続きに入りましょう。
2日目、湯田中発は7:16。信州中野行きは3500系N8編成でした。
長野方を見るとかなり勾配があるのが分かります。山もきれいに見えますね。
この日は利用調査をしていました。
信州中野手前には木島線の跡が。平成14年に廃止になった木島線こと河東線。廃止から14年たちましたが、こうやってまだ名残があります。
信州中野に着きました。8500系が着き、3500系と並びます。東京時代は並びそうで並びませんでしたね。営団3000系の営業終了は平成6年、伊勢崎線と半蔵門線の直通開始は平成15年でした。
ここからは特急で長野へ。長野行きB特急スノーモンキーは2100系E2編成。車内はシートの向きが固定されており、ヨーロッパのICEやTGV、ICなどの座席を彷彿とさせます。ですが、湯田中方先頭車のクハ2150形のみはリクライニングも生きており、シートも回転できます。
昨日須坂にいた3500系O6編成はそのままの位置にいました。OSカーとED5001が解体されてしまったので、新たな須坂の主といった感じです。O6編成は廃車されてますから、もう移動することもないでしょうか。
須坂を出たところの留置線にはE1編成がいました。塗装変更したE2編成とは異なり、E1編成はN'EX時代のカラーを維持していますね。
千曲川を渡ります。善光寺平の真ん中を流れる千曲川はやがて犀川と合流して信濃川となり、そのまま越後平野を抜けて新潟で日本海に流れ込みますが、この地点でも既に大河といった感じです。
長野に着きました。E2編成を撮ります。
8500系T4編成が向かい側に止まっているので、それと並べて撮ります。この編成はスカートが設置されず、代わりに元からの先頭車のため、貫通扉があります。そのため、車番が前面帯中央部にあり、更に運転台上側の表示器もあります。
ここからJRの駅に向かいます。
しなの鉄道115系のS7編成がいました。昨日は撮れなかったので、ここで何とかカメラに収めることが出来ました。新信州色もいいですが、初代信州色もいいですね。何というか、電車の色、といった感じがします。
他のメンバーが電車をさらに撮りまくっているところで、自分だけ駅前のバスを撮りに行きます。
ブルーリボンシティハイブリッドがいました。特別塗装になっているようで、かなりシャープな塗分けです。少し東武グループっぽいかも?
アルピコのエルガが回ってきました。長電だけじゃなく、アルピコも顔を出すんですね。
2代RJと7Eの並びです。RJはこの後ブルーリボンシティハイブリッドの横に止められて留置されました。
ブルーリボンシティハイブリッドの公式側。何だか光が当たってかっこいいですね。
ボーっとしていたらアルピコのキュービックが。慌てて撮りました。逆T字窓になっているので近代的な印象を受けますが、折り戸なあたりはちょっと古めの印象も受ける、折衷的な車です。
ブルーリボンシティハイブリッドとRJの並び。同一メーカーの車ですが、サイズの違いが際立ちますね。
7Eが回ってきました。大都市部ではほとんど消えてしまった7E車ですが、地方に出るとまだ結構います。とは言え、実は都バスにもまだいるんですけどね。特に都バスの北営業所には、新7Eグループとは言え配置があり、たまに東京駅丸の内北口まで顔を出します。
駅前を行きかうバスたち。ほとんどアルピコですね。エアロスターが駅前に入ってくるところ。MP35でしょうか。MP38も結構各社に広がってきましたが、まだまだ35世代も多いです。この間の豊橋にも大量にいました。
ぐるりん号のポンチョです。最近のコミュニティバスやこういう市内循環バスはほとんど新型ポンチョになりました。
ああ、ジャーニーがこっち来なかった・・・向かってくると思ってたんですよ。全部が全部こっち来るわけじゃないのか・・・
新型エルガも来ました。アルピコは三菱系列もジェイ・バス系列も双方導入しているんでしょうか。それとも三菱は35世代で導入をやめたのかな?
