青山学院大学鉄道同好会公式ブログ

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juillet 2017

瑞雲!瑞雲!姉様!姉様!

江ノ電や北関東ローカル線の旅行記をアップしている者です。
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
テストが終わり、ようやっと夏休みに入りました。厳密にはまだ試験期間中ですが、私はもうテストが無いので夏休みも同然です。
夏休みは読者の皆様も、旅行に行く予定があるのではないでしょうか?

さて、今回は富士急行に先輩と乗って来たので、その時の様子を写真と重ねて紹介したいと思います。
旅のスタートは新宿駅。ここから中央線に乗って、富士急行の始発の大月を目指します。
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乗る前にふと、こんな表示を発見しました。
歌謡曲で有名なあずさ2号です。この列車は新宿8時発の松本行ではなく、松本を6:08に出発する東京行です。
今は当然のように、下りの特急の号数は奇数、上りの特急の号数は偶数と決まっています。これは昭和53年のいわゆるゴーサントオ改正で決まったルールです。
しかし「あずさ2号」がリリースされた昭和52年当時は、下りから1号、2号、3号と順に付けていました。
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下りの快速のホームに上ると、隣の特急ホームから189系の快速山梨富士3号。そして快速ホームにも215系のホリデー快速ビューやまなし号が止まっていました。
我々は混雑が予想されるこれらの列車には乗らず、E233系の特別快速で高尾へ。
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これが予想に反して案外混んでいて、国分寺でやっと座ることが出来ました。
車窓で豊田電車区が見えたとき、10年前はここが201系で埋め尽くされていた光景を思い出しました。今やE233系に取って代わられました。置き換えのペースは本当に速かったですね。
以前話したように、森ノ宮では201系が電車区を埋めている光景を今でも日常的に見ることが出来ます。
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高尾駅に到着。配線がこんな風になっているとは知りませんでした。どうやら1番ホームは行き止まりのようです。
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ここからは211系の松本行各駅停車に乗り換え大月へ。長野所属の車両です。
高尾からは駅間距離がかなり長くなります。211系の本領発揮です。
特急の本数が多い区間において、高速性能を活かした逃げ足の速さで、後続の特急列車の運行をサポートしています。
もともと長野所属の115系の置き換えは、京浜東北線の209系を用いる予定だったそうですが、幕張・高崎所属の211系の転属によって置き換えられました。通勤型の209系は山岳路線での高速走行には明らかに向いていないので、211系にして正解だったと私は思います。
高尾から30分ほどで大月に到着。富士急行に乗りましょう!
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大月駅の富士急行改札で、いきなりお出迎えがありました。
7月30日まで、富士急ハイランドは艦隊これくしょんこと艦これとコラボして、鎮守府祭りなるイベントを行っていました。期間中は名称も瑞雲ハイランドとする徹底ぶり!
富士急行も全面協力して、鎮守府祭りを盛り上げていました。
改札を抜けると、待っていたのは・・・
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なんということでしょう。夢の国に子供たちを運んでいた京葉線の205系は、瑞雲ハイランドに提督たちを運ぶ仕事へ華麗にジョブチェンジを遂げました。
この205系改め6000系は、1編成を艦これラッピング車両として運行していました。
ヘッドマークには日向と最上。側面にも様々なキャラクターが描かれています。
車内広告も瑞雲ハイランドの宣伝一色でした。
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内装はJR九州の車両のデザイン・内装を手掛ける水戸岡鋭治さんにより、木目調のものに改装されています。つり革のつり手の部分も木材が使われています。
この車両は昭和60年に山手線でデビューした量産先行車で、「田窓車」の愛称で呼ばれています。
平成17年に京葉線に転属、平成24年に富士急行にやって来ました。
JR時代とは別の車両のような印象を受けますが、ところどころ面影が残っています。
走行音は205系そのものです。
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出発前、隣のホームには8500系(元JR371系)の富士山ビュー特急や、1000系(元京王5000系)の各駅停車が入って来ました。
8500系は本当に水戸岡先生の手により、別の車両に生まれ変わった感じがします。
6000系に乗って、目指すは富士急ハイランドもとい瑞雲ハイランド。
大月と瑞雲ハイランドの間で、およそ470メートルの標高差があります。
6000系はゆっくりと山登りをするかのように、走行します。
富士急行線は全線単線なので、列車交換でたびたび待たされます。
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下吉田に展示されていた14系です。車番を確認したところ、スハネフ14-20でした。
富士山に近いことから、富士のテールマークを着けています。
しかし、この客車は富士に使われたことはありません。新製配置は品川客車区ですが、さくらやみずほの運用に就いていました。当時の富士は20系が使われていました。
その後尾久客車区に転属し、北陸で活躍したのち平成22年の北陸ラストランを迎えます。
この車両は最後の金沢行の最後尾に連結されていました。
他にも色々と言いたいことはありますが、長くなるのでまた別の記事で・・・

富士山で方向転換を行うと、すぐに瑞雲ハイランドに到着します。切符の発券の関係があるので、さすがに駅名表記は富士急ハイランドのままです。
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駅まで艦これ一色です。駅員さんに窓口で記念品を頂いて、お目当ての記念切符を買おうとしたそのとき、残念な知らせが入って来ました。
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なんと我々の目の前で記念切符が完売してしまったのです。
実はこの切符、2日間限定で大月と瑞雲ハイランドで販売されることになっていたのですが、私は当初大月で入手する計画を立てていました。
ところが大月では既に売り切れており、諦め半分で瑞雲ハイランドの販売ブースに行くとタッチの差で完売!
この1週間前に、ラブライブの記念切符が伊豆箱根鉄道で発売された際、瞬殺だったというニュースを聞いて他人事のように思っていましたが、まさか我が身に降りかかるとは・・・
慢心はダメ、ゼッタイ。
みなさんも記念切符を買うときは気をつけてください。

