瑞雲!瑞雲!姉様!姉様!
江ノ電や北関東ローカル線の旅行記をアップしている者です。
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
テストが終わり、ようやっと夏休みに入りました。厳密にはまだ試験期間中ですが、私はもうテストが無いので夏休みも同然です。
夏休みは読者の皆様も、旅行に行く予定があるのではないでしょうか?
さて、今回は富士急行に先輩と乗って来たので、その時の様子を写真と重ねて紹介したいと思います。
旅のスタートは新宿駅。ここから中央線に乗って、富士急行の始発の大月を目指します。
乗る前にふと、こんな表示を発見しました。
歌謡曲で有名なあずさ2号です。この列車は新宿8時発の松本行ではなく、松本を6:08に出発する東京行です。
今は当然のように、下りの特急の号数は奇数、上りの特急の号数は偶数と決まっています。これは昭和53年のいわゆるゴーサントオ改正で決まったルールです。
しかし「あずさ2号」がリリースされた昭和52年当時は、下りから1号、2号、3号と順に付けていました。
下りの快速のホームに上ると、隣の特急ホームから189系の快速山梨富士3号。そして快速ホームにも215系のホリデー快速ビューやまなし号が止まっていました。
我々は混雑が予想されるこれらの列車には乗らず、E233系の特別快速で高尾へ。
これが予想に反して案外混んでいて、国分寺でやっと座ることが出来ました。
車窓で豊田電車区が見えたとき、10年前はここが201系で埋め尽くされていた光景を思い出しました。今やE233系に取って代わられました。置き換えのペースは本当に速かったですね。
以前話したように、森ノ宮では201系が電車区を埋めている光景を今でも日常的に見ることが出来ます。
高尾駅に到着。配線がこんな風になっているとは知りませんでした。どうやら1番ホームは行き止まりのようです。
ここからは211系の松本行各駅停車に乗り換え大月へ。長野所属の車両です。
高尾からは駅間距離がかなり長くなります。211系の本領発揮です。
特急の本数が多い区間において、高速性能を活かした逃げ足の速さで、後続の特急列車の運行をサポートしています。
もともと長野所属の115系の置き換えは、京浜東北線の209系を用いる予定だったそうですが、幕張・高崎所属の211系の転属によって置き換えられました。通勤型の209系は山岳路線での高速走行には明らかに向いていないので、211系にして正解だったと私は思います。
高尾から30分ほどで大月に到着。富士急行に乗りましょう!
大月駅の富士急行改札で、いきなりお出迎えがありました。
7月30日まで、富士急ハイランドは艦隊これくしょんこと艦これとコラボして、鎮守府祭りなるイベントを行っていました。期間中は名称も瑞雲ハイランドとする徹底ぶり!
富士急行も全面協力して、鎮守府祭りを盛り上げていました。
改札を抜けると、待っていたのは・・・
なんということでしょう。夢の国に子供たちを運んでいた京葉線の205系は、瑞雲ハイランドに提督たちを運ぶ仕事へ華麗にジョブチェンジを遂げました。
この205系改め6000系は、1編成を艦これラッピング車両として運行していました。
ヘッドマークには日向と最上。側面にも様々なキャラクターが描かれています。
車内広告も瑞雲ハイランドの宣伝一色でした。
内装はJR九州の車両のデザイン・内装を手掛ける水戸岡鋭治さんにより、木目調のものに改装されています。つり革のつり手の部分も木材が使われています。
この車両は昭和60年に山手線でデビューした量産先行車で、「田窓車」の愛称で呼ばれています。
平成17年に京葉線に転属、平成24年に富士急行にやって来ました。
JR時代とは別の車両のような印象を受けますが、ところどころ面影が残っています。
走行音は205系そのものです。
出発前、隣のホームには8500系(元JR371系)の富士山ビュー特急や、1000系(元京王5000系)の各駅停車が入って来ました。
8500系は本当に水戸岡先生の手により、別の車両に生まれ変わった感じがします。
6000系に乗って、目指すは富士急ハイランドもとい瑞雲ハイランド。
大月と瑞雲ハイランドの間で、およそ470メートルの標高差があります。
6000系はゆっくりと山登りをするかのように、走行します。
富士急行線は全線単線なので、列車交換でたびたび待たされます。
下吉田に展示されていた14系です。車番を確認したところ、スハネフ14-20でした。
富士山に近いことから、富士のテールマークを着けています。
しかし、この客車は富士に使われたことはありません。新製配置は品川客車区ですが、さくらやみずほの運用に就いていました。当時の富士は20系が使われていました。
その後尾久客車区に転属し、北陸で活躍したのち平成22年の北陸ラストランを迎えます。
この車両は最後の金沢行の最後尾に連結されていました。
他にも色々と言いたいことはありますが、長くなるのでまた別の記事で・・・
富士山で方向転換を行うと、すぐに瑞雲ハイランドに到着します。切符の発券の関係があるので、さすがに駅名表記は富士急ハイランドのままです。
駅まで艦これ一色です。駅員さんに窓口で記念品を頂いて、お目当ての記念切符を買おうとしたそのとき、残念な知らせが入って来ました。
なんと我々の目の前で記念切符が完売してしまったのです。
実はこの切符、2日間限定で大月と瑞雲ハイランドで販売されることになっていたのですが、私は当初大月で入手する計画を立てていました。
ところが大月では既に売り切れており、諦め半分で瑞雲ハイランドの販売ブースに行くとタッチの差で完売!
