Side-A2日目です。
ここからは割合行程が一緒になることが多かったです。
2日目、ホテルからタクシーで津山の機関庫へ。今回合宿に参加した7人のうち2人は去年の春合宿でも津山に来たため、機関庫も1年ぶり2度目です。
踏切のところに入れ替えのキハ120が来ました。337号車なんですが、車番が消えそうになっていて、キハ120のところだけがきれいに残ってるので、形式のみが書かれているように見えます。
運転区はいつものラインナップ。一番手前のキハ120は美作江見行き、その隣のキハ47は快速岡山行き、その奥のキハ120は新見行き、その前にいるキハ40は津山行きと表示しているように見えます。
津山機関庫の中身は1枚目の奥からキハ33、キハ181、キハ58、キハ28、キハ52、D51、2枚目の手前から(D51、)DF50、DD13、DD15、DD51、DB10(入れ替え機)、DE50、DD16です。
このあとちょっと時間が無くなりかけながらも、集合写真を撮ったり土産を物色したりし、駅に戻ります。前回来たときあまり乗り換え時間がない間に駅から走って(または早歩きで)往復したんですが、案外駅から距離があるので、その分の余裕を見てそれなりに早めに出ました。
途中来た津山止の列車ですが、撮ったら傾いちゃいました。撮った時はそんな感じしなかったんですが、あとから見返したら盛大に傾いてました。
駅前に戻ってきたら、中鉄バスが出てきました。ブルーリボンエンブレム付きの結構年式のいってそうな車。ナンバーの分類番号が2桁な辺りに既に古さを感じます。
ここから姫新線で佐用へ。ちょっと兵庫に戻ります。
乗ったのは佐用行き快速。キハ120 336でした。とは言えこの列車、西勝間田しか通過しない列車のため、たった1駅西勝間田を通過するためだけに快速を名乗るのです。JR他社だと通過駅のある普通列車も普通に設定する(飯田線なんか顕著ですね、特に下地と船町)んですが、JR西に於いては他にも、例えば山陰線で玄武洞のみ通過する快速(ただ、あれは豊岡発城崎温泉行とかいうトンデモな短距離運用なので、ちょっと性格が違うかもしれません)とか、播但線の長谷だけ通過する快速とかいろいろあります。
さて、佐用に着きました。智頭線の駅名票はJR西式ですね。
智頭線ののりばに上がると、姫路方面のキハ122が止まってました。地味にまともに写真を撮ったことがない気がします。
ここからはスーパーはくとで鳥取まで。途中山陰満喫パスが効かない智頭までの切符を買い、そこからは特急自由席もパスのみで乗れるので、それを使います。編成は前からHOT7013、7036、7023、7042、7054、7004でした。智頭~鳥取間だけなら、去年の春合宿でも通ったルート(逆走ですが)です。
鳥取に着き、ここで若桜線に乗らない3人と分かれます。
鳥取駅のディスプレイがこの表示。この手のエラーは時折見ますね。全部WMPでやってるんでしょうか。
さてここからは鳥取から直通の若桜行きに乗ります。車両は隼ラッピングのWT3301でした。
途中八東にはワフ35000が保存されてました。ワフと言えばワフ29500の方がメジャーで保存車も多いです。その点、恐らく現存唯一のワフ35000だと思われます。
若桜に着くと、すぐに駅に保存されているC12 167とその牽引補助用のDD16 7が見えます。何気にDD16も貴重ですね。
こっちには留置中のWT3000形とJR四国から譲り受けたスロ12系。軽快気動車と新型客車の取り合わせは、ちょっと前の樽見線っぽくもありますね。
WT3301と若桜駅。若桜線は結構年季の入った駅舎が多いです。
さて、グッズを買って折り返します。
途中で雪山がきれいに見えるところがあります。ここは安部だったかな。
隼にはオロ12と北鉄ED30が保存されています。ED30はずっと除雪用として待機してましたが、使う機会がなくなり、平成22年に廃車となり、その後この地にやって来ました。後ろのオロ12はライダーハウス。隼の駅がライダーの聖地になっていることから設置されました。