気を取り直して、目玉の実寸大瑞雲を見に行きます。
艦これの公式ツイッターがエイプリルフールネタで言ったことを、本当に実現させたそうです。
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細部までこのように再現されています。
特設ステージに設置されていましたが、迫力があります。今にも飛び立ちそうですね。
スタッフの「ハイ、瑞雲!」の掛け声で記念撮影をしている提督の方が多く見受けられました。
みなさん専売グッズの緑のTシャツやハッピ(6000系のヘッドマークで最上と日向が着用している物です)を着ています。
瑞雲ハイランドでは、艦これのキャラクターの艦娘がアトラクションの看板娘として活躍しており、看板娘のスタンプを集めるスタンプラリーを開催していました。
スタンプラリーに参加することを、今回の主目的の1つとしていたのですが、スタンプ帳が売り切れてしまっていました。
奇しくも、この日は最終日だったので人手が多いのはある程度予想していましたが、私自身提督の皆様の行動力を甘く見ているところがありました。
慢心はダメ、絶対。(2回目)

仕方がないので、持参のメモ帳にスタンプを押して収集することにしました。
スタンプは全部で15個置かれていて、近くには艦娘の看板が置かれていました。
15人の看板娘を全部紹介したいところですが、それをやってしまうと何の愛好会のブログがわからなくなるので自重します。仮にもここは鉄道愛好会の公式ブログですからね。
印象に残った看板娘を何人か紹介したいと思います。
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駆逐艦暁です。非常に人気の高い艦娘です。メリーゴーランドの前にスタンプが設置されており、芸の細かさを感じます。
スタンプ台の前に提督が列を作っていました。
暁がゲーム中に夜戦で活躍すると「さすが寝台特急!」とテンションが上がるのは恐らく私だけでしょう。
列車の方は廃止になってから今年で9年。私は小学生の時に京都駅で彗星・あかつきを見た記憶があります。
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航空母艦赤城です。圧倒的な火力と耐久力を持つ彼女は一方で資源消費量も圧倒的です。
大喰らい・喰っちゃ寝のイメージが今や公式でも採用されています。
実はこの赤城、2年前に米軍公式動画になぜか出演したことがあります。
世界中にドヤ顔が公開された訳です。
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やりました。
航空母艦、加賀です。絶叫アトラクションの高飛車の看板娘をしていました。
実は相棒の赤城より大喰らいだったりします。
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重巡最上と戦艦日向です。この2人は瑞雲祭りを盛り上げるために大活躍でした。
日向はテンテコマイという自分で翼を操縦するアトラクションの看板娘を務めているのですが、なんとテンテコマイのライドが瑞雲仕様になっていました。
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風を味方につけて、回転しないようにコントロールするアトラクションなのですが、1度でも回転するととんでもないスピードで回転を始めます。
上手くいくと空を飛んでいる気分を味わえますが、制御に失敗するとどこまでも回っていきます。
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スタンプの収集が終わり、瑞雲前の広場に向かうと人だかりとステージが出来ていました。
見に行ってみると、艦これの声優さんによるスペシャルステージの準備中のようです。
声優さんが登場すると、提督のボルテージはMAXに。
「艦娘音頭を声優さんの生歌に合わせてみんなで踊ろう」という企画だったのですが、声優さんの「瑞雲!姉様!」の掛け声に合わせて提督も叫んでいました。
撮影と録音は禁止だったので熱気をそのまま伝えることは出来ませんが、大盛況のステージとなりました。
最後は声優さんの「ずい!」に合わせて一本締めを行いました。

ステージが終わった後は帰りの電車の時間まで、専売グッズを買ったりして時間を潰します。
私は6000系に着いていたヘッドマークと同じデザインのシールを購入しました。
電車の時間が来たので、名残惜しいですが瑞雲ハイランドを後にします。
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快速山梨富士4号で一気に新宿へ。全車指定席の列車ですが、この日は提督の皆様のおかげで満席でした。
朝出発する際に、新宿で見送った3号の折り返しです。
この189系は国鉄色なので、豊田所属のM51編成です。
189系は6連4本が今も臨時列車で活躍を続けています。国鉄色・あずさ色・グレードアップあずさ色は豊田所属。あさま色は長野所属です。
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平成初期に座席やトイレなどのアコモデーション改良が行われた車両ですが、座席番号の表記など国鉄時代を感じさせるものがあります。
実はこの189系。今年3月の485系定期運用の終了、4月の583系引退によって現役最古参の特急型車両になりました。私自身この事実にはビックリです。
このM51編成は全車両が昭和50年製。今年で42年目を迎えます。
長野新幹線開業前は11両や9両の長い編成で、上野と長野・直江津を行ったり来たりしていました。
今は6両となりましたが、在来線特急あさまの姿を伝えています。
あさまの名を引き継いだE2系N編成より長生きするとは思いもよりませんでした。
今年の夏もホリデー快速や臨時あずさ、ムーンライト信州にと大活躍です。
南木曽行きの木曽あずさに入るときは、神領電車区で夜間滞泊するそうです。