この1週間前に、ラブライブの記念切符が伊豆箱根鉄道で発売された際、瞬殺だったというニュースを聞いて他人事のように思っていましたが、まさか我が身に降りかかるとは・・・
慢心はダメ、ゼッタイ。
みなさんも記念切符を買うときは気をつけてください。
気を取り直して、目玉の実寸大瑞雲を見に行きます。
艦これの公式ツイッターがエイプリルフールネタで言ったことを、本当に実現させたそうです。
細部までこのように再現されています。
特設ステージに設置されていましたが、迫力があります。今にも飛び立ちそうですね。
スタッフの「ハイ、瑞雲!」の掛け声で記念撮影をしている提督の方が多く見受けられました。
みなさん専売グッズの緑のTシャツやハッピ(6000系のヘッドマークで最上と日向が着用している物です)を着ています。
瑞雲ハイランドでは、艦これのキャラクターの艦娘がアトラクションの看板娘として活躍しており、看板娘のスタンプを集めるスタンプラリーを開催していました。
スタンプラリーに参加することを、今回の主目的の1つとしていたのですが、スタンプ帳が売り切れてしまっていました。
奇しくも、この日は最終日だったので人手が多いのはある程度予想していましたが、私自身提督の皆様の行動力を甘く見ているところがありました。
慢心はダメ、絶対。(2回目)
仕方がないので、持参のメモ帳にスタンプを押して収集することにしました。
スタンプは全部で15個置かれていて、近くには艦娘の看板が置かれていました。
15人の看板娘を全部紹介したいところですが、それをやってしまうと何の愛好会のブログがわからなくなるので自重します。仮にもここは鉄道愛好会の公式ブログですからね。
印象に残った看板娘を何人か紹介したいと思います。
駆逐艦暁です。非常に人気の高い艦娘です。メリーゴーランドの前にスタンプが設置されており、芸の細かさを感じます。
スタンプ台の前に提督が列を作っていました。
暁がゲーム中に夜戦で活躍すると「さすが寝台特急!」とテンションが上がるのは恐らく私だけでしょう。
列車の方は廃止になってから今年で9年。私は小学生の時に京都駅で彗星・あかつきを見た記憶があります。
航空母艦赤城です。圧倒的な火力と耐久力を持つ彼女は一方で資源消費量も圧倒的です。
大喰らい・喰っちゃ寝のイメージが今や公式でも採用されています。
実はこの赤城、2年前に米軍公式動画になぜか出演したことがあります。
世界中にドヤ顔が公開された訳です。
やりました。
航空母艦、加賀です。絶叫アトラクションの高飛車の看板娘をしていました。
実は相棒の赤城より大喰らいだったりします。
重巡最上と戦艦日向です。この2人は瑞雲祭りを盛り上げるために大活躍でした。
日向はテンテコマイという自分で翼を操縦するアトラクションの看板娘を務めているのですが、なんとテンテコマイのライドが瑞雲仕様になっていました。
風を味方につけて、回転しないようにコントロールするアトラクションなのですが、1度でも回転するととんでもないスピードで回転を始めます。
上手くいくと空を飛んでいる気分を味わえますが、制御に失敗するとどこまでも回っていきます。
スタンプの収集が終わり、瑞雲前の広場に向かうと人だかりとステージが出来ていました。
見に行ってみると、艦これの声優さんによるスペシャルステージの準備中のようです。
声優さんが登場すると、提督のボルテージはMAXに。
「艦娘音頭を声優さんの生歌に合わせてみんなで踊ろう」という企画だったのですが、声優さんの「瑞雲!姉様!」の掛け声に合わせて提督も叫んでいました。
撮影と録音は禁止だったので熱気をそのまま伝えることは出来ませんが、大盛況のステージとなりました。
最後は声優さんの「ずい!」に合わせて一本締めを行いました。
ステージが終わった後は帰りの電車の時間まで、専売グッズを買ったりして時間を潰します。
私は6000系に着いていたヘッドマークと同じデザインのシールを購入しました。
電車の時間が来たので、名残惜しいですが瑞雲ハイランドを後にします。
快速山梨富士4号で一気に新宿へ。全車指定席の列車ですが、この日は提督の皆様のおかげで満席でした。
朝出発する際に、新宿で見送った3号の折り返しです。