さて、この列車も鳥取直通便、このまま鳥取まで乗り通します。途中の津ノ井ではスーパーいなばの通過と交換。そういえば、去年ここを通った時、智頭急HOT3500形の列車に乗って津ノ井で交換したのが若桜WT3000形(3300形だったような気もします)で、まるでJR線内とは思えなかったのを覚えてます。そういうのは関東の相直をよくやってる会社だと結構見ますね。関西地区では阪神電車線内で近鉄車と山陽車がすれ違うとかはありますね。
鳥取に着くと、宮本えりおヘッドマークのHOT3500形が2連で留置されてました。
構内は端の若桜車以外は全部朱色。もうこればっかりになりましたね。
ここで鳥取砂丘に向かう2人が離脱、既に鳥取で離脱していた3人のうち2人と共に鳥取砂丘へ急いでました。残った1人は鳥取砂丘に行かない2人(去年の春合宿に参加した2人です)と共に少し時間を潰します。とは言え、自分たち若桜に行った2人は昼食がまだだったので、2人だけ大丸の上で昼食をとりました。ほんとは鳥取城に行こうかとも思いましたが、時間的にちょっと余裕がなさそうなのもあり、結局諦めました。城プロ勢として、城には結構行きたくなったりするんですよね。城プロでは梨を片手に持ってますが、多分鳥取の特産っていうのと共に、兵糧攻めにあったのも関係してるんでしょうね。城内でカニバリズムまで起きた地獄絵図だったそうです。
駅に戻り、ここからはスーパーまつかぜで米子に行きます。キハ187-7、1007の編成でした。
米子に着くと向かい側に出雲市行きの115系オカG-06編成がいました。伯備線では見慣れたG編成ですが、そもそも電車自体を久しぶりに見ました。
キハ187-1007は連結器がゆがんでました。それから、この貫通扉の窓にある庇のようなものは何なんでしょうか。情報が出てきません。
やくもが来ました。デスティネーションキャンペーンのラッピング付き。このラッピングは恐らく全編成についていると思われます。
増結部です。簡易貫通型のクモハ381の500番代と、増解結対応のモハ380の500番代同士の併結。クモハのスカートは最近強化スカートに交換された車が多く、結構厳つくなっています。
側線にはキヤ143が。初めて見た気がします。
ここからは境線で境港へ。砂かけばばあのキハ47 2019とこなきじじいのキハ47 2004の2連でした。境線は10年以上ぶりです。前回乗った時はまだ米子空港の駅が大篠津の名前でした。
後藤総合の横を通ります。くろしお色の381系がたくさん留置されてました。奥の庫内にはキハ40系も。パテ補修中の車もいました。
境港に到着。ほんとに久しぶりです。
ただ、折り返しまで時間がなく、すぐに構内に戻り、乗ってきた列車で戻ります。
ちょっと見にくいんですが、途中でダルマを見ました。ダルマってだけなら結構見ますが、どうもこのダルマ、ワム60000かワム70000っぽいんですね。ワムハチなら多いですが、殊60000とか70000のとなるとなかなか見ません。しかも、ここから少し行ったところにもう1つありました。このあたりは地味にこういうのは多いようです。また、更にちょっと行ったところにはワム90000かテラ1かなんかのダルマも見ました。90000だったら元の車の数が多いのでまあ分かりますが、もしテラ1だったりした場合、とんでもなく貴重なものである可能性があります。テラ1は180両しか製造されず、しかも残っているのは1両のみ。それがもし残っているとなれば、とんでもないことになります。他の形式、例えばテム300なんかだったとしてもとんでもなく貴重なことには変わりありません。面白いものを見つけてしまいました。
空港の脇を通過します。滑走路の拡張に伴い、線路を移設したため、ここは大きくカーブしています。
さて、米子に戻ってきました。境線のりばの0番のりばではなく、5番のりばに着きました。
側線には後藤のDD51 1179がいました。この車、タブレットキャッチャーが残ってるんですね。更にタブレット防護の柵も残ってます。随分貴重な形態です。