富士急行線内ではあまりスピードは出しません。ホームの長さの関係で、一部の停車駅でドアカットを行っていました。
列車交換では艦これラッピング仕様の6000系や、逆に貴重な存在になった富士急行色の1000系とすれ違いました。
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大月の富士急行ホームには、あまりいい写真ではありませんが、マッターホルン・ゴッタルド鉄道カラーの6000系が止まっていました。
一瞬何の車両か本当にわかりませんでした。仙石線のマンガッタンライナーに見えました。
中央線に入ったら特急型らしく飛ばすかと思いきや、過密ダイヤの中に無理やりこの列車のダイヤを入れているので、ノロノロ運転の上、信号待ちの停車も頻繁にありました。
また古い車両なので、トンネルに入ると耳が痛くなります。これも醍醐味ですね。
最近は富士急行沿線を訪れる外国人観光客が多いことを受けて、JR線内では車掌さんが肉声で英語の車内放送を行っていました。
新宿到着前は鉄道唱歌のオルゴールが流れました。何気にこのオルゴールを聞くのも久しぶりな気がします。
485系の北越やいなほに乗った時は、車内チャイムは春の歌でした。
今は電子音チャイムが主流ですから、これまた貴重です。
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新宿で撮った写真の数々です。撮影中、私の頭の中でひらめいたものがありました。
「もしかしたら、まだ”アレ”が残っているのではないか」と思い、先頭車両へ行くと、やはり残っていました。
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見えにくいですが、右奥に丸型の物が見えます。
横川~軽井沢間の碓氷峠区間で、EF63と協調運転を行うために装着されていたKE70形のジャンパ連結器です。183系との最大の違いはこれですね。
EF63のジャンパ栓と繋ぐことによって、協調運転を行っていました。
この車両は1号車ですが、特急あさまは1号車が上野側の車両だったのでEF63と連結していました。(参照:JR時刻表平成8年11月号)
碓氷峠廃線から20年。189系は碓氷峠の記憶も今に伝えてくれる存在ですね。
新宿で先輩とは解散し、それぞれ帰宅しました。帰宅途中に日高屋で食事したら、富士急ハイランドのクーポンを頂きました。何とも言えないタイミングで吹き出しそうになりました。

今回はかなり艦これネタが多い記事となりました。「鉄道愛好会のブログでは?」という声も聞こえてきそうですが、観光の延長だと思ってみて頂けると嬉しいです。
個人的には記念入場券とスタンプ帳が入手できなかったのが残念でしたが、声優さんのライブを体験したり、色々な車両に見たり乗ったりしたので、大満足です。
今後もこのような記事があると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは失礼します。
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試験期間に入りましたが、自分の試験は全て終わりました。
レポートが残ってます。
だったらレポートを先に書けという声が聞こえてきそうですが、息抜きということにしておいてください。

今回は、今から1年とちょっと前、去年の7月上旬に行った、白河までの日帰り旅をレポートします。
当時、1限の前半45分だけ授業があり、その日はそれでお終いという曜日があり、この日もそれに該当していました。それならば、帰りしなにどこか遠くへ行きたい、となりまして、だったら白河に行こうということで、決行した次第です。いやー、我ながらなかなかにロックなことをしたなあ、と・・・
表参道から千代田線で二重橋前に出まして、東京駅まで歩いてから、構内で昼を買いました。買ったのは柿の葉寿司。手軽に食べられるので、これくらいがちょうどいいですが、東北に行くのに関西のものとはこれいかに。
とりあえずUTLに乗って、北を目指します。来たのは小金井行き。E231系だったかな。
小金井に着くと11時ごろ。この後の電車が宇都宮行きなので、それに乗り換えます。確かE233系。
宇都宮では、乗り継ぎ時間が20分ほどあったので、飲み物などを買いました。
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構内には205系だらけ。前回来たときはまだ107系が現役のころだったので、大分間が空きました。
あの頃は、まだ黒磯行きの211系とかいたなあ・・・(遠い目)
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やっと動き出した宇都宮のLRT計画。会社が立ち上がって、いよいよ本格始動といった感じですね。
富山や宇都宮に続け、といった風に、他の都市でも導入が相次げばいいのですが、そうそううまくいかない感じですね。
さて、黒磯行きが来ました。205系ヤマY4編成。
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どうやら高校かの下校時刻に重なったらしく、生徒たちで座席が埋まり、立ち客も出ていました。
柿の葉寿司は立って食べました。安定のおいしさです。サバと鮭だったかな。奈良の保存の知恵ですね。東北関係ないけど。
発車までに食べ終え、ゴミはひとまず鞄へ。
電車は北に向かいます。宝積寺だったか矢板だったかからは座れました。
黒磯に着きました。黒磯でも少し時間はありますが、やることはないので、そのまま郡山行きに乗り換えます。
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そうそう、ヤマY4編成はラッピング車でした。この時はデスティネーションキャンペーンでもやってたのかな。
さて、ここからいよいよ交流区間に入ります。
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黒磯ももう完全直流化が迫ってますから、この光景も今後は貴重になります。それも考えて、駅名票とE721系をパシャリ。直流化後はE531系が運用されるようですが、新白河までしか行かないという可能性もあるので、この郡山行き自体、残るかどうかわかりません。
隣のホームがにわかにざわざわしだしました。駅員さんが集まり、通過放送が流れました。
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来たのはカシオペア。この時はまだ北海道にも顔を出してたと思います。