その後ろは長電のエルガミオ。じきにRJを置き換えるかもですね。とは言っても、これは新型のエルガミオではないですが。
新型エルガが回ってきました。こうして見ると、やっぱりシャープでかっこいいです。
そろそろ構内に戻りましょう。
コンコースは明るく、かつてとはかなり印象が違います。こういうところでも、かつてとの違いを感じます。
おいこっととリゾートビューふるさとの表示が並びます。東は臨時快速が多いですね。
リゾートビューふるさとのHB-E300系第2編成。編成番号はないようですね。
115系S10編成が入ってきました。JRから115系が撤退したとしても、まだまだしなの鉄道編成が多く在籍しているので、そんなに少ない印象は受けません。
さっきのS7編成と211系が留置線で並びます。並ぶと言っても結構遠いですが。
こっちはHB-E300系と383系の並び。383系も何度か乗ったことがあります。車内から姨捨の夜景を眺めたのはいい思い出です。
さて、ここからリゾートビューふるさとに乗って南下します。
さっきのS7編成を車内から。幕は普通ワンマンのまま変わってません。
篠ノ井だったと思います。タキが構内に並びます。
段々姨捨に近づくにつれて、善光寺平が眼下に広がってきます。
スイッチバックをし、姨捨へ。ここで長時間停車です。
久々にここに来ました。少し向こうに靄がかかっていて、それがまたいい感じに見えます。
対向の211系が来ました。考えてみれば、定期の普通電車でもスイッチバックするわけですから、結構大変ですね。
姨捨の駅名票も特別製。初めからこのデザインだったのか、それとも観光地として確立されてからこういうデザインになったのか。
211系が発車していきました。向こうの景色と絡めて撮ってみます。
のりばには石碑がありました。これは前からありますね。
姨捨を発車。車内で売っていた信玄餅アイスを食べます。きな粉アイスに黒蜜と餅の入ったもので、きな粉に黒蜜がいいアクセントになり、そこに加わる餅の食感が楽しい一品でした。
松本に近づくにつれて山が見えてきます。上高地の山々でしょうか。山頂には雪が積もり、中々にきれいです。
松本に到着。発車票には臨時快速の文字がありますが、フォントサイズが小さいですね。それから、L特急はちゃんと表示されるようです。もうL特急を名乗っているのも東海のみで、しなのとひだ、しらさぎのみになりました。あ、しらさぎは一応西ですね。
中津川方面からの313系。313系も地味に結構東京の近くまで来ますね。一番近くは国府津でしょうか。その他にも熱海や甲府などにも姿を見せます。
E257系の付属編成が入れ換えてきました。クモハE257が顔を出します。簡易運転台しかないのにどうしてクモハを名乗るのか、正直よくわかりません。例えばモハ164の500番台やサシ481などは、入れ替え用簡易運転台があっても絶対にクとは名乗りません。JR東の独自基準なんでしょうか。
クモハE257とE353系の並びです。E353系は結構各地にいました。
今度はE351系とE353系の並び。すぐにE351系は引退しそうです。
211系が来ました。これは電連がありませんね。6連車は併結の必要性がないのでついてないんでしょう。
この電車は高尾行きでした。松本から高尾はかなり遠いですが、こういう電車は中央線では結構多いですね。高尾発長野行きが設定されたことも話題になりました。ただ、その長距離をオールロング車で乗り通したくはないですね。
E351系が来ました。引退するまでに撮っておかなければいけません。
そろそろ松本を出ます。列車は大糸線に入り、一路南小谷を目指します。
大糸線は篠ノ井線よりも更に山が近いです。車内では語り部のパフォーマンスも行われています。
穂高で長時間停車します。ここで少し駅から出ます。
穂高神社へ行きます。遷宮が行われてからあまり時間が経っていないのか、社殿は割合新しそうでした。
お参りをしてから駅に戻ります。また列車を撮り、そのまま車内に戻ります。
このまま南小谷に行くもんだと思って、穂高と信濃松川の間でデッキに出て走行音を録っていたら、どうやら他のメンバーの間で、時間がないため信濃松川で折り返すということに決まったらしく、他のメンバーが、自分の荷物まで持って客室から出てきました。慌てて列車を降りました。
信濃松川に着き、ここで松本行きを待ちます。
踏切警報器などが束ねられて置かれていました。
側線に止められた保線機械が妙に良かったので、写真を撮ってました。
駅舎内に掲げられた時刻表。それが貼ってある掲示板の上にJNRマークが残っています。Nにあたる場所だけ消して、JRを表現したんでしょうか。こういうのは初めて見ました。
松本行きが来ました。211系ナノN308編成。大糸線の今の車はE127系100番台のイメージがありますが、211系の運用もあったんですね。