この189系は国鉄色なので、豊田所属のM51編成です。
189系は6連4本が今も臨時列車で活躍を続けています。国鉄色・あずさ色・グレードアップあずさ色は豊田所属。あさま色は長野所属です。
平成初期に座席やトイレなどのアコモデーション改良が行われた車両ですが、座席番号の表記など国鉄時代を感じさせるものがあります。
実はこの189系。今年3月の485系定期運用の終了、4月の583系引退によって現役最古参の特急型車両になりました。私自身この事実にはビックリです。
このM51編成は全車両が昭和50年製。今年で42年目を迎えます。
長野新幹線開業前は11両や9両の長い編成で、上野と長野・直江津を行ったり来たりしていました。
今は6両となりましたが、在来線特急あさまの姿を伝えています。
あさまの名を引き継いだE2系N編成より長生きするとは思いもよりませんでした。
今年の夏もホリデー快速や臨時あずさ、ムーンライト信州にと大活躍です。
南木曽行きの木曽あずさに入るときは、神領電車区で夜間滞泊するそうです。
富士急行線内ではあまりスピードは出しません。ホームの長さの関係で、一部の停車駅でドアカットを行っていました。
列車交換では艦これラッピング仕様の6000系や、逆に貴重な存在になった富士急行色の1000系とすれ違いました。
大月の富士急行ホームには、あまりいい写真ではありませんが、マッターホルン・ゴッタルド鉄道カラーの6000系が止まっていました。
一瞬何の車両か本当にわかりませんでした。仙石線のマンガッタンライナーに見えました。
中央線に入ったら特急型らしく飛ばすかと思いきや、過密ダイヤの中に無理やりこの列車のダイヤを入れているので、ノロノロ運転の上、信号待ちの停車も頻繁にありました。
また古い車両なので、トンネルに入ると耳が痛くなります。これも醍醐味ですね。
最近は富士急行沿線を訪れる外国人観光客が多いことを受けて、JR線内では車掌さんが肉声で英語の車内放送を行っていました。
新宿到着前は鉄道唱歌のオルゴールが流れました。何気にこのオルゴールを聞くのも久しぶりな気がします。
485系の北越やいなほに乗った時は、車内チャイムは春の歌でした。
今は電子音チャイムが主流ですから、これまた貴重です。
新宿で撮った写真の数々です。撮影中、私の頭の中でひらめいたものがありました。
「もしかしたら、まだ”アレ”が残っているのではないか」と思い、先頭車両へ行くと、やはり残っていました。
見えにくいですが、右奥に丸型の物が見えます。
横川~軽井沢間の碓氷峠区間で、EF63と協調運転を行うために装着されていたKE70形のジャンパ連結器です。183系との最大の違いはこれですね。
EF63のジャンパ栓と繋ぐことによって、協調運転を行っていました。
この車両は1号車ですが、特急あさまは1号車が上野側の車両だったのでEF63と連結していました。(参照:JR時刻表平成8年11月号)
碓氷峠廃線から20年。189系は碓氷峠の記憶も今に伝えてくれる存在ですね。
新宿で先輩とは解散し、それぞれ帰宅しました。帰宅途中に日高屋で食事したら、富士急ハイランドのクーポンを頂きました。何とも言えないタイミングで吹き出しそうになりました。
今回はかなり艦これネタが多い記事となりました。「鉄道愛好会のブログでは?」という声も聞こえてきそうですが、観光の延長だと思ってみて頂けると嬉しいです。
個人的には記念入場券とスタンプ帳が入手できなかったのが残念でしたが、声優さんのライブを体験したり、色々な車両に見たり乗ったりしたので、大満足です。
今後もこのような記事があると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは失礼します。
江ノ電や北関東ローカル線の旅行記をアップしている者です。
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
テストが終わり、ようやっと夏休みに入りました。厳密にはまだ試験期間中ですが、私はもうテストが無いので夏休みも同然です。
夏休みは読者の皆様も、旅行に行く予定があるのではないでしょうか?