EF510がEF81を置き換えたと思ったら、EF81に置き換え返されましたからね。むしろEF510時代の方が貴重になりました。
さて、郡山行きに乗って発車を待ちます。E721系センP43編成。この編成、0番台の最後から2番目の編成なんですね、知りませんでした。
時間となり、発車しました。自分以外に人が乗っているかどうかという具合です。ボックスシートも選り取り見取り。
このまま北上し、ついに白坂で福島県に入りました。学校の帰りに東北地方。非日常体験です。
そのままのガラガラ具合で白河に到着しました。
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この時点で2時過ぎ。4時間以上かかりました。まあでも福島県まで来ましたからね。
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駅前に大分年式の古そうなJRバスがいました。日野か三菱かの昭和60年代から平成一桁代の年式の前後ドア車ですね。考えてみたらこれ、白棚線のバスかもしれませんね。元々国鉄の鉄道線でしたが、戦時中の不要不急線に指定されたかで廃線となり、以降はバス路線になってます。かつてと同じ白河~磐城棚倉間を結んでますが、確かJRバス関東の管轄なんですよね。
雨がずっと降ってます。小雨ではありますが、傘を差します。
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趣のある駅舎です。新幹線ができた今では、白河の玄関口は新白河になりましたが、こっちが昔からの玄関口です。かつては急行も止まりました。特急も止まってたかな。
それから、自衛隊とか参院選とかのポスターが、妙に漫画チックなデザインでした。福島はそういうの多いんですかね。でも、考えてみれば福島ガイナックスのおひざ元ですね。自衛隊のポスターは各地本がこういうポスターを作ってますが。
さて、なんやかんやで1時間くらいしか滞在できないので、駅チカの観光地へと向かいます。
駅舎とは線路を挟んで反対側にあります。線路をくぐる道があるので、そこをくぐって少し行くと、もう着きました。
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白河城、またの名を小峰城です。
城山公園は駅からすぐのところにあるので、白河に来たらここだけでも来た方がいいですね。
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中はこんな風に、公園として整備されてます。本丸は既にありません。
ちなみに、盛岡城、鶴ヶ城と並んで東北三名城のうちの一つだそうです。
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震災で石垣の一部が崩壊したそうで、復旧工事をやってました。
復旧したところから公開を再開しているようで、工事中の場所はまだ囲いがありますね。今はどこまで進んだのでしょうか。熊本城も石垣が地震で崩れましたから、ともに早い復興を祈ります。
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櫓まで来ました。下の写真は手前の門ですね。
櫓に入り、スリッパに履き替えます。そして上に登ります。
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櫓からは駅が見えました。ちょうどカモレが通ったので、少し撮影。上下2本来ました。
周囲がよく見渡せます。これで天気が良かったらもっと良かったんでしょうが、生憎の雨だったので、ちょっと残念でした。
下りて、下にあった復旧のための募金箱に募金をしてから外に出ます。
土産を買いたいので、公園の片隅にある土産物屋兼休憩所へ。
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中にはご当地萌えキャラの小峰シロのパネルがありました。
小峰シログッズも売っているので、色々買えますね。自分も買いました。
それから、個人的に白河と言えばおきな餅なので、これも買います。餅の味もしますし、もちもちしていますが、寒天が入ってますから寒天のような食感もあるので、ちょっと不思議なお菓子で、美味しいです。
ブルーベリーのジュースなども買って、店を出ます。
そろそろ駅に戻ります。
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白河一周のボンネット型バスとか福島交通のバスなんかもいました。
でもやっぱり新白河が中心になってしまったのか、こっちには人もほとんどいませんし、車もあまりいません。ちょっと寂しいです。
改札を入ってホームへ。
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城から駅が見えるなら、駅からも城が見えます。側線の向こうに櫓が見えますね。
反対側の福島行きが来ました。
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719系の4両編成。そろそろ撤退しそうなので、貴重な記録になりました。
自分の乗るのは黒磯行きなので、見送りました。
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自分は701系センF2-106編成でした。何気に仙台配置の701系100番台は2本しかいないんですね。
というか、701系に100番台があること自体知りませんでした。811系でも同じようなこと言ってたような・・・
こっちもちょうど下校時間に重なったようで、豊原だか黒田原辺りから地元の生徒で混雑しました。
ここで始発の通勤快速に乗り換えるのですが、切符を持ってないので買いに行きます。
しかし、白河で整理券を取り忘れたことが判明、駅員さんに迷惑をかけました。本当に申し訳ないです。
何とか切符を発券してもらい、通勤快速に乗ります。家の最寄り駅が通勤快速停車駅なので、そのまま乗ります。E233系でした。
ボックスに陣取り爆睡。気付けば宇都宮辺りまで来てました。
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今はもう撤退した烏山線のキハ40ですが、この頃はまだ運用がたくさんあったので、宇都宮運転所に多数留置されてました。
宇都宮からはどっと乗ってきて、そのまままた爆睡。結局帰ってくるころには7時ごろになってました。