大糸線と言えばスカイブルーの省型国電が大量にいました。スカイブルーになったのは20m車のみで、17m車はぶどう色のままでした。基本的に43系や41系がいて、低屋根車が多かった印象です。その中でもクモハ43810は特殊な存在。この車は4両のみ存在したクモハ43の流電合いの子と呼ばれる、半流形、ノーシルノーヘッダー、広窓という形態の車で、原番号で言うところの43038~43041の4両が該当します。このうち43038は戦災廃車になってしまい、43039以降が生き残りました。3両は飯田線に転属。そのうち43040と43041の2両は出力アップの上でクモハ53に編入され、それぞれ53007、53008に改番。そのまま飯田線に残りました。43039のみは低屋根化がなされて43810に改番したうえで大糸線に転属、のちにスカイブルーとなりました。なお、この車はのちに身延線に行ったようです。
この他にもクモハ54の押し込み式ベンチレーター装備車(元仙石線車でしょうか、しかも100番台、つまりモハ60からの改造車だったようです)やスカイブルーのクモハ40、サハ57からの改造車であるクハ55の300番台(しかもノーシルノーヘッダー車がいたというのも聞いたことがあります)など、特異な車両も多かったようです。クモユニ81003もクモユニ81唯一のスカイブルーとして有名でした。
この他、飯田線で有名な存在だったクモハユニ64000がぶどう色時代にここにいました。この頃は機関車代用として使われていたようで、平妻側にも貫通扉がありませんでした。のちに宇野線で運用されるために岡山に転属した際、不便だということで貫通扉が取り付けられました。その後に飯田線に転属、スカ色に塗り替えられました。
また、クハ16の中には霜取りパンタが取り付けられたものもいました。クハ16414だったと思います。ぱっと見クモハ11にしか見えない妙な車でした。
大糸線以外では、周辺線区で見ると、篠ノ井線では80系が、中央線では70系がそれぞれ活躍していました。まあ、70系や80系は新しすぎますから、省型とは言えませんけどね。中央東線などはモハ72の800番台を組み込んだ編成もあり、3扉セミクロスと4扉ロングの混結編成となっていました。73系と言えば屋根が高いですが、800番台は全体が低屋根化されたため、かなり変でした。モハ70の出力アップ車であるモハ71もおり、なかなか特殊な車両が多かったようです。クモヤ90の800番台もかなり多くの形態があり、これがまたかなり面白いのですが、流石に長くなりすぎるのでここで止めます。
松本に戻り、ここから上高地線で新島々へ。3000系3005F。運よく渕東なぎさラッピング編成でした。
上高地線の松本の駅名票はこういう感じなんですね。ちょっとJRっぽいです。
車内LCDに渕東なぎさがよく出てきます。東武の姫宮ななのような感じでしょうか。多分他の編成でもこうですね。
西松本の駅名票にもなぎさがいました。
渚はもちろんなぎさ仕様です。
新村にED30がいました。ライトアップされるのか、電飾のようなものが巻き付けられています。
奥にはモハ10形塗装の3003Fがいました。モハ10形と言えば、当時岳南や京福、新交など各地に出た、旧来の車両の足回りを流用してバス窓の小型車体を載せた日車標準車体の代表例。松電としても記念碑的な電車です。
カエルがいました。運用当時はかつての松電バスのような白地に赤と青のラインの入った塗装でしたが、運用末期に東急時代の緑一色に塗り替えられ、そのまま現在も保管されているようです。そういえば、西鉄宮地岳線にカエルの台車だけ行ったことがありましたね。20形が履いてましたが、元々軽量車体のカエル用に作られた台車、普通の電車であり、大牟田線から転属した車両である宮地岳線の車両に使い続けられるはずもなく、一応20形はそのまま最後まで使い切ったようですが、その後は西武から持ってきたFS342台車が使われてますね。なお、20形はカエルの台車を履いた時に新性能化したそうです。313形もそうですが、新性能化なんてよくやりますね。純粋にすごいと思います。
渕東もなぎさ仕様。別所線もそうでしたが、長野の鉄道は鉄むすを路線をあげてアピールしている感じがします。まあ、渕東なぎさは元から鉄むすだったわけではないですが。
新島々に到着。向かいには3001Fが留置されていました。
向こう側を見ると、島々まで続いていたころの面影がありました。
並べて撮ります。いい雰囲気ですね。
駅前にはアルピコのバス営業所があります。地域的に元々諏訪バスのものだったのかな。RJか初期のブルーリボンのような車もいます。ライト回りが白いため、なんとなく違和感を感じますが、おそらくその系統でしょうね。横のリアが見えている低公害車もその世代の車だと思います。
横には1世代前のセレガがずらり。この世代の車も最近見る機会が減ってきたので、これはこれで貴重です。
