暑い。
それはそれとして、7月は雑記のみになりました。是非もないよネ!
というわけで懲りずにバスの雑記です。あしからず。
今回のテーマは日本メーカーのスケルトンバスの歴史みたいなのを書きます。一応一般路線車限定です。一部高速路線車も取り上げるかもですが、あんまりそっちは考えてないです。
まあ勿論そんなにちゃんとしたのではないです。
それではまいりましょう。
まず、国内には基本的に4つのシャーシメーカーがあります(ありました)。三菱ふそう、いすゞ、日野、日産ディーゼル(通称日デ)です。このうち日産ディーゼルは、UDトラックスに社名変更ののち、トラック専業化、バス製造業を廃止しました。
一方、車体メーカーは基本的に5つ。三菱ふそう、いすゞ、日野、富士重工、西日本車体工業(通称西工)です。このうち富士重はのちにバス事業を廃止、その後、バス製造終了と直接の関係はないですが、社名をスバルに変更しています。西工は西鉄の子会社で、こちらは近年会社を解散しています。
そしてスケルトンバスとは、従来の航空機を作るような構造を採用して作られた、丸っこいモノコックバスではなく、その後に登場した角ばったスタイルのバスで、溶接を採用した軽量で開口部も大きくできるなど、大量輸送機関として理想的な構造です。現在国内で運行されているバスはごく一部を除いてすべてがスケルトンバスです。
ではメーカー順に見ていきましょう。
基本的には日デは車体がないので、分かりやすい車体メーカーで行きます。
まずは三菱ふそうから。
三菱ふそうは昭和59年、それまでモノコック車体を採用していたMP系の車体をスケルトンに変更し、エアロスターとして発売しました。この時、形式をMP218/618とし、足回りも一新しています。
実は、先代のモノコック世代であるMP118/518にもスケルトン車がいました。都営の都市新バス用の車両などで呉羽自動車工業(現在の三菱ふそうバス製造の前身で、のちに新呉羽自動車工業に社名変更)のオリジナルのスケルトンボディを架装したり、中には西工や富士重のスケルトンボディを架装したものもいました。なお、西工や富士重のボディを架装したのは何もこのグループだけではなく、何なら他社製のシャーシでも架装することがあります。
三菱は比較的スケルトンボディの導入が遅く、他社がスケルトンに移行する中、ブルドッグと呼ばれた同社のモノコック最終モデルの製造を続けていました。
初代のエアロスターには2種類のモデルがいます。エアロスターKとエアロスターMで、Kは呉羽製、Mは三菱名古屋製でした。Kは若干ライトの間が離れており、ちょっとのっぺりした印象を受けます。Mはその点、かっちりしたデザインに思えます。
これがエアロスターMです。結構角ばったような印象も受けますね。幕まわりの処理はちょっと古めに見えるでしょうか。
一方こちらがエアロスターK。ちょっとのっぺりした感じが分るでしょうか。幕まわりはこっちの方が近代的に見えますね。
さて、ではこの車はどっちでしょうか。勿論Mですね。ただ、この車はちょっと例外的な存在で、実は新呉羽製造扱いなのです。丁度三菱名古屋が新呉羽と統合される頃(この後若干の期間を経て三菱自動車バス製造に改称されるので、この間に製造された車がこんなことになります。なのでかなりの少数派です)に製造されたため、この辺りがごちゃごちゃになり、結果エアロスターMなのに新呉羽製という変な車が生まれました。
また、こんな感じの車も存在します。形式こそMP618ですが、エアロスターMでも顔はエアロバスと言う車。こういう例(観光マスクの路線車という言い方をします)はたまにあり、他社や他メーカーでもごく少数ですが見かけます。勿論このグループもしずてつジャストラインでは8台しか導入されませんでした。
また、この車は元都営バスの蓄圧式ハイブリッド車。尤も鹿児島交通ではその機構は使っていないようですが、こんな車もいます。
他にもノンステ試作車や都市型超低床車など時代に合わせて変化していきました。特に超低床車はかなり特徴的なマスクですが、導入例が限られており、その車も結局老朽廃車されたために、現在ではもう見られなくなっています。
さて、時は流れて平成8年、エアロスターはマイナーチェンジを受けて2代目になりました。エアロスターと言えばこの顔、という方も多いと思います。トミカやなんかでもこのタイプがエアロスターとして製品化されていました。時代は既にワンステ、ノンステの時代、このグループでも最初からワンステが、翌年からはノンステもラインアップされました。また、短尺のMMもラインアップされました。
この車は初期の車で、初期はこういう風な前後扉車もいました。ただ、このタイプはノンステに向かず、神姫バスで試作車が1台出たのみに終わったため、その後は前後扉車は作られなくなっていきます。
また、初期の車の中にはこういうタイプもいます。デンソー製の大型クーラーを最前部に載せたタイプで、初期のノンステ車などによく見られます。
時にはクーラーがこんな位置にあるのも。西工車とかだと時々見ますが、エアロスターでもたまに見ます。
増備が進み、大分見慣れた姿になってきたと思います。かなり近代的ですね。因みに、この頃にはこの見た目で日デという車がいます。形式を見るとMPではなくAPとなっているのですぐにわかりますが、見た目ではとても判断できません。これは三菱が日デのOEMとなっていたためで、それからほどなくして日デはバスを作らなくなりました。また、この世代ではオーストラリア向けに製造されたグループも存在します。
さて、平成26年、エアロスターはまたもマイナーチェンジを受けました。これによって前面デザインが一新され、印象ががらりと変わりました。
基本的にはこの尺が多いと思います。先代から割とこのくらいだったでしょうか。
ですが、時にはこんなに長いのも。特にこの世代になってからはこの尺が多い気がします。クーラーも小型が多くなりました。