試験期間中ですから、皆さん頑張ってください。
自分もぎりぎりでやべぇよやべぇよとならない程度にレポート頑張ります。
それではまた。
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お久しぶりです。
と言っても2週間も経ってませんが。
暑いですね。梅雨はまだ明けてないみたいですが、晴れが続くのでもう明けてる気がしてます。
それから、九州北部は大丈夫でしょうか。自分が行った直後に大災害になったので、心配です。特に、朝倉などは自分の行ったところにも近いので、かなり心配です。お見舞い申し上げます。

さて、ここらで新しい企画と行こうと思います。
過去、数々の旅をして参ったわけでございますが、それを思い出しながら空白期間を埋めていこうということでございます。やっぱりネタ切れじゃうわなにをするやめr
旅に出るだけの資金がないのです
今回は2月の頭に行った、近鉄電車の撮影行脚をレポートします。
ちなみに、今のようにしっかりと乗った車両を全編成確認していたわけではないので、定かではない点も多々ありますし、なんなら経路すら定かではないところもあります。あしからず。
この日は前日入りでした。親が実家に用事があるので帰るということで、それについて行きました。
宿泊は京都。新幹線を降りた瞬間の寒さはすごかったです。内陸で盆地ですからね、冬は冷えます。
翌朝も寒い朝。朝食をホテルのバイキングで済ませ、近鉄駅へ。
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時間が時間なので、京伊特急やら天理行き、宮津行き急行やら走ってます。
4番のりばの急行はこれ。
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近鉄ライナーズラッピングの9020系EE26編成。前には8810系FL26編成がくっついてました。
EE26編成がシングルアーム化されたのは知りませんでした。最近下枠交差車のシングルアーム化と菱パン車の下枠交差化が進んでいて、最新情報をいまいち追い切れていません。
雪がちらつくのが見えました。奈良はあまり降らないのですが、京都は多いですね。
車内からは横に留置されている103系が至近で見えます。
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ここには基本的に留置されているので、103系が見たければここに来れば見られますね。
そのおかげで103系がありふれた存在になってますが。
ですが、どうせなら宮津行きに乗りたいので、この電車には乗りません。
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各駅停車で8800系FL04編成が来てました。2本しかいない割には割とよく見る気がします。
この写真ではわかりにくいですが、先頭車のクーラーが途切れることなく、中間車のうち1両のみに下枠交差パンタが2基載っているので、8600系、特に界磁添加励磁改造車とは見分けがつきます。
そうこうしているうちに宮津行きが来たのですが、これがびっくりするものでした。
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8000系B78編成とB79編成。何とまさかの2本のみ現存する8000系3連車がコンビを組んできました。
そもそも宮津行きの急行自体が本数が少ないですし、しかもこの電車は定期では新田辺止、同志社大だかの時間割に関連して臨時で宮津まで延長運転が行われることもあるという電車。
何というか、この時点で運をすべて使ってしまったような感じです。遭遇確率としてはとんでもなく低いのです。まあB79編成は意外とよく見るのですが。
とりあえずこれに乗り込んで新田辺まで。宮津まで乗りたかったですが、撮影のために新田辺で降ります。
線路沿いを富野荘方面に向かって歩くと、電車がよく通ります。
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次の急行が来ました。ここは京都線の中でも一番本数の多い区間ですからね、かなり電車が多いです。
横では1233系VE38編成と1252系VE70編成が入れ替えてました。
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幕は宮津行き。何でこの幕なんだろう。
撮影しながら歩いていると、これが来ました。
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9200系FL54編成。元々4本しかいない9200系のうち、ここ奈良・京都線系統に残ったのは唯一この編成のみ。大阪線系統の3本はよく見るのですが、こっちは全く見ません。
実は京都の時点で宮津行きの発車直前に4番のりばにこれが入ってきたので、ここで撮ろうと決めてはいました。結果、まあまあの出来でしょうか。後追いは失敗しました。かなり逆光。
この辺りより先は線路沿いに道がなくなるので川に沿って橋まで行きます。
川沿いは遊歩道ですが、その向こうは田んぼや畑が広がるので、線路まで広く見渡せます。
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50000系が来ました。京伊しまかぜ。一度でいいから乗ってみたい。
3220系とか12600系(多分)も来ました。撮影失敗したけど。
そして橋を渡り、田んぼの真ん中の道を進んで土手を上ります。
京都線の中でもトップクラスで有名な撮影地である木津川橋梁。木津川をガーター橋で一気に渡る橋で、珍しいのが走ると土手の上は鈴なりらしいです。
それから、対岸に渡る橋は多分しばらく存在しません。新田辺方から撮るならここでしょうね。
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妙に8400系が多く走ってました。編成数もそこそこ多いですが、4連車と3連車が半々くらいの在籍数なので、4連車だけで見るとそこまで多くはないです。もしかしたら8000系が混じってたかもですが。
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8600系も数は多いのですが、この日は8400系と同じくらいの割合だったような気もします。
そもそもこの編成は界磁添加励磁改造車ですしね。X62編成なので、界磁添加励磁改造車唯一の後期車、下枠交差車。これと鉄橋上で、2本しかいない最終増備グループの下枠交差新造車のうちの1本、X71編成が交換しました。8600系の珍車同士がすれ違うのは面白いですね。
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30000系も来ました。旧塗装新塗装共に行き来します。割とどこでも見ますね。一応西大寺検車区に15本全車が集約配置されているので、心なしか京都線で特によく見る気がします。
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まさかの8600系どころか近鉄の丸屋根車で唯一の6連車、X69編成が来ました。これも最近割合見ますが、いつもちゃんと6連車であるように撮れないのです。角度的に難しい。これの中間車のうちの2両がモ8670とサ8170なので、この車に相当する先頭車となるモ8620とク8120が存在しません。なので、X70だけは欠番なんですね。
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10系や3220系も来ました。地下鉄からの電車は、急行は奈良まで行きますが、各駅停車は新田辺までしか行かないので、ここより先は本数が一気に減ります。
それにしても3200系の方がずっと多いはずなのに、この時は全く見ませんでした。難波にでも行ってたんでしょうか。
それから、京都方面の電車は土手に向かって坂を駆け上がる形になるのですが、モーター音を響かせながらスピードを上げて一気に駆け上がるので、かなりの迫力です。
そろそろ新田辺の駅に戻ります。土手で曇っているのでとにかく寒い。寒風吹きすさぶ中撮影していたので、芯から冷えました。
駅に戻ると特急が通過していきました。