さっきのキヤを近くから見ます。手前の建屋にラッセルの前が隠れちゃいました。
西出雲行きのオカG-07編成が来ました。
キハ47と並びます。奥には381系もいますし、横にはDD51も。こっちはまだ国鉄車が多いですね。
こういう表示がまだ残ってるんですね。国鉄の頃からずっと使ってそうです。駅構造も国鉄っぽいですしね。
381系が来ました。LEDと幕が混じってます。未だにL特急の表示があり、これはヘッドマークでもそうです。
ここで砂丘に行っていた4人と合流。ここからやくもで玉造温泉へ。クモハ381-502、モハ380-81、サハ381-229、クロ381-134の編成、4連単独でした。編成番号ってないんですね。
ここで日帰り入浴ができるホテルに行きます。当初は1時間ほどで行って帰ってきて快速で戻ることを考えていましたが、それをやるには時間が足りなすぎるということで、その50分くらい後の特急で戻る方針に変えました。
入浴を終え、ホテルの横はすぐに宍道湖畔となっているため、そこに出てみます。
向こう岸に見える松江の灯が湖面に反射しています。天気は良くない感じですね。
そのまま駅に戻り、ここからスーパーおき(だったと思います)で松江に戻ります。キハ187-11、12、1012の3連でした。
松江の駅に三江線の利用に関する看板がありました。最終運行に向けて臨時便が増発されてましたからね。そういえば、今日が運用最終日です。三江線、いままでありがとうございました。最初は口羽~浜原間が繋がっておらず、三江南線と三江北線に分かれていましたが、のちにその区間が開業し、今の三江線が出来上がりました。
松江の駅からは旅館まで歩き、荷物を置いてからコンビニで済ませた1人以外、かなり遅めの夕食を駅のラーメン屋で済ませました。
自分としては結構行ったことのあるところも多い日でしたが、もちろんすべてではないですし、新しい発見もあったので良かったです。
3日目に続きます。
それではまた。
ここからは割合行程が一緒になることが多かったです。
2日目、ホテルからタクシーで津山の機関庫へ。今回合宿に参加した7人のうち2人は去年の春合宿でも津山に来たため、機関庫も1年ぶり2度目です。
踏切のところに入れ替えのキハ120が来ました。337号車なんですが、車番が消えそうになっていて、キハ120のところだけがきれいに残ってるので、形式のみが書かれているように見えます。
運転区はいつものラインナップ。一番手前のキハ120は美作江見行き、その隣のキハ47は快速岡山行き、その奥のキハ120は新見行き、その前にいるキハ40は津山行きと表示しているように見えます。
津山機関庫の中身は1枚目の奥からキハ33、キハ181、キハ58、キハ28、キハ52、D51、2枚目の手前から(D51、)DF50、DD13、DD15、DD51、DB10(入れ替え機)、DE50、DD16です。
このあとちょっと時間が無くなりかけながらも、集合写真を撮ったり土産を物色したりし、駅に戻ります。前回来たときあまり乗り換え時間がない間に駅から走って(または早歩きで)往復したんですが、案外駅から距離があるので、その分の余裕を見てそれなりに早めに出ました。
途中来た津山止の列車ですが、撮ったら傾いちゃいました。撮った時はそんな感じしなかったんですが、あとから見返したら盛大に傾いてました。
駅前に戻ってきたら、中鉄バスが出てきました。ブルーリボンエンブレム付きの結構年式のいってそうな車。ナンバーの分類番号が2桁な辺りに既に古さを感じます。
ここから姫新線で佐用へ。ちょっと兵庫に戻ります。
乗ったのは佐用行き快速。キハ120 336でした。とは言えこの列車、西勝間田しか通過しない列車のため、たった1駅西勝間田を通過するためだけに快速を名乗るのです。JR他社だと通過駅のある普通列車も普通に設定する(飯田線なんか顕著ですね、特に下地と船町)んですが、JR西に於いては他にも、例えば山陰線で玄武洞のみ通過する快速(ただ、あれは豊岡発城崎温泉行とかいうトンデモな短距離運用なので、ちょっと性格が違うかもしれません)とか、播但線の長谷だけ通過する快速とかいろいろあります。