勿論2代目に移行してからも多くの低公害車が出ましたが、この頃には低公害車が珍しくなくなっているので省略します。
続いては中型車です。
昭和56年、54年から製造されていた中型車のMK116の車体が呉羽製のスケルトンボディに変更されて、スケルトン車が登場しました。その後、昭和61年にエアロミディの名前が与えられ、そして昭和63年にエアロスターに合わせた車体に変更されました。一部は香港でも運行されたようです。
このグループはあまり長い期間製造されなかったこともあり、車齢の問題もあって現在あまり残っていません。
そして平成5年、バンパーにライトが設置されたデザインへとマイナーチェンジがなされ、以降はこのデザインで増備が続けられることになります。サイズによってMJ、MEなどの派生型も存在します。
2代目エアロスターよりもずっと早くこのグループが出たので、二段窓グループもかなりの数存在します。最近は中古車でよく出てきますね。この世代でもワンステはいます。
そしてエアロミディにもノンステ化の流れが。このスタイルになって、随分と近代化した印象があります。
また、エアロミディMJのノンステ車では、こんな感じに後輪の位置が思い切り後ろにある特徴的な形態です。
また、中型車でも大型車並みの車体長となる、所謂中尺ロング車も存在します。
その後、エアロミディは昨年、生産が終了しました。
続いてはいすゞです。
昭和59年にそれまで生産されていたCJM系をフルモデルチェンジして、斬新なデザインで登場したのがキュービックです。フランスのPR100形を参考にしたと言われ、これまでの常識を覆すデザインで話題となりました。
登場当初からこのデザインです。今でも古さを感じさせないデザインです。
中にはこんな車もいます。沖縄の特殊仕様です。前面窓が思い切り上まで伸ばされたデザインで、観光マスクのようにも見えますが、観光車はキュービック似のデザインがいないので、これは特殊な例と言えます。
その後、マイナーチェンジがあってこんなようなスタイルになりました。都市型の大型扉車で、ワンステ車の設定もありました。この車もワンステです。
のちにノンステや低公害車などの設定も出ましたが、このグループの方が特殊仕様なのか、他社への譲渡例が多くなく、譲渡された車も大半が廃車になっていて、もうほとんど目にできなくなっています。
また、新潟交通に新潟の特殊車両メーカーである北村製作所の製造した車体を架装した車もいました。特殊な見た目で、なまずの愛称で親しまれましたが全廃となり、現在1台が公園で静態保存されています。
そして平成12年、いすゞの大型車はキュービックからエルガへとフルモデルチェンジが行われました。車体スタイルや前面デザインなどが完全に変更され、新世代のバスとして各社に相次いで導入されました。
この車は初期車ですが、あまり変化は分かりません。デザインなど、一応の完成をみたということでしょうか。
これは最終モデルです。見比べてもほとんど違いはありません。ただ、近年は引き戸が採用されるのがほとんどなので、そのあたりの違いはあるでしょうか。
中にはこんなモデルもいます。所謂トップドア車で、基本的に長距離路線バスに使われます。この仕様は他のメーカーにもあり、長距離路線のうち、高速をあまり使わなかったり、バイパスや国道などの一般道を経由する路線など用に導入する場合が多いです。JRバス(特に中国)では準高速バスとも呼ばれる形態です。
そして平成27年にはフルモデルチェンジが行われ、2代目に移行しました。構造的にはあまり先代と変更はありませんが、特に前面やリアのデザインが変更され、印象ががらりと変わり、シャープになりました。
こんな感じ。各社がこぞって導入しています。日野車とのデザイン統一が図られて、見た目での判断が出来なくなりました。
さて、中型車に行きましょう。
昭和59年に従来から製造されていた中型車のCDM系がマイナーチェンジされ、ジャーニーKが登場しました。キュービックにも似た印象ですが、前面窓や幕まわりの処理に違いがあります。ジャーニーという車種自体はEやQなど何種類かありますが、その中でも中型路線バスはKとなります。
これは初期モデルです。キュービックと同じく、最終モデルまであまり変化はありません。むしろノンステなどのバージョンがない分、こっちの方がさらに変化が少ないかもしれません。
場合によってはトップドアもいます。鹿児島には割と多い仕様なようですが、そのほかの地域ではとんと見かけません(知らないだけだとは思いますが)。
これがほぼ最終グループ。見た目の違いがほとんどないことがよくわかります。CNG車なども出ましたが、あまり多くはありません。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、エルガミオに変わりました。エルガの中型バージョンとも言うべき車種ですが、実はこっちの方が登場が早く、1年の違いがあります。勿論外観はエルガとそっくりで、エルガの幅と前後を詰めただけという感じがします。
初期グループではツーステの設定もありました。この車がそのうちの一つで、ツーステの中ではかなり末期の方のモデルです。
この車は打って変わって最終グループ。まあそんなに違いはないですね。ただ、上の車がツーステな分、こっちの方がちょっと近代的に見えるでしょうか。
そして平成28年にフルモデルチェンジが行われ、現行のデザインとなりました。日野レインボーともデザインが共通化されました。
これがその新型車。これまでのエルガミオより少し背が高いようにも見えます。新型エルガなどでも言えますが、形状の凹凸が少なくなった印象を受けます。
さて、それでは日野に行きましょう。
昭和57年、それまでモノコック車体を採用していたRE/RC系をスケルトン車体にしたRT/RU系が登場し、それまで観光スケルトン車で使われていたブルーリボンの名前が付けられました。ただ、RT/RU系はあまり製造されず、途中でHT/HU系へとモデルチェンジ、以降は大増備がなされていくことになります。