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22600系の4連車。これも2本のみの在籍です。この時はまだAF01編成も旧塗装でしたが、今は新塗装になりました。この編成が01か02かはわかりませんが。
10系の急行なんかも来ましたが、これに乗ると西大寺で乗り換えなければならないので過ごします。
1番のりばに橿原神宮前行きの各駅停車が来ました。8600系X11編成と1249系だかの併結6連でしたが、後ろの2連車が当駅止だったため、解放作業が見られました。
その間に2番のりばに入ってきた橿原神宮前行きの急行に乗ります。8600系X64編成と1233系(VE36か37編成だったかな)でした。
この日は奈良競輪をやっていたため、急行が平城にも止まりました。しかし、自動放送で臨時停車の旨を放送するんですよね。奈良競輪開催のためとかまで日本語と英語の両方で案内するあたり流石だと思います。
郡山に着きました。ここで昼を食べた気がするのですが、覚えてません。
橿原線の撮影地としてはここが筆頭でしょう。この辺りは田んぼの真ん中を貫くように走るので、しっかりした写真が撮れる・・・はずだったのですが、郡山の街を抜けても建設現場や溜池、金魚池などが続き、なかなかちゃんとしたところが現れません。
ネットで見た限りではJRの踏切を越えたところに飲食店があるので、そこを曲がると書いてあったのですが、情報が古かったのか、飲食店はありませんでした。
少し歩くと、ようやくそれらしいところが見えてきたのでそこから線路の方へ行きました。
踏切を越えて横の道を少し行って、そこで少し撮影をしました。
P1730256
8000系L81編成が来ました。案外減っているとはいえ見ますね。
P1730259
12200系NS37編成も来ました。この編成、先頭車のモ12237は下枠交差パンタを装備しているのですが、モ12037は菱形パンタのままなんですね。この形態を持つのはただ1編成のみ。ちなみに、この逆の形態を持つものもあります。NS49編成がそれで、中間車のモ12029が下枠交差パンタなのに対し、先頭車のモ12249は菱形のままです。
しかし、ここではいい写真は撮れなさそうなので、ここから撤退して踏切を渡りなおし、手前の道に入って線路の方に向かいます。
P1730261
P1730266
途中で時々通る電車を撮影しながら、線路をくぐり、祠の脇まで出ました。ここで電車を待ちます。
JRの線路も見えますが、電車はあまり通りません。
そして、その時に事件、というか事故が起こりました。
自分でもなぜそんなことをしたのかわからないのですが、水路の上に足を踏み出してしまったのです。そこに地面がないことはしっかり理解していたことをはっきりと覚えています。ただ、なぜか地面のない空中に足を踏みだし、水路に転落する途中で我に返りました。深くない水路だったので怪我はしませんでしたが、泥の中に背中から落ちたため、背中のカバンとズボンの尻、トートバッグの側面から底にかけて、シャツの裾、ダウンジャケットの裾、靴と全体的にドロドロになりました。
這い上がってから8810系が通ったので撮ったのですが、前面に架線柱がかかるという盛大なミスを犯し、意気消沈して駅の方に戻りました。
駅の近くのコンビニで、前日に履いていたズボンに履き替え、そのまま電車に乗り込みました。
急行で橿原神宮前へ。8400系L06編成に2連車(編成どころか系列すら失念)がぶら下がった6連だったと思うのですが、そもそもそれが急行だったかすら覚えていませんし、もしそれが各駅停車ならそもそも基本的には後ろに2連車なんてぶら下がってません。グダグダ。ああ、まあ、急行に乗ったのは覚えてますし、8400系だった気もします。
P1730273
平城に臨時停車の旨が描いてあります。こうしてみると京都まで行くと結構停車駅多いんですよね。
P1730274
12410系の特急が発車待ちしてました。ここは構内踏切からこういう風に撮れるのでいいですね。
P1730275
モトもいました。基本的にここに常駐しているので、見たいときはここに行けばここにいると思います。75形は大体東生駒常駐、94と96は基本的に塩浜常駐ですね。
南大阪線のりばへ。
P1730282
青の交響曲の表示が出ていたので、これを撮ります。先行の急行に乗って吉野口へ行きます。
それを待っている間に当駅止の準急が。
P1730285
6600系FT02編成。4本しかいないので、結構見ません。
狭幅チョッパ車の2連準急とは名古屋線みたいですね。1201系の準急そっくり。
急行は6620系MT24編成が来ました。南大阪線の急行に乗るとなぜかいつも6620系です。そんなに急行に集中して運用されているのか。7本しかいないのにそればっかり。
吉野口に着きました。
P1730294
交換で6020系C51編成が発車していきました。未だにちゃんと前から撮ったことがありません。
P1730295
駅名票はJR式。違和感が意外とない。柏原もこうなのでしょうか。今度道明寺線に乗る予定なので確認してきます。
ここから撮影地までは5分ほど。脇の国道に登って少し行ったところです。駅チカで手軽に俯瞰撮影!まあ本数が少ないですが・・・それから、国道は大型トラックも多く通るそこそこ交通量の多い道なので、注意が必要です。歩道幅は狭くはないのでそれほど危険というわけではありませんが、念のため。穴場のスポットですね。
P1730303
あべの橋行きの特急が来ました。何気にこれが16600系の初撮影でした。よって、旧塗装時代の写真がありません。カーブがきついのか、特急でもゆっくり走りますね。
P1730306
お目当ての16200系SY01編成が来ました。後追いですが、初撮影です。
P1730309
6820系と6400系列の4連のあべの橋行き急行が来ました。これが6820系の初撮影でした。
小雨が降ってきました。
P1730312
6620系の吉野行き急行です。暗い・・・
そろそろ駅に戻ります。
P1730324
105系が来ました。実はこれの交換でヒネSW010編成が来たのですが、撮影ミス。そもそもそこに来ていたあべの橋行きの急行(6620系MT21編成)に乗らなければならなかったため、車内からの撮影ということで撃沈しました。しかもムービーモードになってたという。
とりあえずあべの橋まで戻り、天王寺から地下鉄で動物園前乗り継ぎで恵美須町まで。日本橋を歩きます。ぽち辺りをのぞいたのかな?よく覚えてません。ここから日本橋の駅まで歩きます。1丁目の北の端なので遠い。結構時間かかります。でんでんタウンに行こうと思ったら日本橋の駅で降りると遠いんですよね。南海のなんばの一番南の改札から出ると3丁目の裏に、地下鉄の恵美須町の一番北の出口から出ると5丁目の中に出られるので、この2つがおすすめです。
日本橋から梅田までなんば乗り継ぎで地下鉄で出ます。
新快速で草津へ。多分223系2000番台。
そこで柘植行きに乗り換えます。113系キトC05編成。
貴生川に出ると、近江鉄道の100系がいました。何気に初遭遇。
P1730331
向こうにも113系が来ました。221系も来ますが、まだ113系が多いです。
P1730338
ここまで来たのはこれに会えればと思ったわけです。
P1730340
SKR205が引退する直前だったので、会えればと思ってましたが、いませんでした。時刻を見たのですが、帰れなくなりそうだったのでやめました。
この写真だとわかりにくいですね。上のイラストが多分SKR205です。(とか思ってたらこれSKR301ですな。すいません、勘違いしてました。あれはもう紀州で乗ってます)
帰りも113系、今度は8連でした。前は40Nの7700番台、後ろは30Nの5700番台だったので、設備の差がすごいです。
草津からは新快速で京都へ。
P1730357
上郡行きの新快速は1日1本のみ、当駅始発なので、停車時間が長いです。空いてますしね。
この後の続行が上郡行きの快速なんですよね。
この写真を見る限り1000番台ですな。京都に近づくにつれて混んできます。
京都の5番のりばに着くと、そこに蕎麦屋があったので入りました。月見うどんだったかな、美味しかったのは覚えてます。京都はつゆが薄いですから、関西人の自分としてはありがたいです。
もう9時台になってます。新幹線ののりばに上がると、700系がいました。
P1730367
臨時のぞみで時々見かけますから、割とまだのぞみで走ってますね。
東京に着いたらやっぱり終電近く、UTLはもうなかったので、山手線で帰りました。