島々の駅舎がここに移築されています。かなり小ぢんまりとした駅舎です。
翻って今の新島々の駅舎はバスターミナルも入る立派なもの。上高地の玄関口としてその性格を遺憾なく発揮しています。
さて、なぎさトレインで帰ります。あ、新島々の駅名票撮り忘れた・・・
新村のさっきのカエルの奥に、木造のダルマがいました。行きにうまく撮れませんでしたが、帰りにリベンジ!でも結果はお察し・・・しょうがないですね。
ED30の各部を観察します。ボールドウィン製なんですね。大正15年製。思ったより古くありませんでした。
台車の上に電飾の制御装置か何かの入ったタッパーが。なんとなく生活感を感じます。そして、台車周りの装置や造形も興味深いです。
松本に帰ってきました。跨線橋からはE257系、E351系、E353系が並んで見えました。
0番のりば横にある留置線には211系と313系が留置されていました。
ここからは松本から特急に乗る組と、塩尻に先行し、塩尻から特急に乗る組に分かれました。自分は塩尻先行組。ここから茅野行きに乗ります。E127系モトA6編成。2連で来ましたが、それにかなりの乗客が乗り込み、車内は結局満員に。こういうのは何とかしてほしいです。まあ南松本で結構降りて余裕は出ましたけどね。
塩尻に到着。辰野行きにE127系のモトA8編成が入ってました。もう123系はいませんね。とは言っても、自分自身辰野線の123系に出会ったのは、スーパーあずさだったかに乗ってた時、既に日が暮れた中央線で突如すれ違ったのが唯一なんですけどね。
そういえば、E127系の100番台が機器更新されているのを初めて知りました。乗ってみたらお馴染みの東洋GTOではなく、IGBTになっていたのにはびっくりしました。
ここで昼食をとります。自分は知りませんでしたが、塩尻には有名な駅蕎麦屋があるんですね。改札内から入るには、扉が激狭で、ものすごく入りづらいという店です。でも改札外からでも食べられるので、そっちで食べます。頼んだのは鴨蕎麦に野沢菜昆布わさびトッピング。鴨がいい感じにうまみを出し、そこに野沢菜昆布わさびのシャキシャキ感とわさびの辛さがいいです。蕎麦もつゆと相性抜群。やっぱり長野に来たらそばは食べるべきですね。
その後、駅前に山賊焼きを買いに行きました。塩尻名物として売り出していましたが、案外見つけにくかったです。観光案内所で教えてもらった店に行くと、テイクアウトができるとのこと(というか、テイクアウトを目的として行ったわけですが)。メンバーで割り勘して2枚買いました。
さて、電車の時間が近づいたのでのりばに戻ります。
JR東式の駅名票ですが、東海カラーに途中からなります。こういうのは結構境界駅にありますね。
乗る電車が来ました。新宿行きスーパーあずさ22号はE351系モトS25編成とS5編成。おそらくこれがE351系に乗る最後の機会です。
振り子にものを言わせて結構飛ばします。GTOインバータの音も響かせながら中央線を疾走していきます。
車内でさっき買った山賊焼きを食べます。思ったより薄味で、でもサクサクに揚げられた衣とシンプルな醤油ベースの味付けがちょうどいい。1枚が大きいので、1枚を2人で分けましたが、それでも十分な量でした。
さて、電車は甲府に到着。ここで乗り換えのために降ります。
待っているとちばかいじが来ました。E257系500番台が特急とだけ出して来ました。
幕も特急千葉。単なる種別と化してます。車内は全席指定なのもあってか、かなりガラガラでした。のりばにはかなり人があふれてましたが、この差はすごいです。
自分たちは後続のかいじ118号に乗ります。モトM-104編成。こっちは9連ですが、やっぱり自由席を中心にかなり埋まってます。これで大月まで行きます。
車中から富士山が見えました。結構長い間見えてました。何ならスーパーあずさに乗っててもすでに見えてました。
大月に到着。ここからは新宿行きホリデー快速富士山に乗り換えます。かいじは大月で大量の乗客を乗せて発車していきました。自由席はかなり立ち客が出てました。
さて、ホリデー快速は189系トタM50編成。引退が発表されたからか、かなり色々なところでカメラを構えた人がいます。
自由席の車内はそういう事情と、マラソンが開催されたこともあってか完全に満員。立ち客が出ていても更に人が入ってくるという状況でした。
これに乗って八王子へ。新宿まで乗り通すことも考えましたが、八王子で降りることになりました。
車内のエアコン。これ、車両によって吹き出し口の形状が違うようです。
八王子に到着。発車票には快速新宿6両とあります。普通の快速みたい。
M50編成を見送ります。これがこの編成を見る最後だと思います。
ついでに横に止まっている205系5000番台も撮ります。E231系が入りましたから、これも段々減りますね。