初期の車は幕まわりの処理が古く見えますね。U規制に移行する頃にはこのタイプはほぼ作られなくなっています。
その後になると、この様に近代的な見た目になります。ライトも角型になり、幕まわりの処理も新しく見えます。日野のエンブレムがありますが、新しい方のエンブレムですね。
これの3扉だと、こんな感じになります。今一番3扉車が多く運行されているのは恐らく奈良交通だと思います。ここのは基本的にほとんどがKC規制のブルーリボンなので、これが標準仕様です。
この世代ではノンステ車が出ました。都市部に導入されましたが、こちらも特殊仕様だからなのか、譲渡例はほとんどなく、今ではほとんどが鬼籍に入っています。
また、電気ディーゼルハイブリッド車の走りとして開発されたHIMRは、今でも一部が残ります。特にアルピコでは運行する区間が高原だからか、環境に配慮したようで、まとまった数が今も走っています。
平成12年、ブルーリボンはフルモデルチェンジを受けてブルーリボンシティとなりました。前面デザインが大幅に変更され、印象ががらりと変わりました。
このように、かなり斬新なデザインです。初期は結構折り戸車もいましたが、この頃には既に引き戸が主流です。
そして、平成13年にブルーリボンシティにもHIMRが設定され、平成17年、ブルーリボンシティハイブリッドとなりました。
この車はハイブリッドになってから余り経っていない頃の導入ですが、基本的な仕様はその後の車でも変わりません。ブルーリボンシティ自体は平成17年で生産が終了しましたが、ハイブリッドのみは平成27年まで生産が続けられました。
平成17年、日野といすゞのバス製造が合弁会社であるジェイ・バスに移行したことを受け、統合車種であるエルガに合わせたフルモデルチェンジを行い、ブルーリボンⅡへと移行しました。途中のモデルからは前灯の形状が異なり、エルガが2段なのに対し、ブルーリボンⅡでは1段です。
これは初期モデル。どう見てもエルガですが、日野の表記があるので何とかわかります。
対してこっちは後期モデル。前灯が違うのが分かります。
そして平成27年、エルガがモデルチェンジを受けたのに合わせて、ブルーリボンもモデルチェンジを受けました。名前はブルーリボンに戻り、エルガとの違いが再び判らなくなっています。
これがその新型。新型エルガとそっくりです。
続いて中型車です。
昭和55年、これまでモノコック車として製造されてきたRL系をスケルトンボディに変更し、日本初の路線型スケルトンバス、RJ/RR系が誕生しました。名前はレインボーと名付けられ、国内のバスに新しい潮流をもたらしました。
初代(とは言っても一部改良型ですが)はこんな感じです。特徴的な丸い前灯を1つずつ付けた顔で、直噴式クーラーが思い切り前に付いているのも特徴です。このグループは若くても車齢が30年なので、一部しか残っていません。因みに大分バスなど一部には前灯4灯型もいたようです。
昭和63年にフルモデルチェンジを受け、デザインがかなり変わりました。
この車は割合初期の車です。とはいえ、一度平成2年に少し改良が加えられた後のモデルではあります。
この車は後期車。ワンステなので、結構印象が違います。マスクもかなり変わっていますね。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、形式がHRに変わりました。前灯などを中心にデザインが変更され、特にクーラーが最後部に移動したのが大きな特徴です。一部、いすゞエルガJとしてOEM供給されたものがあります。
この車は初期のもの。中型の尺で、初期では割合標準で出ていました。
ですが、のちにこの大型尺のみのラインアップとなり、以降はHRと言えばこの車体という風になっていきました。
平成16年、エルガミオとの統合車種化に伴ってレインボーⅡとなりました。ブルーリボンⅡと同じく、いすゞ車と見分けがつきにくくなっています。なお、平成22年まではHRも並行して製造されていました。
初期のレインボーⅡはやっぱり見た目が完全にエルガミオ。見分けがつかないのもブルーリボンⅡと同じです。
こう来ればやっぱりこういうデザインの後期型レインボーⅡ。統合車種で同じメーカーなだけあって、ほとんど同じです。
そして平成28年、こちらもマイナーチェンジを受けてレインボーに。
勿論新型エルガミオそっくりです。統合車種化が進み、この先はずっとこうなようですね。
さて、この後の2社は既に製造を終了している会社です。まずは富士重から。
富士重のスケルトン車は昭和57年に、これまで製造されてきたモノコック車である大型車3Eと中型車4Eをスケルトンボディに変更し、大型車5E、中型車6Eにしたのが始まりです。基本的に自社で車体を製造していなかった日デを中心に、基本4社すべてに架装しました。昭和59年にマイナーチェンジを受け、リベットの少ないボディに変わりました。
この車は6Eの終期グループに当たります。ただ、前灯の形状などが割合古めなので、それよりさらに古い印象を受けます。小田急や琉球バスの5Eなどには角型前灯もいたので、ともすればそっちの方が新しく見えます。このグループももはや風前の灯火で、ともすれば2つ目RJより目にするのが難しいです。
昭和63年からは大型車が7E、平成2年から中型車が8Eに移行しました。それまでの丸みを帯びていたデザインからがらりと変わり、角ばっていてバンパーに前灯があるデザインになりました。
この車は7Eの割合初期の車で、足回りは日野のものです。上の6Eと比べても印象ががらりと変わったのが分かりますね。
こっちは8Eです。かなり小柄に見えます。
8Eにはやっぱりロングもいます。かなり細長く見えますね。
また、このグループにもかなりの小型車がいました。少し顔が違うこともあり、8Eグループとは言っても印象が大分違います。