さて、佐用に着きました。智頭線の駅名票はJR西式ですね。
智頭線ののりばに上がると、姫路方面のキハ122が止まってました。地味にまともに写真を撮ったことがない気がします。
ここからはスーパーはくとで鳥取まで。途中山陰満喫パスが効かない智頭までの切符を買い、そこからは特急自由席もパスのみで乗れるので、それを使います。編成は前からHOT7013、7036、7023、7042、7054、7004でした。智頭~鳥取間だけなら、去年の春合宿でも通ったルート(逆走ですが)です。
鳥取に着き、ここで若桜線に乗らない3人と分かれます。
鳥取駅のディスプレイがこの表示。この手のエラーは時折見ますね。全部WMPでやってるんでしょうか。
さてここからは鳥取から直通の若桜行きに乗ります。車両は隼ラッピングのWT3301でした。
途中八東にはワフ35000が保存されてました。ワフと言えばワフ29500の方がメジャーで保存車も多いです。その点、恐らく現存唯一のワフ35000だと思われます。
若桜に着くと、すぐに駅に保存されているC12 167とその牽引補助用のDD16 7が見えます。何気にDD16も貴重ですね。
こっちには留置中のWT3000形とJR四国から譲り受けたスロ12系。軽快気動車と新型客車の取り合わせは、ちょっと前の樽見線っぽくもありますね。
WT3301と若桜駅。若桜線は結構年季の入った駅舎が多いです。
さて、グッズを買って折り返します。
途中で雪山がきれいに見えるところがあります。ここは安部だったかな。
隼にはオロ12と北鉄ED30が保存されています。ED30はずっと除雪用として待機してましたが、使う機会がなくなり、平成22年に廃車となり、その後この地にやって来ました。後ろのオロ12はライダーハウス。隼の駅がライダーの聖地になっていることから設置されました。
さて、この列車も鳥取直通便、このまま鳥取まで乗り通します。途中の津ノ井ではスーパーいなばの通過と交換。そういえば、去年ここを通った時、智頭急HOT3500形の列車に乗って津ノ井で交換したのが若桜WT3000形(3300形だったような気もします)で、まるでJR線内とは思えなかったのを覚えてます。そういうのは関東の相直をよくやってる会社だと結構見ますね。関西地区では阪神電車線内で近鉄車と山陽車がすれ違うとかはありますね。
鳥取に着くと、宮本えりおヘッドマークのHOT3500形が2連で留置されてました。
構内は端の若桜車以外は全部朱色。もうこればっかりになりましたね。
ここで鳥取砂丘に向かう2人が離脱、既に鳥取で離脱していた3人のうち2人と共に鳥取砂丘へ急いでました。残った1人は鳥取砂丘に行かない2人(去年の春合宿に参加した2人です)と共に少し時間を潰します。とは言え、自分たち若桜に行った2人は昼食がまだだったので、2人だけ大丸の上で昼食をとりました。ほんとは鳥取城に行こうかとも思いましたが、時間的にちょっと余裕がなさそうなのもあり、結局諦めました。城プロ勢として、城には結構行きたくなったりするんですよね。城プロでは梨を片手に持ってますが、多分鳥取の特産っていうのと共に、兵糧攻めにあったのも関係してるんでしょうね。城内でカニバリズムまで起きた地獄絵図だったそうです。
駅に戻り、ここからはスーパーまつかぜで米子に行きます。キハ187-7、1007の編成でした。
米子に着くと向かい側に出雲市行きの115系オカG-06編成がいました。伯備線では見慣れたG編成ですが、そもそも電車自体を久しぶりに見ました。
キハ187-1007は連結器がゆがんでました。それから、この貫通扉の窓にある庇のようなものは何なんでしょうか。情報が出てきません。
やくもが来ました。デスティネーションキャンペーンのラッピング付き。このラッピングは恐らく全編成についていると思われます。