ここで2人抜けるため、解散ということになりました。とは言えまだ5人います。
発車票に表示が出ました。今度は普通の快速と同じではなく、快速富士山マラソンと書かれた表示。発車時刻は出ませんが。
来たのは189系トタM51編成でした。この編成は直近で乗ってます。ハイランドから帰る時でした。メンバーの一部は9月に乗ったようです。この愛好会はこの編成に何か縁でもあるんでしょうか。
行先は快速新宿。こういうところは普通の快速みたいに見えます。
これで新宿へと戻りました。車内はほぼ埋まってましたが、5人全員着席できました。新宿で自分だけ方向が違ったので、ここで解散しました。
今回初の試みだった冬合宿。特に問題はなく全行程が終了しました。
なかなか面白いイベントでしたから、ぜひ来年以降も、と思います。
青山祭からまだ1か月も経ってませんが、イベントの報告でした。
それではまた。
2日目、湯田中発は7:16。信州中野行きは3500系N8編成でした。
長野方を見るとかなり勾配があるのが分かります。山もきれいに見えますね。
この日は利用調査をしていました。
信州中野手前には木島線の跡が。平成14年に廃止になった木島線こと河東線。廃止から14年たちましたが、こうやってまだ名残があります。
信州中野に着きました。8500系が着き、3500系と並びます。東京時代は並びそうで並びませんでしたね。営団3000系の営業終了は平成6年、伊勢崎線と半蔵門線の直通開始は平成15年でした。
ここからは特急で長野へ。長野行きB特急スノーモンキーは2100系E2編成。車内はシートの向きが固定されており、ヨーロッパのICEやTGV、ICなどの座席を彷彿とさせます。ですが、湯田中方先頭車のクハ2150形のみはリクライニングも生きており、シートも回転できます。
昨日須坂にいた3500系O6編成はそのままの位置にいました。OSカーとED5001が解体されてしまったので、新たな須坂の主といった感じです。O6編成は廃車されてますから、もう移動することもないでしょうか。
須坂を出たところの留置線にはE1編成がいました。塗装変更したE2編成とは異なり、E1編成はN'EX時代のカラーを維持していますね。
千曲川を渡ります。善光寺平の真ん中を流れる千曲川はやがて犀川と合流して信濃川となり、そのまま越後平野を抜けて新潟で日本海に流れ込みますが、この地点でも既に大河といった感じです。
長野に着きました。E2編成を撮ります。
8500系T4編成が向かい側に止まっているので、それと並べて撮ります。この編成はスカートが設置されず、代わりに元からの先頭車のため、貫通扉があります。そのため、車番が前面帯中央部にあり、更に運転台上側の表示器もあります。
ここからJRの駅に向かいます。
しなの鉄道115系のS7編成がいました。昨日は撮れなかったので、ここで何とかカメラに収めることが出来ました。新信州色もいいですが、初代信州色もいいですね。何というか、電車の色、といった感じがします。
他のメンバーが電車をさらに撮りまくっているところで、自分だけ駅前のバスを撮りに行きます。
ブルーリボンシティハイブリッドがいました。特別塗装になっているようで、かなりシャープな塗分けです。少し東武グループっぽいかも?
アルピコのエルガが回ってきました。長電だけじゃなく、アルピコも顔を出すんですね。
2代RJと7Eの並びです。RJはこの後ブルーリボンシティハイブリッドの横に止められて留置されました。
ブルーリボンシティハイブリッドの公式側。何だか光が当たってかっこいいですね。
ボーっとしていたらアルピコのキュービックが。慌てて撮りました。逆T字窓になっているので近代的な印象を受けますが、折り戸なあたりはちょっと古めの印象も受ける、折衷的な車です。
ブルーリボンシティハイブリッドとRJの並び。同一メーカーの車ですが、サイズの違いが際立ちますね。
7Eが回ってきました。大都市部ではほとんど消えてしまった7E車ですが、地方に出るとまだ結構います。とは言え、実は都バスにもまだいるんですけどね。特に都バスの北営業所には、新7Eグループとは言え配置があり、たまに東京駅丸の内北口まで顔を出します。
駅前を行きかうバスたち。ほとんどアルピコですね。エアロスターが駅前に入ってくるところ。MP35でしょうか。MP38も結構各社に広がってきましたが、まだまだ35世代も多いです。この間の豊橋にも大量にいました。
ぐるりん号のポンチョです。最近のコミュニティバスやこういう市内循環バスはほとんど新型ポンチョになりました。
ああ、ジャーニーがこっち来なかった・・・向かってくると思ってたんですよ。全部が全部こっち来るわけじゃないのか・・・
新型エルガも来ました。アルピコは三菱系列もジェイ・バス系列も双方導入しているんでしょうか。それとも三菱は35世代で導入をやめたのかな?