平成12年、7Eの各部のマイナーチェンジが行われ、印象ががらりと変わりました。新7Eと呼ばれるグループとなり、ノンステ車としてほとんどが日デ車に架装されました。
このように、同じなのは顔位といった感じです。心なしかどっしりとした印象も受け、幅が広く背が低く感じます。
また、7Eの自家用や貸切用などとして、7Bが存在します。一部はこのように普通のトップドア車として路線バスで使われることもあります。なお、5Bや6B、8Bも存在しました。勿論そのグループも一部は路線バスで使われました。
富士重は結局平成15年を以てバス製造事業から撤退、主に行っていた日デの架装は西工に集約されました。
続いて西工です。
昭和58年、これまで製造されていたモノコック車である53MCのマイナーチェンジを受け、スケルトンボディである58MCが登場しました。日デが多いですが、他の3メーカーのものもかなり多く存在します。
このタイプはB-Ⅰと呼ばれるタイプで、前面窓が左右同じ高さです。因みに足回りは日野です。
一方こっちはB-Ⅱと呼ばれるタイプ。前面窓の公式側側面寄り半分が少し大きくなっている仕様です。この車の足回りは三菱。また、前灯形状やナンバー高さが違いますね。こういうのは他の車種でも時折あります。
また、この様に中型車もいます。この車は足回りが日野です。中型ロングもいますが、西鉄など限られた会社のみの導入でした。
平成8年、フルモデルチェンジが行われ、96MCが登場しました。近代的な見た目になり、前灯の位置などがバンパーに変わりました。また、基本的に西日本地区ばかりに納入されていた西工車ですが、この頃から東日本地区でもかなりの数が導入されるようになりました。
この辺りはかなり初期の車です。尤も、西鉄ではかなりの数があり、結構全部同じように見えるので、違いがよくわかりません。
これが最近の車。一応小改良がなされた後のモデルで、少し近代的になりました。
中型車もいます。九州地区に特に多いように思えます。
翻って中型ロングは結構いろんなところで見ます。これは九州ですが、元々都営バスの車。他にも京王やジャストラインなどでも見ます。
また、高速仕様車も存在します。フロントマスクでこそ普通の96MCですが、側面は完全に高速車です。
そしてその更に派生型、高速車でありながら一般車のシャーシを使ったもので、これも96MCの一員です。E型と分類されます。
昭和63年には実質の日デ車純正車体を登場させました。西工と日デが共同開発したもので、早い時期からワンステ車を開発していました。ただ、このグループはあまり数が多くなく、現在あまり見ることができなくなってきています。
この車は割合初期の車で、デザインは96MCにも通ずるものながら、側面が2段窓というのが特殊な感じです。
その後、マイナーチェンジがあり、こんな感じの車体になりました。この雰囲気のまま製造終了まで製造されたようです。
その後西工は平成22年を以て車両製造を終了、同年中に会社自体が解散し、消滅しました。日デはこれ以降三菱がOEMとして製造を担当することになりました。ですが、その日デも翌年の平成23年を以てバス製造事業から撤退しています。
ここからは特殊な車両、そして小型車などをざっくり紹介します。
まずはトヨタFCバス。燃料電池バスの国産初の量産車で、平成27年、都営バスに導入されました。一応車体はブルーリボンシティを基にしていますが、面影はありません。そしてこの後、さらに改良を加えた新車種であるSORAがデビューし、現在この2車種が都営バスの燃料電池車として運行しています。
次に三菱ローザです。この車は三菱のマイクロバスとして長い間製造されています。
この車は昭和61年にマイナーチェンジが行われてできた3代目に当たります。3代目でも平成2年より採用されたデザインの後期型です。
平成9年にはまたマイナーチェンジが行われ、4代目に移行し、現在でも製造が続いています。この車はその中でも割合初期のグループです。
対してこっちは現行車種。フロントグリルなどが変更され、印象が変わりました。
続いて日野リエッセ。レインボーの中でも特に小型だったグループを改良してできた車種で、登場は平成7年です。マイナーチェンジを繰り返しましたが、基本的な仕様は変わっていません。
このような小型車です。一部、いすゞのOEM車もいます。
初期はこんなトップドア車もいましたが、のちに路線車は全中扉に統一されています。平成23年に生産中止となりました。
一方のリエッセⅡは、完全なマイクロバス仕様で、トヨタコースターとのOEMで製造されました。製造開始は平成8年です。
ローザよりもかなり路線バスで使っている例が少ないですが、時にはこうやって使う例もあります。昨年マイナーチェンジを受け、2代目がデビューしました。デザインがよりシャープになっています。
最後に日野ポンチョ。平成14年より初代が半国産で製造されましたが、ミニバンのような外観でした。それを平成18年にフルモデルチェンジし、2代目が誕生、この世代より純国産になっています。
最近各地で見るようになったポンチョ。どんどん導入されています。最近は電気バスなんかもある模様。なおリエッセの生産終了に伴って、路線バス用の小型車がポンチョに集約されました。
と、こんな感じでざっくりとした紹介でしたが、いかがだったでしょうか。今まで特に説明することなくバスのことを書いてましたが、やっぱり鉄道系のブログなわけですから、バスのことを知らない人も多いと思ったこともあって、ちょっとした解説記事を書きました。これによって、皆さんがちょっとでもバスの車種を見分けられるようになったらいいなと思います。
と、言うわけで今月最後の記事でした。
色々この夏もやることもありますが、そっちもぼちぼちやっていきます。
某アイドルのファッションリーダーTシャツが地味に欲しいです。
ではまた。
それはそれとして、7月は雑記のみになりました。是非もないよネ!