さて、今回は富士急行に先輩と乗って来たので、その時の様子を写真と重ねて紹介したいと思います。
旅のスタートは新宿駅。ここから中央線に乗って、富士急行の始発の大月を目指します。
乗る前にふと、こんな表示を発見しました。
歌謡曲で有名なあずさ2号です。この列車は新宿8時発の松本行ではなく、松本を6:08に出発する東京行です。
今は当然のように、下りの特急の号数は奇数、上りの特急の号数は偶数と決まっています。これは昭和53年のいわゆるゴーサントオ改正で決まったルールです。
しかし「あずさ2号」がリリースされた昭和52年当時は、下りから1号、2号、3号と順に付けていました。
下りの快速のホームに上ると、隣の特急ホームから189系の快速山梨富士3号。そして快速ホームにも215系のホリデー快速ビューやまなし号が止まっていました。
我々は混雑が予想されるこれらの列車には乗らず、E233系の特別快速で高尾へ。
これが予想に反して案外混んでいて、国分寺でやっと座ることが出来ました。
車窓で豊田電車区が見えたとき、10年前はここが201系で埋め尽くされていた光景を思い出しました。今やE233系に取って代わられました。置き換えのペースは本当に速かったですね。
以前話したように、森ノ宮では201系が電車区を埋めている光景を今でも日常的に見ることが出来ます。
高尾駅に到着。配線がこんな風になっているとは知りませんでした。どうやら1番ホームは行き止まりのようです。
ここからは211系の松本行各駅停車に乗り換え大月へ。長野所属の車両です。
高尾からは駅間距離がかなり長くなります。211系の本領発揮です。
特急の本数が多い区間において、高速性能を活かした逃げ足の速さで、後続の特急列車の運行をサポートしています。
もともと長野所属の115系の置き換えは、京浜東北線の209系を用いる予定だったそうですが、幕張・高崎所属の211系の転属によって置き換えられました。通勤型の209系は山岳路線での高速走行には明らかに向いていないので、211系にして正解だったと私は思います。
高尾から30分ほどで大月に到着。富士急行に乗りましょう!
大月駅の富士急行改札で、いきなりお出迎えがありました。
7月30日まで、富士急ハイランドは艦隊これくしょんこと艦これとコラボして、鎮守府祭りなるイベントを行っていました。期間中は名称も瑞雲ハイランドとする徹底ぶり!
富士急行も全面協力して、鎮守府祭りを盛り上げていました。
改札を抜けると、待っていたのは・・・
なんということでしょう。夢の国に子供たちを運んでいた京葉線の205系は、瑞雲ハイランドに提督たちを運ぶ仕事へ華麗にジョブチェンジを遂げました。
この205系改め6000系は、1編成を艦これラッピング車両として運行していました。
ヘッドマークには日向と最上。側面にも様々なキャラクターが描かれています。
車内広告も瑞雲ハイランドの宣伝一色でした。
内装はJR九州の車両のデザイン・内装を手掛ける水戸岡鋭治さんにより、木目調のものに改装されています。つり革のつり手の部分も木材が使われています。
この車両は昭和60年に山手線でデビューした量産先行車で、「田窓車」の愛称で呼ばれています。
平成17年に京葉線に転属、平成24年に富士急行にやって来ました。
JR時代とは別の車両のような印象を受けますが、ところどころ面影が残っています。
走行音は205系そのものです。
出発前、隣のホームには8500系(元JR371系)の富士山ビュー特急や、1000系(元京王5000系)の各駅停車が入って来ました。
8500系は本当に水戸岡先生の手により、別の車両に生まれ変わった感じがします。
6000系に乗って、目指すは富士急ハイランドもとい瑞雲ハイランド。
大月と瑞雲ハイランドの間で、およそ470メートルの標高差があります。
6000系はゆっくりと山登りをするかのように、走行します。
富士急行線は全線単線なので、列車交換でたびたび待たされます。
下吉田に展示されていた14系です。車番を確認したところ、スハネフ14-20でした。
富士山に近いことから、富士のテールマークを着けています。
しかし、この客車は富士に使われたことはありません。新製配置は品川客車区ですが、さくらやみずほの運用に就いていました。当時の富士は20系が使われていました。
その後尾久客車区に転属し、北陸で活躍したのち平成22年の北陸ラストランを迎えます。
この車両は最後の金沢行の最後尾に連結されていました。
他にも色々と言いたいことはありますが、長くなるのでまた別の記事で・・・
富士山で方向転換を行うと、すぐに瑞雲ハイランドに到着します。切符の発券の関係があるので、さすがに駅名表記は富士急ハイランドのままです。
駅まで艦これ一色です。駅員さんに窓口で記念品を頂いて、お目当ての記念切符を買おうとしたそのとき、残念な知らせが入って来ました。
なんと我々の目の前で記念切符が完売してしまったのです。
実はこの切符、2日間限定で大月と瑞雲ハイランドで販売されることになっていたのですが、私は当初大月で入手する計画を立てていました。
ところが大月では既に売り切れており、諦め半分で瑞雲ハイランドの販売ブースに行くとタッチの差で完売!