その後ろは長電のエルガミオ。じきにRJを置き換えるかもですね。とは言っても、これは新型のエルガミオではないですが。
新型エルガが回ってきました。こうして見ると、やっぱりシャープでかっこいいです。
そろそろ構内に戻りましょう。
コンコースは明るく、かつてとはかなり印象が違います。こういうところでも、かつてとの違いを感じます。
おいこっととリゾートビューふるさとの表示が並びます。東は臨時快速が多いですね。
リゾートビューふるさとのHB-E300系第2編成。編成番号はないようですね。
115系S10編成が入ってきました。JRから115系が撤退したとしても、まだまだしなの鉄道編成が多く在籍しているので、そんなに少ない印象は受けません。
さっきのS7編成と211系が留置線で並びます。並ぶと言っても結構遠いですが。
こっちはHB-E300系と383系の並び。383系も何度か乗ったことがあります。車内から姨捨の夜景を眺めたのはいい思い出です。
さて、ここからリゾートビューふるさとに乗って南下します。
さっきのS7編成を車内から。幕は普通ワンマンのまま変わってません。
篠ノ井だったと思います。タキが構内に並びます。
段々姨捨に近づくにつれて、善光寺平が眼下に広がってきます。
スイッチバックをし、姨捨へ。ここで長時間停車です。
久々にここに来ました。少し向こうに靄がかかっていて、それがまたいい感じに見えます。
対向の211系が来ました。考えてみれば、定期の普通電車でもスイッチバックするわけですから、結構大変ですね。
姨捨の駅名票も特別製。初めからこのデザインだったのか、それとも観光地として確立されてからこういうデザインになったのか。
211系が発車していきました。向こうの景色と絡めて撮ってみます。
のりばには石碑がありました。これは前からありますね。
姨捨を発車。車内で売っていた信玄餅アイスを食べます。きな粉アイスに黒蜜と餅の入ったもので、きな粉に黒蜜がいいアクセントになり、そこに加わる餅の食感が楽しい一品でした。
松本に近づくにつれて山が見えてきます。上高地の山々でしょうか。山頂には雪が積もり、中々にきれいです。
松本に到着。発車票には臨時快速の文字がありますが、フォントサイズが小さいですね。それから、L特急はちゃんと表示されるようです。もうL特急を名乗っているのも東海のみで、しなのとひだ、しらさぎのみになりました。あ、しらさぎは一応西ですね。
中津川方面からの313系。313系も地味に結構東京の近くまで来ますね。一番近くは国府津でしょうか。その他にも熱海や甲府などにも姿を見せます。
E257系の付属編成が入れ換えてきました。クモハE257が顔を出します。簡易運転台しかないのにどうしてクモハを名乗るのか、正直よくわかりません。例えばモハ164の500番台やサシ481などは、入れ替え用簡易運転台があっても絶対にクとは名乗りません。JR東の独自基準なんでしょうか。
クモハE257とE353系の並びです。E353系は結構各地にいました。
今度はE351系とE353系の並び。すぐにE351系は引退しそうです。
211系が来ました。これは電連がありませんね。6連車は併結の必要性がないのでついてないんでしょう。
この電車は高尾行きでした。松本から高尾はかなり遠いですが、こういう電車は中央線では結構多いですね。高尾発長野行きが設定されたことも話題になりました。ただ、その長距離をオールロング車で乗り通したくはないですね。
E351系が来ました。引退するまでに撮っておかなければいけません。
そろそろ松本を出ます。列車は大糸線に入り、一路南小谷を目指します。
大糸線は篠ノ井線よりも更に山が近いです。車内では語り部のパフォーマンスも行われています。
穂高で長時間停車します。ここで少し駅から出ます。
穂高神社へ行きます。遷宮が行われてからあまり時間が経っていないのか、社殿は割合新しそうでした。
お参りをしてから駅に戻ります。また列車を撮り、そのまま車内に戻ります。
このまま南小谷に行くもんだと思って、穂高と信濃松川の間でデッキに出て走行音を録っていたら、どうやら他のメンバーの間で、時間がないため信濃松川で折り返すということに決まったらしく、他のメンバーが、自分の荷物まで持って客室から出てきました。慌てて列車を降りました。
信濃松川に着き、ここで松本行きを待ちます。
踏切警報器などが束ねられて置かれていました。
側線に止められた保線機械が妙に良かったので、写真を撮ってました。
駅舎内に掲げられた時刻表。それが貼ってある掲示板の上にJNRマークが残っています。Nにあたる場所だけ消して、JRを表現したんでしょうか。こういうのは初めて見ました。
松本行きが来ました。211系ナノN308編成。大糸線の今の車はE127系100番台のイメージがありますが、211系の運用もあったんですね。