初の試みでしたが、記憶の薄れが課題として浮き彫りになりました。
どこで何を食べたかすら覚えてないとは・・・
まあ、とりあえずこの暑いときに寒い冬の記事なので、せめて少しでも涼しくなっていただければ・・・
無理ですね。
それではまた。
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昨日福岡1日目の記事を投稿し、そこで2日目の記事を今日投稿すると宣言したのでします。
有言実行です。(書いてるのは昨日)
こっちも晴れてきましたね。福岡の方が暑かったですが、晴れると東京も変わりません。

さて2日目です。
2日目は朝7時だか半だかに起きました。朝食はついていたので、バイキングで。
部屋に戻り、荷造りを済ませ、8時半過ぎに出ました。チェックアウトを済ませ、ホテルを出ました。
博多駅の駅ビル(阪急とかアミュプラザのビル)が正面に見えました。写真を撮ろうとして鞄を見ると、カメラがない。あろうことか、荷造り中に充電器類を入れるためにカメラやペットボトルを出したところ、ペットボトルは入れたのに、カメラを入れ忘れて机の上に置き忘れるという失態を犯しました。
急いで戻り、フロントのスタッフにその旨を伝え、部屋からカメラをとってきました。
これをやらかしたせいで、余裕を持って出てきたのに、いきなり余裕がなくなりました。
地下鉄の駅に着くと、乗る予定の電車は行った直後のようでした。いきなり乗り遅れた。
とりあえず次の姪浜行きを待ちます。来たのは1000N系01番編成でした。トップナンバーだったので結果オーライでしょうか。乗り遅れてるけど。
博多はこの時間帯8分ヘッドなんですよね。中洲川端から貝塚に行く電車と交互に運転されているためか、かなり待つことになります。
とりあえずこれに乗って天神へ。急いで天神大牟田線のりばへ向かうと、乗る予定の9:09発花畑行き急行が停車中、というか着いたばかりのようでした。
地下鉄の駅から少し距離はあるとはいえ、乗り換え検索はいささか余裕を持ちすぎな気もしました。乗り遅れるよりはずっといいですけどね。
西鉄は折り返しにあまり時間をかけない、というか、ほとんどすぐ折り返す感じがしました。大牟田の特急折り返しくらいしか長い時間をとってない感じです。
P1760386
編成は5000形5127Fと5120Fの6連。5000形に乗りたかったので、早くも叶ってしまいました。
5000形は後期車になると、回生失効の防止だかでパンタが2基装備になるんですが、5127Fが2基、5120Fが1基なので、過渡期の併結といった風です。
薬院までは徐行しますが、薬院を出ると速い速い、流石は最高速度110㎞/h。
流石の走りっぷりで、花畑まで40分ほどで到着。当初は久留米まで乗ろうかとも思いましたが、花畑は特急も止まるので、終点まで乗ることにしました。
途中で8000形の旅人と水都双方とすれ違いました。
乗った5000形が試験場前方に引き上げるのを動画に録っていると、向こう側から7050形のおお貴族ラッピングが来ましたのでそれも録りました。
その後の特急が来ました。
P1760389
なんと最新の9000形。9006Fと9007Fの連番6連でした。
2M4TというMT比ながら、いい走りっぷりでした。
しかし、三浦七緒子さんでしょうか、自動放送がついているとは思いませんでした。
最近は京阪や近鉄、南海など、西日本私鉄各社にも来ている自動放送導入の波は、ここ九州にも到達しているようです。
P1760395
車窓も柳川らしくなってきます。流石水都柳川といったところ、川や水路が多く流れています。
単線区間ながら、複線のようにかっ飛ばす特急は、あっという間に大牟田市内に入ります。
新栄町で降りました。ここの北東に仮屋川操車場があり、元三井三池港務所の機関車が化学薬品を積んだコキを入れ替えてますが、生憎この時はいませんでした。
待ってたら来るかなと思って降りたわけです。とは言っても、駅から見えるとはいえそこそこ距離があるので、広角レンズでは正直きついです。帰りも車内から見てみましたが、結局いませんでした。
着いてから次の列車まで20分あったので、ちょっと撮影しました。
P1760405
横を鹿児島線が走っているので、時々電車が通ります。大牟田が鹿児島線の福岡県内最後の駅なんですよね。次の荒尾からは熊本県内です。
この写真の電車は大牟田止だったようで、幕回ししてました。
撮影中、途中から妙にトイレに行きたくなりました。でもこのタイミングでトイレに駆け込むと、そのまま出られなくなり、次の大牟田行きを逃しそうだったので、必死に我慢してました。
大牟田行きが来ました。7000形7106Fでした。
P1760415
ワンマン普通は全部甘木からの電車だとどこかに書いてありました。これも甘木からのでしょう。
しかし、宮の陣って久留米よりも北なんですよね。かなり時間かかりそう。
例によってライト回りがステンレスになってます。これもう原形の車は消えたんでしょうか。
それから、ワンマン列車は中扉を締め切りにするというのが西鉄流なので、4扉車なら間の2枚、3扉車なら間の1枚を締め切って2扉になります。駅の案内表示も2ドアになるんですよね。この電車も間の2枚を締め切ってました。これがドアカット(違)
大牟田に着き、外に出ると、脇のバス乗り場そばにトイレがありました。ただ、和式だったのと、床がかなり汚れていたので、ここはやめました。腹を壊し気味だったので、和式だとつらいんですね。