というわけで懲りずにバスの雑記です。あしからず。
今回のテーマは日本メーカーのスケルトンバスの歴史みたいなのを書きます。一応一般路線車限定です。一部高速路線車も取り上げるかもですが、あんまりそっちは考えてないです。
まあ勿論そんなにちゃんとしたのではないです。
それではまいりましょう。
まず、国内には基本的に4つのシャーシメーカーがあります(ありました)。三菱ふそう、いすゞ、日野、日産ディーゼル(通称日デ)です。このうち日産ディーゼルは、UDトラックスに社名変更ののち、トラック専業化、バス製造業を廃止しました。
一方、車体メーカーは基本的に5つ。三菱ふそう、いすゞ、日野、富士重工、西日本車体工業(通称西工)です。このうち富士重はのちにバス事業を廃止、その後、バス製造終了と直接の関係はないですが、社名をスバルに変更しています。西工は西鉄の子会社で、こちらは近年会社を解散しています。
そしてスケルトンバスとは、従来の航空機を作るような構造を採用して作られた、丸っこいモノコックバスではなく、その後に登場した角ばったスタイルのバスで、溶接を採用した軽量で開口部も大きくできるなど、大量輸送機関として理想的な構造です。現在国内で運行されているバスはごく一部を除いてすべてがスケルトンバスです。
ではメーカー順に見ていきましょう。
基本的には日デは車体がないので、分かりやすい車体メーカーで行きます。
まずは三菱ふそうから。
三菱ふそうは昭和59年、それまでモノコック車体を採用していたMP系の車体をスケルトンに変更し、エアロスターとして発売しました。この時、形式をMP218/618とし、足回りも一新しています。
実は、先代のモノコック世代であるMP118/518にもスケルトン車がいました。都営の都市新バス用の車両などで呉羽自動車工業(現在の三菱ふそうバス製造の前身で、のちに新呉羽自動車工業に社名変更)のオリジナルのスケルトンボディを架装したり、中には西工や富士重のスケルトンボディを架装したものもいました。なお、西工や富士重のボディを架装したのは何もこのグループだけではなく、何なら他社製のシャーシでも架装することがあります。
三菱は比較的スケルトンボディの導入が遅く、他社がスケルトンに移行する中、ブルドッグと呼ばれた同社のモノコック最終モデルの製造を続けていました。
初代のエアロスターには2種類のモデルがいます。エアロスターKとエアロスターMで、Kは呉羽製、Mは三菱名古屋製でした。Kは若干ライトの間が離れており、ちょっとのっぺりした印象を受けます。Mはその点、かっちりしたデザインに思えます。
これがエアロスターMです。結構角ばったような印象も受けますね。幕まわりの処理はちょっと古めに見えるでしょうか。
一方こちらがエアロスターK。ちょっとのっぺりした感じが分るでしょうか。幕まわりはこっちの方が近代的に見えますね。
さて、ではこの車はどっちでしょうか。勿論Mですね。ただ、この車はちょっと例外的な存在で、実は新呉羽製造扱いなのです。丁度三菱名古屋が新呉羽と統合される頃(この後若干の期間を経て三菱自動車バス製造に改称されるので、この間に製造された車がこんなことになります。なのでかなりの少数派です)に製造されたため、この辺りがごちゃごちゃになり、結果エアロスターMなのに新呉羽製という変な車が生まれました。
また、こんな感じの車も存在します。形式こそMP618ですが、エアロスターMでも顔はエアロバスと言う車。こういう例(観光マスクの路線車という言い方をします)はたまにあり、他社や他メーカーでもごく少数ですが見かけます。勿論このグループもしずてつジャストラインでは8台しか導入されませんでした。
また、この車は元都営バスの蓄圧式ハイブリッド車。尤も鹿児島交通ではその機構は使っていないようですが、こんな車もいます。
他にもノンステ試作車や都市型超低床車など時代に合わせて変化していきました。特に超低床車はかなり特徴的なマスクですが、導入例が限られており、その車も結局老朽廃車されたために、現在ではもう見られなくなっています。
さて、時は流れて平成8年、エアロスターはマイナーチェンジを受けて2代目になりました。エアロスターと言えばこの顔、という方も多いと思います。トミカやなんかでもこのタイプがエアロスターとして製品化されていました。時代は既にワンステ、ノンステの時代、このグループでも最初からワンステが、翌年からはノンステもラインアップされました。また、短尺のMMもラインアップされました。
この車は初期の車で、初期はこういう風な前後扉車もいました。ただ、このタイプはノンステに向かず、神姫バスで試作車が1台出たのみに終わったため、その後は前後扉車は作られなくなっていきます。
また、初期の車の中にはこういうタイプもいます。デンソー製の大型クーラーを最前部に載せたタイプで、初期のノンステ車などによく見られます。
時にはクーラーがこんな位置にあるのも。西工車とかだと時々見ますが、エアロスターでもたまに見ます。
増備が進み、大分見慣れた姿になってきたと思います。かなり近代的ですね。因みに、この頃にはこの見た目で日デという車がいます。形式を見るとMPではなくAPとなっているのですぐにわかりますが、見た目ではとても判断できません。これは三菱が日デのOEMとなっていたためで、それからほどなくして日デはバスを作らなくなりました。また、この世代ではオーストラリア向けに製造されたグループも存在します。
さて、平成26年、エアロスターはまたもマイナーチェンジを受けました。これによって前面デザインが一新され、印象ががらりと変わりました。
基本的にはこの尺が多いと思います。先代から割とこのくらいだったでしょうか。
ですが、時にはこんなに長いのも。特にこの世代になってからはこの尺が多い気がします。クーラーも小型が多くなりました。