大糸線と言えばスカイブルーの省型国電が大量にいました。スカイブルーになったのは20m車のみで、17m車はぶどう色のままでした。基本的に43系や41系がいて、低屋根車が多かった印象です。その中でもクモハ43810は特殊な存在。この車は4両のみ存在したクモハ43の流電合いの子と呼ばれる、半流形、ノーシルノーヘッダー、広窓という形態の車で、原番号で言うところの43038~43041の4両が該当します。このうち43038は戦災廃車になってしまい、43039以降が生き残りました。3両は飯田線に転属。そのうち43040と43041の2両は出力アップの上でクモハ53に編入され、それぞれ53007、53008に改番。そのまま飯田線に残りました。43039のみは低屋根化がなされて43810に改番したうえで大糸線に転属、のちにスカイブルーとなりました。なお、この車はのちに身延線に行ったようです。
この他にもクモハ54の押し込み式ベンチレーター装備車(元仙石線車でしょうか、しかも100番台、つまりモハ60からの改造車だったようです)やスカイブルーのクモハ40、サハ57からの改造車であるクハ55の300番台(しかもノーシルノーヘッダー車がいたというのも聞いたことがあります)など、特異な車両も多かったようです。クモユニ81003もクモユニ81唯一のスカイブルーとして有名でした。
この他、飯田線で有名な存在だったクモハユニ64000がぶどう色時代にここにいました。この頃は機関車代用として使われていたようで、平妻側にも貫通扉がありませんでした。のちに宇野線で運用されるために岡山に転属した際、不便だということで貫通扉が取り付けられました。その後に飯田線に転属、スカ色に塗り替えられました。
また、クハ16の中には霜取りパンタが取り付けられたものもいました。クハ16414だったと思います。ぱっと見クモハ11にしか見えない妙な車でした。
大糸線以外では、周辺線区で見ると、篠ノ井線では80系が、中央線では70系がそれぞれ活躍していました。まあ、70系や80系は新しすぎますから、省型とは言えませんけどね。中央東線などはモハ72の800番台を組み込んだ編成もあり、3扉セミクロスと4扉ロングの混結編成となっていました。73系と言えば屋根が高いですが、800番台は全体が低屋根化されたため、かなり変でした。モハ70の出力アップ車であるモハ71もおり、なかなか特殊な車両が多かったようです。クモヤ90の800番台もかなり多くの形態があり、これがまたかなり面白いのですが、流石に長くなりすぎるのでここで止めます。
松本に戻り、ここから上高地線で新島々へ。3000系3005F。運よく渕東なぎさラッピング編成でした。
上高地線の松本の駅名票はこういう感じなんですね。ちょっとJRっぽいです。
車内LCDに渕東なぎさがよく出てきます。東武の姫宮ななのような感じでしょうか。多分他の編成でもこうですね。
西松本の駅名票にもなぎさがいました。
渚はもちろんなぎさ仕様です。
新村にED30がいました。ライトアップされるのか、電飾のようなものが巻き付けられています。
奥にはモハ10形塗装の3003Fがいました。モハ10形と言えば、当時岳南や京福、新交など各地に出た、旧来の車両の足回りを流用してバス窓の小型車体を載せた日車標準車体の代表例。松電としても記念碑的な電車です。
カエルがいました。運用当時はかつての松電バスのような白地に赤と青のラインの入った塗装でしたが、運用末期に東急時代の緑一色に塗り替えられ、そのまま現在も保管されているようです。そういえば、西鉄宮地岳線にカエルの台車だけ行ったことがありましたね。20形が履いてましたが、元々軽量車体のカエル用に作られた台車、普通の電車であり、大牟田線から転属した車両である宮地岳線の車両に使い続けられるはずもなく、一応20形はそのまま最後まで使い切ったようですが、その後は西武から持ってきたFS342台車が使われてますね。なお、20形はカエルの台車を履いた時に新性能化したそうです。313形もそうですが、新性能化なんてよくやりますね。純粋にすごいと思います。
渕東もなぎさ仕様。別所線もそうでしたが、長野の鉄道は鉄むすを路線をあげてアピールしている感じがします。まあ、渕東なぎさは元から鉄むすだったわけではないですが。
新島々に到着。向かいには3001Fが留置されていました。
向こう側を見ると、島々まで続いていたころの面影がありました。
並べて撮ります。いい雰囲気ですね。
駅前にはアルピコのバス営業所があります。地域的に元々諏訪バスのものだったのかな。RJか初期のブルーリボンのような車もいます。ライト回りが白いため、なんとなく違和感を感じますが、おそらくその系統でしょうね。横のリアが見えている低公害車もその世代の車だと思います。
横には1世代前のセレガがずらり。この世代の車も最近見る機会が減ってきたので、これはこれで貴重です。
島々の駅舎がここに移築されています。かなり小ぢんまりとした駅舎です。
翻って今の新島々の駅舎はバスターミナルも入る立派なもの。上高地の玄関口としてその性格を遺憾なく発揮しています。
さて、なぎさトレインで帰ります。あ、新島々の駅名票撮り忘れた・・・
新村のさっきのカエルの奥に、木造のダルマがいました。行きにうまく撮れませんでしたが、帰りにリベンジ!でも結果はお察し・・・しょうがないですね。
ED30の各部を観察します。ボールドウィン製なんですね。大正15年製。思ったより古くありませんでした。