この1週間前に、ラブライブの記念切符が伊豆箱根鉄道で発売された際、瞬殺だったというニュースを聞いて他人事のように思っていましたが、まさか我が身に降りかかるとは・・・
慢心はダメ、ゼッタイ。
みなさんも記念切符を買うときは気をつけてください。
気を取り直して、目玉の実寸大瑞雲を見に行きます。
艦これの公式ツイッターがエイプリルフールネタで言ったことを、本当に実現させたそうです。
細部までこのように再現されています。
特設ステージに設置されていましたが、迫力があります。今にも飛び立ちそうですね。
スタッフの「ハイ、瑞雲!」の掛け声で記念撮影をしている提督の方が多く見受けられました。
みなさん専売グッズの緑のTシャツやハッピ(6000系のヘッドマークで最上と日向が着用している物です)を着ています。
瑞雲ハイランドでは、艦これのキャラクターの艦娘がアトラクションの看板娘として活躍しており、看板娘のスタンプを集めるスタンプラリーを開催していました。
スタンプラリーに参加することを、今回の主目的の1つとしていたのですが、スタンプ帳が売り切れてしまっていました。
奇しくも、この日は最終日だったので人手が多いのはある程度予想していましたが、私自身提督の皆様の行動力を甘く見ているところがありました。
慢心はダメ、絶対。(2回目)
仕方がないので、持参のメモ帳にスタンプを押して収集することにしました。
スタンプは全部で15個置かれていて、近くには艦娘の看板が置かれていました。
15人の看板娘を全部紹介したいところですが、それをやってしまうと何の愛好会のブログがわからなくなるので自重します。仮にもここは鉄道愛好会の公式ブログですからね。
印象に残った看板娘を何人か紹介したいと思います。
駆逐艦暁です。非常に人気の高い艦娘です。メリーゴーランドの前にスタンプが設置されており、芸の細かさを感じます。
スタンプ台の前に提督が列を作っていました。
暁がゲーム中に夜戦で活躍すると「さすが寝台特急!」とテンションが上がるのは恐らく私だけでしょう。
列車の方は廃止になってから今年で9年。私は小学生の時に京都駅で彗星・あかつきを見た記憶があります。
航空母艦赤城です。圧倒的な火力と耐久力を持つ彼女は一方で資源消費量も圧倒的です。
大喰らい・喰っちゃ寝のイメージが今や公式でも採用されています。
実はこの赤城、2年前に米軍公式動画になぜか出演したことがあります。
世界中にドヤ顔が公開された訳です。
やりました。
航空母艦、加賀です。絶叫アトラクションの高飛車の看板娘をしていました。
実は相棒の赤城より大喰らいだったりします。
重巡最上と戦艦日向です。この2人は瑞雲祭りを盛り上げるために大活躍でした。
日向はテンテコマイという自分で翼を操縦するアトラクションの看板娘を務めているのですが、なんとテンテコマイのライドが瑞雲仕様になっていました。
風を味方につけて、回転しないようにコントロールするアトラクションなのですが、1度でも回転するととんでもないスピードで回転を始めます。
上手くいくと空を飛んでいる気分を味わえますが、制御に失敗するとどこまでも回っていきます。
スタンプの収集が終わり、瑞雲前の広場に向かうと人だかりとステージが出来ていました。
見に行ってみると、艦これの声優さんによるスペシャルステージの準備中のようです。
声優さんが登場すると、提督のボルテージはMAXに。
「艦娘音頭を声優さんの生歌に合わせてみんなで踊ろう」という企画だったのですが、声優さんの「瑞雲!姉様!」の掛け声に合わせて提督も叫んでいました。
撮影と録音は禁止だったので熱気をそのまま伝えることは出来ませんが、大盛況のステージとなりました。
最後は声優さんの「ずい!」に合わせて一本締めを行いました。
ステージが終わった後は帰りの電車の時間まで、専売グッズを買ったりして時間を潰します。
私は6000系に着いていたヘッドマークと同じデザインのシールを購入しました。