勿論2代目に移行してからも多くの低公害車が出ましたが、この頃には低公害車が珍しくなくなっているので省略します。
続いては中型車です。
昭和56年、54年から製造されていた中型車のMK116の車体が呉羽製のスケルトンボディに変更されて、スケルトン車が登場しました。その後、昭和61年にエアロミディの名前が与えられ、そして昭和63年にエアロスターに合わせた車体に変更されました。一部は香港でも運行されたようです。
このグループはあまり長い期間製造されなかったこともあり、車齢の問題もあって現在あまり残っていません。
そして平成5年、バンパーにライトが設置されたデザインへとマイナーチェンジがなされ、以降はこのデザインで増備が続けられることになります。サイズによってMJ、MEなどの派生型も存在します。
2代目エアロスターよりもずっと早くこのグループが出たので、二段窓グループもかなりの数存在します。最近は中古車でよく出てきますね。この世代でもワンステはいます。
そしてエアロミディにもノンステ化の流れが。このスタイルになって、随分と近代化した印象があります。
また、エアロミディMJのノンステ車では、こんな感じに後輪の位置が思い切り後ろにある特徴的な形態です。
また、中型車でも大型車並みの車体長となる、所謂中尺ロング車も存在します。
その後、エアロミディは昨年、生産が終了しました。
続いてはいすゞです。
昭和59年にそれまで生産されていたCJM系をフルモデルチェンジして、斬新なデザインで登場したのがキュービックです。フランスのPR100形を参考にしたと言われ、これまでの常識を覆すデザインで話題となりました。
登場当初からこのデザインです。今でも古さを感じさせないデザインです。
中にはこんな車もいます。沖縄の特殊仕様です。前面窓が思い切り上まで伸ばされたデザインで、観光マスクのようにも見えますが、観光車はキュービック似のデザインがいないので、これは特殊な例と言えます。
その後、マイナーチェンジがあってこんなようなスタイルになりました。都市型の大型扉車で、ワンステ車の設定もありました。この車もワンステです。
のちにノンステや低公害車などの設定も出ましたが、このグループの方が特殊仕様なのか、他社への譲渡例が多くなく、譲渡された車も大半が廃車になっていて、もうほとんど目にできなくなっています。
また、新潟交通に新潟の特殊車両メーカーである北村製作所の製造した車体を架装した車もいました。特殊な見た目で、なまずの愛称で親しまれましたが全廃となり、現在1台が公園で静態保存されています。
そして平成12年、いすゞの大型車はキュービックからエルガへとフルモデルチェンジが行われました。車体スタイルや前面デザインなどが完全に変更され、新世代のバスとして各社に相次いで導入されました。
この車は初期車ですが、あまり変化は分かりません。デザインなど、一応の完成をみたということでしょうか。
これは最終モデルです。見比べてもほとんど違いはありません。ただ、近年は引き戸が採用されるのがほとんどなので、そのあたりの違いはあるでしょうか。
中にはこんなモデルもいます。所謂トップドア車で、基本的に長距離路線バスに使われます。この仕様は他のメーカーにもあり、長距離路線のうち、高速をあまり使わなかったり、バイパスや国道などの一般道を経由する路線など用に導入する場合が多いです。JRバス(特に中国)では準高速バスとも呼ばれる形態です。
そして平成27年にはフルモデルチェンジが行われ、2代目に移行しました。構造的にはあまり先代と変更はありませんが、特に前面やリアのデザインが変更され、印象ががらりと変わり、シャープになりました。
こんな感じ。各社がこぞって導入しています。日野車とのデザイン統一が図られて、見た目での判断が出来なくなりました。
さて、中型車に行きましょう。
昭和59年に従来から製造されていた中型車のCDM系がマイナーチェンジされ、ジャーニーKが登場しました。キュービックにも似た印象ですが、前面窓や幕まわりの処理に違いがあります。ジャーニーという車種自体はEやQなど何種類かありますが、その中でも中型路線バスはKとなります。
これは初期モデルです。キュービックと同じく、最終モデルまであまり変化はありません。むしろノンステなどのバージョンがない分、こっちの方がさらに変化が少ないかもしれません。
場合によってはトップドアもいます。鹿児島には割と多い仕様なようですが、そのほかの地域ではとんと見かけません(知らないだけだとは思いますが)。
これがほぼ最終グループ。見た目の違いがほとんどないことがよくわかります。CNG車なども出ましたが、あまり多くはありません。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、エルガミオに変わりました。エルガの中型バージョンとも言うべき車種ですが、実はこっちの方が登場が早く、1年の違いがあります。勿論外観はエルガとそっくりで、エルガの幅と前後を詰めただけという感じがします。
初期グループではツーステの設定もありました。この車がそのうちの一つで、ツーステの中ではかなり末期の方のモデルです。
この車は打って変わって最終グループ。まあそんなに違いはないですね。ただ、上の車がツーステな分、こっちの方がちょっと近代的に見えるでしょうか。
そして平成28年にフルモデルチェンジが行われ、現行のデザインとなりました。日野レインボーともデザインが共通化されました。
これがその新型車。これまでのエルガミオより少し背が高いようにも見えます。新型エルガなどでも言えますが、形状の凹凸が少なくなった印象を受けます。
さて、それでは日野に行きましょう。
昭和57年、それまでモノコック車体を採用していたRE/RC系をスケルトン車体にしたRT/RU系が登場し、それまで観光スケルトン車で使われていたブルーリボンの名前が付けられました。ただ、RT/RU系はあまり製造されず、途中でHT/HU系へとモデルチェンジ、以降は大増備がなされていくことになります。
