古都、爽風と名前が変わっていましたが、今期から元に戻っています(別のラッピングとしてラッピング自体は継続)。停車駅は上記の通りですが、ほづの淡路~天下茶屋間のみ書いていなかったので書きます。天下茶屋、日本橋、天六、淡路です。大阪メトロとしては唯一の、線内に通過駅のある列車です。
さて、大体こんな感じですが、最後にいくつか見どころの駅を書きます。なお、上で一部紹介している淡路や西北は除きます。
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まず、ご存知梅田駅。10面9線を有し、3階改札には42台の自動改札機が並ぶ国内私鉄最大の巨大ターミナルです。十三までの三複線をデータイム10分ごとに京都線河原町行き特急、宝塚線宝塚行き急行、神戸線新開地行き特急が3列車並走で発車していく様は、いつ見ても圧巻です。また、その1分後に、今度は宝塚線雲雀丘花屋敷行き普通と神戸線三宮行き普通が、これも並走で発車していきます。3列車並走には及びませんが、これも中々です。10分で7本の列車が発車していくことになりますから、データイムの1時間で42本の電車が発車していく計算になります。
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そんな大ターミナルをゆっくり楽しみたいなら、喫茶店がお勧めです。3階改札を入ってすぐ左、神戸線の9号線側ののりばの端、そこにある階段を上ると喫茶店プレンティ、同様に改札からすぐ右、京都線1号線側の端の階段を上ると喫茶店りらがあります。ここにいれば、駅をひっきりなしに出入りする電車を階上からゆっくりと眺めることができます。勿論のりば側の壁は全て窓になっており、そこに向いたカウンターもあるので、いい時間になります。いつもそんなに混んでいないので、結構穴場です。
続いては嵐山。
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観光地らしく和風の佇まいをした駅舎ですが、のりばの照明が灯籠のようになっており、ベンチも形状が変えられています。駅名票もデザインを変えられ、さらに、照明は夜になると電球色に輝きます。マルーン色の電車と、電球色の灯籠型の照明、その照明が電車に映り込むさまは本当に幻想的です。戦前は巨大なターミナルでしたが、戦後に半分程度の規模に縮小されました。ですが、今でも2階には多客時用の臨時改札があり、時期によってはここも常用される改札と共に使用されます。また、のりばも片方のみが常用されますが、もう片方が多客時に使用されます。
最後に三宮です。
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元々立派な駅ビルがありましたが、阪神大震災の時にビルが損傷し、再建不能とされて解体されたのは有名です。現在はアーチ状の上屋がありますが、現在復原計画があり、実現すればある程度かつての姿が復活することとなります。のりばにいると天井の高さとアーチ状の上屋が見事で、優美さを感じさせます。因みに、この駅は阪急で唯一のりばの言い方が何号線ではなく何番ホームになっているのも特徴です。しっかりと駅の自動アナウンスでもそうなっています。一応山陽電車がここまで来ますが、回送で六甲まで走るので、車両自体が見られる阪急電車での東限は六甲となります。また、駅の真横がJRの三ノ宮の駅で、JRののりばからも駅を見ることができます。
この他にも阪急唯一の新幹線式通過駅の六甲や片方のみ通過線が存在する富田、新幹線と並走する上牧、水無瀬、大山崎、三方向への分岐が楽しめる十三、本線の方がカーブを曲がり、支線の方がまっすぐに行く石橋、モノレールとの立体交差が楽しめる南茨木、山田、蛍池、駅を出てすぐに防波堤と川のある神崎川、JRと並走する春日野道・・・たくさんの魅力的な駅があります。駅巡りだけでも楽しいです。勿論山崎のJRとのガチバトルもタイミングによりますが、楽しいです。

元々先月の投稿が1個しかないので先月中に上げようと思っていた記事でしたが、結局時間がかかって結局月をまたぎました。
阪急は個人的に昔から関わりが強い私鉄で、自分が西の鉄道が好きになったきっかけも阪急電車です。やっぱり乗ってるだけでもなんとなくいい感じがするんですね。
皆さんにもこの良さを感じていただけたらな、と思います。
それではまた。
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