電車の時間が来たので、名残惜しいですが瑞雲ハイランドを後にします。
快速山梨富士4号で一気に新宿へ。全車指定席の列車ですが、この日は提督の皆様のおかげで満席でした。
朝出発する際に、新宿で見送った3号の折り返しです。
この189系は国鉄色なので、豊田所属のM51編成です。
189系は6連4本が今も臨時列車で活躍を続けています。国鉄色・あずさ色・グレードアップあずさ色は豊田所属。あさま色は長野所属です。
平成初期に座席やトイレなどのアコモデーション改良が行われた車両ですが、座席番号の表記など国鉄時代を感じさせるものがあります。
実はこの189系。今年3月の485系定期運用の終了、4月の583系引退によって現役最古参の特急型車両になりました。私自身この事実にはビックリです。
このM51編成は全車両が昭和50年製。今年で42年目を迎えます。
長野新幹線開業前は11両や9両の長い編成で、上野と長野・直江津を行ったり来たりしていました。
今は6両となりましたが、在来線特急あさまの姿を伝えています。
あさまの名を引き継いだE2系N編成より長生きするとは思いもよりませんでした。
今年の夏もホリデー快速や臨時あずさ、ムーンライト信州にと大活躍です。
南木曽行きの木曽あずさに入るときは、神領電車区で夜間滞泊するそうです。
富士急行線内ではあまりスピードは出しません。ホームの長さの関係で、一部の停車駅でドアカットを行っていました。
列車交換では艦これラッピング仕様の6000系や、逆に貴重な存在になった富士急行色の1000系とすれ違いました。
大月の富士急行ホームには、あまりいい写真ではありませんが、マッターホルン・ゴッタルド鉄道カラーの6000系が止まっていました。
一瞬何の車両か本当にわかりませんでした。仙石線のマンガッタンライナーに見えました。
中央線に入ったら特急型らしく飛ばすかと思いきや、過密ダイヤの中に無理やりこの列車のダイヤを入れているので、ノロノロ運転の上、信号待ちの停車も頻繁にありました。
また古い車両なので、トンネルに入ると耳が痛くなります。これも醍醐味ですね。
最近は富士急行沿線を訪れる外国人観光客が多いことを受けて、JR線内では車掌さんが肉声で英語の車内放送を行っていました。
新宿到着前は鉄道唱歌のオルゴールが流れました。何気にこのオルゴールを聞くのも久しぶりな気がします。
485系の北越やいなほに乗った時は、車内チャイムは春の歌でした。
今は電子音チャイムが主流ですから、これまた貴重です。
新宿で撮った写真の数々です。撮影中、私の頭の中でひらめいたものがありました。
「もしかしたら、まだ”アレ”が残っているのではないか」と思い、先頭車両へ行くと、やはり残っていました。
見えにくいですが、右奥に丸型の物が見えます。
横川~軽井沢間の碓氷峠区間で、EF63と協調運転を行うために装着されていたKE70形のジャンパ連結器です。183系との最大の違いはこれですね。
EF63のジャンパ栓と繋ぐことによって、協調運転を行っていました。
この車両は1号車ですが、特急あさまは1号車が上野側の車両だったのでEF63と連結していました。(参照:JR時刻表平成8年11月号)
碓氷峠廃線から20年。189系は碓氷峠の記憶も今に伝えてくれる存在ですね。
新宿で先輩とは解散し、それぞれ帰宅しました。帰宅途中に日高屋で食事したら、富士急ハイランドのクーポンを頂きました。何とも言えないタイミングで吹き出しそうになりました。
今回はかなり艦これネタが多い記事となりました。「鉄道愛好会のブログでは?」という声も聞こえてきそうですが、観光の延長だと思ってみて頂けると嬉しいです。
個人的には記念入場券とスタンプ帳が入手できなかったのが残念でしたが、声優さんのライブを体験したり、色々な車両に見たり乗ったりしたので、大満足です。
今後もこのような記事があると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは失礼します。