初期の車は幕まわりの処理が古く見えますね。U規制に移行する頃にはこのタイプはほぼ作られなくなっています。
その後になると、この様に近代的な見た目になります。ライトも角型になり、幕まわりの処理も新しく見えます。日野のエンブレムがありますが、新しい方のエンブレムですね。
これの3扉だと、こんな感じになります。今一番3扉車が多く運行されているのは恐らく奈良交通だと思います。ここのは基本的にほとんどがKC規制のブルーリボンなので、これが標準仕様です。
この世代ではノンステ車が出ました。都市部に導入されましたが、こちらも特殊仕様だからなのか、譲渡例はほとんどなく、今ではほとんどが鬼籍に入っています。
また、電気ディーゼルハイブリッド車の走りとして開発されたHIMRは、今でも一部が残ります。特にアルピコでは運行する区間が高原だからか、環境に配慮したようで、まとまった数が今も走っています。
平成12年、ブルーリボンはフルモデルチェンジを受けてブルーリボンシティとなりました。前面デザインが大幅に変更され、印象ががらりと変わりました。
このように、かなり斬新なデザインです。初期は結構折り戸車もいましたが、この頃には既に引き戸が主流です。
そして、平成13年にブルーリボンシティにもHIMRが設定され、平成17年、ブルーリボンシティハイブリッドとなりました。
この車はハイブリッドになってから余り経っていない頃の導入ですが、基本的な仕様はその後の車でも変わりません。ブルーリボンシティ自体は平成17年で生産が終了しましたが、ハイブリッドのみは平成27年まで生産が続けられました。
平成17年、日野といすゞのバス製造が合弁会社であるジェイ・バスに移行したことを受け、統合車種であるエルガに合わせたフルモデルチェンジを行い、ブルーリボンⅡへと移行しました。途中のモデルからは前灯の形状が異なり、エルガが2段なのに対し、ブルーリボンⅡでは1段です。
これは初期モデル。どう見てもエルガですが、日野の表記があるので何とかわかります。
対してこっちは後期モデル。前灯が違うのが分かります。
そして平成27年、エルガがモデルチェンジを受けたのに合わせて、ブルーリボンもモデルチェンジを受けました。名前はブルーリボンに戻り、エルガとの違いが再び判らなくなっています。
これがその新型。新型エルガとそっくりです。
続いて中型車です。
昭和55年、これまでモノコック車として製造されてきたRL系をスケルトンボディに変更し、日本初の路線型スケルトンバス、RJ/RR系が誕生しました。名前はレインボーと名付けられ、国内のバスに新しい潮流をもたらしました。
初代(とは言っても一部改良型ですが)はこんな感じです。特徴的な丸い前灯を1つずつ付けた顔で、直噴式クーラーが思い切り前に付いているのも特徴です。このグループは若くても車齢が30年なので、一部しか残っていません。因みに大分バスなど一部には前灯4灯型もいたようです。
昭和63年にフルモデルチェンジを受け、デザインがかなり変わりました。
この車は割合初期の車です。とはいえ、一度平成2年に少し改良が加えられた後のモデルではあります。
この車は後期車。ワンステなので、結構印象が違います。マスクもかなり変わっていますね。
平成11年、フルモデルチェンジが行われ、形式がHRに変わりました。前灯などを中心にデザインが変更され、特にクーラーが最後部に移動したのが大きな特徴です。一部、いすゞエルガJとしてOEM供給されたものがあります。
この車は初期のもの。中型の尺で、初期では割合標準で出ていました。
ですが、のちにこの大型尺のみのラインアップとなり、以降はHRと言えばこの車体という風になっていきました。
平成16年、エルガミオとの統合車種化に伴ってレインボーⅡとなりました。ブルーリボンⅡと同じく、いすゞ車と見分けがつきにくくなっています。なお、平成22年まではHRも並行して製造されていました。
初期のレインボーⅡはやっぱり見た目が完全にエルガミオ。見分けがつかないのもブルーリボンⅡと同じです。
こう来ればやっぱりこういうデザインの後期型レインボーⅡ。統合車種で同じメーカーなだけあって、ほとんど同じです。
そして平成28年、こちらもマイナーチェンジを受けてレインボーに。
勿論新型エルガミオそっくりです。統合車種化が進み、この先はずっとこうなようですね。
さて、この後の2社は既に製造を終了している会社です。まずは富士重から。
富士重のスケルトン車は昭和57年に、これまで製造されてきたモノコック車である大型車3Eと中型車4Eをスケルトンボディに変更し、大型車5E、中型車6Eにしたのが始まりです。基本的に自社で車体を製造していなかった日デを中心に、基本4社すべてに架装しました。昭和59年にマイナーチェンジを受け、リベットの少ないボディに変わりました。
この車は6Eの終期グループに当たります。ただ、前灯の形状などが割合古めなので、それよりさらに古い印象を受けます。小田急や琉球バスの5Eなどには角型前灯もいたので、ともすればそっちの方が新しく見えます。このグループももはや風前の灯火で、ともすれば2つ目RJより目にするのが難しいです。
昭和63年からは大型車が7E、平成2年から中型車が8Eに移行しました。それまでの丸みを帯びていたデザインからがらりと変わり、角ばっていてバンパーに前灯があるデザインになりました。
この車は7Eの割合初期の車で、足回りは日野のものです。上の6Eと比べても印象ががらりと変わったのが分かりますね。
こっちは8Eです。かなり小柄に見えます。
8Eにはやっぱりロングもいます。かなり細長く見えますね。
また、このグループにもかなりの小型車がいました。少し顔が違うこともあり、8Eグループとは言っても印象が大分違います。