増結部です。簡易貫通型のクモハ381の500番代と、増解結対応のモハ380の500番代同士の併結。クモハのスカートは最近強化スカートに交換された車が多く、結構厳つくなっています。
側線にはキヤ143が。初めて見た気がします。
ここからは境線で境港へ。砂かけばばあのキハ47 2019とこなきじじいのキハ47 2004の2連でした。境線は10年以上ぶりです。前回乗った時はまだ米子空港の駅が大篠津の名前でした。
後藤総合の横を通ります。くろしお色の381系がたくさん留置されてました。奥の庫内にはキハ40系も。パテ補修中の車もいました。
境港に到着。ほんとに久しぶりです。
ただ、折り返しまで時間がなく、すぐに構内に戻り、乗ってきた列車で戻ります。
ちょっと見にくいんですが、途中でダルマを見ました。ダルマってだけなら結構見ますが、どうもこのダルマ、ワム60000かワム70000っぽいんですね。ワムハチなら多いですが、殊60000とか70000のとなるとなかなか見ません。しかも、ここから少し行ったところにもう1つありました。このあたりは地味にこういうのは多いようです。また、更にちょっと行ったところにはワム90000かテラ1かなんかのダルマも見ました。90000だったら元の車の数が多いのでまあ分かりますが、もしテラ1だったりした場合、とんでもなく貴重なものである可能性があります。テラ1は180両しか製造されず、しかも残っているのは1両のみ。それがもし残っているとなれば、とんでもないことになります。他の形式、例えばテム300なんかだったとしてもとんでもなく貴重なことには変わりありません。面白いものを見つけてしまいました。
空港の脇を通過します。滑走路の拡張に伴い、線路を移設したため、ここは大きくカーブしています。
さて、米子に戻ってきました。境線のりばの0番のりばではなく、5番のりばに着きました。
側線には後藤のDD51 1179がいました。この車、タブレットキャッチャーが残ってるんですね。更にタブレット防護の柵も残ってます。随分貴重な形態です。
さっきのキヤを近くから見ます。手前の建屋にラッセルの前が隠れちゃいました。
西出雲行きのオカG-07編成が来ました。
キハ47と並びます。奥には381系もいますし、横にはDD51も。こっちはまだ国鉄車が多いですね。
こういう表示がまだ残ってるんですね。国鉄の頃からずっと使ってそうです。駅構造も国鉄っぽいですしね。
381系が来ました。LEDと幕が混じってます。未だにL特急の表示があり、これはヘッドマークでもそうです。
ここで砂丘に行っていた4人と合流。ここからやくもで玉造温泉へ。クモハ381-502、モハ380-81、サハ381-229、クロ381-134の編成、4連単独でした。編成番号ってないんですね。
ここで日帰り入浴ができるホテルに行きます。当初は1時間ほどで行って帰ってきて快速で戻ることを考えていましたが、それをやるには時間が足りなすぎるということで、その50分くらい後の特急で戻る方針に変えました。
入浴を終え、ホテルの横はすぐに宍道湖畔となっているため、そこに出てみます。
向こう岸に見える松江の灯が湖面に反射しています。天気は良くない感じですね。
そのまま駅に戻り、ここからスーパーおき(だったと思います)で松江に戻ります。キハ187-11、12、1012の3連でした。
松江の駅に三江線の利用に関する看板がありました。最終運行に向けて臨時便が増発されてましたからね。そういえば、今日が運用最終日です。三江線、いままでありがとうございました。最初は口羽~浜原間が繋がっておらず、三江南線と三江北線に分かれていましたが、のちにその区間が開業し、今の三江線が出来上がりました。
松江の駅からは旅館まで歩き、荷物を置いてからコンビニで済ませた1人以外、かなり遅めの夕食を駅のラーメン屋で済ませました。
自分としては結構行ったことのあるところも多い日でしたが、もちろんすべてではないですし、新しい発見もあったので良かったです。
3日目に続きます。
それではまた。