台車の上に電飾の制御装置か何かの入ったタッパーが。なんとなく生活感を感じます。そして、台車周りの装置や造形も興味深いです。
松本に帰ってきました。跨線橋からはE257系、E351系、E353系が並んで見えました。
0番のりば横にある留置線には211系と313系が留置されていました。
ここからは松本から特急に乗る組と、塩尻に先行し、塩尻から特急に乗る組に分かれました。自分は塩尻先行組。ここから茅野行きに乗ります。E127系モトA6編成。2連で来ましたが、それにかなりの乗客が乗り込み、車内は結局満員に。こういうのは何とかしてほしいです。まあ南松本で結構降りて余裕は出ましたけどね。
塩尻に到着。辰野行きにE127系のモトA8編成が入ってました。もう123系はいませんね。とは言っても、自分自身辰野線の123系に出会ったのは、スーパーあずさだったかに乗ってた時、既に日が暮れた中央線で突如すれ違ったのが唯一なんですけどね。
そういえば、E127系の100番台が機器更新されているのを初めて知りました。乗ってみたらお馴染みの東洋GTOではなく、IGBTになっていたのにはびっくりしました。
ここで昼食をとります。自分は知りませんでしたが、塩尻には有名な駅蕎麦屋があるんですね。改札内から入るには、扉が激狭で、ものすごく入りづらいという店です。でも改札外からでも食べられるので、そっちで食べます。頼んだのは鴨蕎麦に野沢菜昆布わさびトッピング。鴨がいい感じにうまみを出し、そこに野沢菜昆布わさびのシャキシャキ感とわさびの辛さがいいです。蕎麦もつゆと相性抜群。やっぱり長野に来たらそばは食べるべきですね。
その後、駅前に山賊焼きを買いに行きました。塩尻名物として売り出していましたが、案外見つけにくかったです。観光案内所で教えてもらった店に行くと、テイクアウトができるとのこと(というか、テイクアウトを目的として行ったわけですが)。メンバーで割り勘して2枚買いました。
さて、電車の時間が近づいたのでのりばに戻ります。
JR東式の駅名票ですが、東海カラーに途中からなります。こういうのは結構境界駅にありますね。
乗る電車が来ました。新宿行きスーパーあずさ22号はE351系モトS25編成とS5編成。おそらくこれがE351系に乗る最後の機会です。
振り子にものを言わせて結構飛ばします。GTOインバータの音も響かせながら中央線を疾走していきます。
車内でさっき買った山賊焼きを食べます。思ったより薄味で、でもサクサクに揚げられた衣とシンプルな醤油ベースの味付けがちょうどいい。1枚が大きいので、1枚を2人で分けましたが、それでも十分な量でした。
さて、電車は甲府に到着。ここで乗り換えのために降ります。
待っているとちばかいじが来ました。E257系500番台が特急とだけ出して来ました。
幕も特急千葉。単なる種別と化してます。車内は全席指定なのもあってか、かなりガラガラでした。のりばにはかなり人があふれてましたが、この差はすごいです。
自分たちは後続のかいじ118号に乗ります。モトM-104編成。こっちは9連ですが、やっぱり自由席を中心にかなり埋まってます。これで大月まで行きます。
車中から富士山が見えました。結構長い間見えてました。何ならスーパーあずさに乗っててもすでに見えてました。
大月に到着。ここからは新宿行きホリデー快速富士山に乗り換えます。かいじは大月で大量の乗客を乗せて発車していきました。自由席はかなり立ち客が出てました。
さて、ホリデー快速は189系トタM50編成。引退が発表されたからか、かなり色々なところでカメラを構えた人がいます。
自由席の車内はそういう事情と、マラソンが開催されたこともあってか完全に満員。立ち客が出ていても更に人が入ってくるという状況でした。
これに乗って八王子へ。新宿まで乗り通すことも考えましたが、八王子で降りることになりました。
車内のエアコン。これ、車両によって吹き出し口の形状が違うようです。
八王子に到着。発車票には快速新宿6両とあります。普通の快速みたい。
M50編成を見送ります。これがこの編成を見る最後だと思います。
ついでに横に止まっている205系5000番台も撮ります。E231系が入りましたから、これも段々減りますね。
ここで2人抜けるため、解散ということになりました。とは言えまだ5人います。
発車票に表示が出ました。今度は普通の快速と同じではなく、快速富士山マラソンと書かれた表示。発車時刻は出ませんが。
来たのは189系トタM51編成でした。この編成は直近で乗ってます。ハイランドから帰る時でした。メンバーの一部は9月に乗ったようです。この愛好会はこの編成に何か縁でもあるんでしょうか。
行先は快速新宿。こういうところは普通の快速みたいに見えます。
これで新宿へと戻りました。車内はほぼ埋まってましたが、5人全員着席できました。新宿で自分だけ方向が違ったので、ここで解散しました。
今回初の試みだった冬合宿。特に問題はなく全行程が終了しました。
なかなか面白いイベントでしたから、ぜひ来年以降も、と思います。
青山祭からまだ1か月も経ってませんが、イベントの報告でした。
それではまた。