平成12年、7Eの各部のマイナーチェンジが行われ、印象ががらりと変わりました。新7Eと呼ばれるグループとなり、ノンステ車としてほとんどが日デ車に架装されました。
このように、同じなのは顔位といった感じです。心なしかどっしりとした印象も受け、幅が広く背が低く感じます。
また、7Eの自家用や貸切用などとして、7Bが存在します。一部はこのように普通のトップドア車として路線バスで使われることもあります。なお、5Bや6B、8Bも存在しました。勿論そのグループも一部は路線バスで使われました。
富士重は結局平成15年を以てバス製造事業から撤退、主に行っていた日デの架装は西工に集約されました。
続いて西工です。
昭和58年、これまで製造されていたモノコック車である53MCのマイナーチェンジを受け、スケルトンボディである58MCが登場しました。日デが多いですが、他の3メーカーのものもかなり多く存在します。
このタイプはB-Ⅰと呼ばれるタイプで、前面窓が左右同じ高さです。因みに足回りは日野です。
一方こっちはB-Ⅱと呼ばれるタイプ。前面窓の公式側側面寄り半分が少し大きくなっている仕様です。この車の足回りは三菱。また、前灯形状やナンバー高さが違いますね。こういうのは他の車種でも時折あります。
また、この様に中型車もいます。この車は足回りが日野です。中型ロングもいますが、西鉄など限られた会社のみの導入でした。
平成8年、フルモデルチェンジが行われ、96MCが登場しました。近代的な見た目になり、前灯の位置などがバンパーに変わりました。また、基本的に西日本地区ばかりに納入されていた西工車ですが、この頃から東日本地区でもかなりの数が導入されるようになりました。
この辺りはかなり初期の車です。尤も、西鉄ではかなりの数があり、結構全部同じように見えるので、違いがよくわかりません。
これが最近の車。一応小改良がなされた後のモデルで、少し近代的になりました。
中型車もいます。九州地区に特に多いように思えます。
翻って中型ロングは結構いろんなところで見ます。これは九州ですが、元々都営バスの車。他にも京王やジャストラインなどでも見ます。
また、高速仕様車も存在します。フロントマスクでこそ普通の96MCですが、側面は完全に高速車です。
そしてその更に派生型、高速車でありながら一般車のシャーシを使ったもので、これも96MCの一員です。E型と分類されます。
昭和63年には実質の日デ車純正車体を登場させました。西工と日デが共同開発したもので、早い時期からワンステ車を開発していました。ただ、このグループはあまり数が多くなく、現在あまり見ることができなくなってきています。
この車は割合初期の車で、デザインは96MCにも通ずるものながら、側面が2段窓というのが特殊な感じです。
その後、マイナーチェンジがあり、こんな感じの車体になりました。この雰囲気のまま製造終了まで製造されたようです。
その後西工は平成22年を以て車両製造を終了、同年中に会社自体が解散し、消滅しました。日デはこれ以降三菱がOEMとして製造を担当することになりました。ですが、その日デも翌年の平成23年を以てバス製造事業から撤退しています。
ここからは特殊な車両、そして小型車などをざっくり紹介します。
まずはトヨタFCバス。燃料電池バスの国産初の量産車で、平成27年、都営バスに導入されました。一応車体はブルーリボンシティを基にしていますが、面影はありません。そしてこの後、さらに改良を加えた新車種であるSORAがデビューし、現在この2車種が都営バスの燃料電池車として運行しています。
次に三菱ローザです。この車は三菱のマイクロバスとして長い間製造されています。
この車は昭和61年にマイナーチェンジが行われてできた3代目に当たります。3代目でも平成2年より採用されたデザインの後期型です。
平成9年にはまたマイナーチェンジが行われ、4代目に移行し、現在でも製造が続いています。この車はその中でも割合初期のグループです。
対してこっちは現行車種。フロントグリルなどが変更され、印象が変わりました。
続いて日野リエッセ。レインボーの中でも特に小型だったグループを改良してできた車種で、登場は平成7年です。マイナーチェンジを繰り返しましたが、基本的な仕様は変わっていません。
このような小型車です。一部、いすゞのOEM車もいます。
初期はこんなトップドア車もいましたが、のちに路線車は全中扉に統一されています。平成23年に生産中止となりました。
一方のリエッセⅡは、完全なマイクロバス仕様で、トヨタコースターとのOEMで製造されました。製造開始は平成8年です。
ローザよりもかなり路線バスで使っている例が少ないですが、時にはこうやって使う例もあります。昨年マイナーチェンジを受け、2代目がデビューしました。デザインがよりシャープになっています。
最後に日野ポンチョ。平成14年より初代が半国産で製造されましたが、ミニバンのような外観でした。それを平成18年にフルモデルチェンジし、2代目が誕生、この世代より純国産になっています。
最近各地で見るようになったポンチョ。どんどん導入されています。最近は電気バスなんかもある模様。なおリエッセの生産終了に伴って、路線バス用の小型車がポンチョに集約されました。
と、こんな感じでざっくりとした紹介でしたが、いかがだったでしょうか。今まで特に説明することなくバスのことを書いてましたが、やっぱり鉄道系のブログなわけですから、バスのことを知らない人も多いと思ったこともあって、ちょっとした解説記事を書きました。これによって、皆さんがちょっとでもバスの車種を見分けられるようになったらいいなと思います。
と、言うわけで今月最後の記事でした。
色々この夏もやることもありますが、そっちもぼちぼちやっていきます。
某アイドルのファッションリーダーTシャツが地味に欲しいです。
ではまた。