駅の反対側に行くと、JRの立派な駅舎がありました。その脇にはしっかりとしたトイレがありました。改札内のトイレも壁を隔てて同じ建屋の中にあるようです。ここは奥に洋式があったので、ここで何とかなりました。
トイレを出てスイカのチャージをしました。ずっと使ってたので、500円ちょっとしか残ってませんでした。これでは天神に帰れないのです。
西鉄ののりばに戻りました。
P1760447
炭鉱電車がいなかった代わりに、コキはいました。
結構向こうに行くとED76を見ます。土曜日も黒崎で入れ替えしてるのを見ました。
コキ200って案外見ないんですよね。いるところに行けばいるんですが、そもそもそのいるところに行かないという・・・
さて、特急で天神に戻ります。
P1760448
これが主な目的でした。唯一となった8000形の特急運用、日によっては特急に入らない日もあります。旅人は朝の太宰府直通の急行以外は太宰府と二日市を往復するだけなので、水都が唯一です。
折しも22日で水都から8061Fは引退、後継に3000形が入るというので、最後の機会でした。
旅人も置き換えが決定してますから、もう見る機会がないと思います。撮れなかった・・・
11:22の発車まで車内を回ります。スタンプを押したり、カードを取ったり。思ったより車内は改造されてませんでしたが、手が加えられたところはしっかりと変わってます。
大牟田発車時点ではあまり乗ってませんでしたが、柳川で人が増えました。
JR東のような車内放送で柳川観光列車水都と言うのが新鮮です。
ここからは大善寺、久留米と、だんだん人が増えてきます。花畑ではそんなに変わりませんでした。
二日市ではかなり増え、座席は埋まり、立席も出ました。
二日市を出ると薬院まで止まりませんが、8月下旬より大橋にも止まるようになります。走行音はどうせならもう聞けなくなるこの区間で、ということで収録しました。ただ、先行に追いついたらしく、ノロノロ運転していたため、不完全燃焼に終わりました。
天神で少し時間が余ったので撮影をば。
P1760489
何気に今回は撮ってなかった3000形やら、7000形、9000形、5000形など撮れました。水都の発車動画も録りましたよ。ただ、6000形と6050形は車庫にいる姿しか撮れませんでした。
駅を出て北に進むと、地下鉄が下を走る明治通りがあります。天神駅前には渡辺通りが走っており、双方が交差するのが天神交差点です。渡辺通りはバスが埋め尽くすほど多く、近距離の路線バスは全て西鉄、他に九州各地に行く高速バスが西鉄駅の上、3階のバスターミナルに発着しており、そこから降りてきた各高速バスも渡辺通りを通ります。
P1760501
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P1760547
もうね、ここのバスはものすごい。圧倒されます。渡辺通り側の信号が青になると、一斉に動き出すバス。バス社会九州のエネルギーをもろに感じます。
高速バスでは、小倉(砂津)や飯塚、伊田、行橋など、県内各地まで行く中距離路線は西鉄が多いですが、他県まで行く長距離路線だと、佐世保のほうまで行く西肥バスや別府まで行く亀の井バス、長崎まで行く九州急行バス(九州号)、大分のほうまで行く大分バス、伊万里や唐津まで行く昭和バス、中には関門海峡を越えて下関のほうまで行くサンデン交通まで走っています。西鉄でもお隣大分県の日田や遠く鹿児島、やはり関門海峡を越えた下関まで行く便もあり、見ていて飽きません。
市内の路線も、W系統専用車や100円バス、快速バス、BRTなど、多数のバスが行き交うその光景はこれぞ福岡の街そのものといった感じ。結局乗る予定の13:27発の地下鉄に乗りに行くまでずっとここでバスのロケハンしてました。
13:27発西唐津行きはまさかの303系カラK03編成。
P1760560
なんとなく来ればいいなくらいに思ってたら、まさかの本当に来るという。
これで一貴山に向かうのですが、実はこの電車、筑前前原止だと思ってたんです。
前原14:01の始発西唐津行きに乗ろうとして、それに連絡する前原止の電車に乗ろうと考えていたのですが、ご覧のとおりこの電車は空港から直通の西唐津行き。おかしいと思ってネットの時刻表を確認したところ、初めに見てたのがまさかの平日ダイヤ、平日は前原止なんですが、休日は西唐津行きなんですよね。ただ、平日ダイヤを見てた時でも帰りは直通で天神まで戻る予定だったわけで、休日はそれが逆になるだけ。つまりは行きが直通、帰りが前原乗り継ぎという感じです。色々なんのこっちゃと。
P1760563
しかし、この駅は地下鉄が来るとは思えない駅ですね。
前原まではまだ高架区間があったりして結構地下鉄が直通してくる路線っぽい雰囲気ですが、それを過ぎると途端にこんな単線のローカル線になります。しかし、こんな棒線駅でも1時間に1本空港や都心からの直通が来るんですよね。しかも天神からわずか40分ほどでこんな感じになります。
前原行きが来ました。103系カラE13編成。
P1760565
これに乗りたかったのでここに来ました。
なぜ一貴山なのか、というのは、さっきの西唐津行きとこの電車が筑前深江で交換するため、深江で戻ると改札から出ている間に乗り遅れる可能性があったからなのです。
ここは逃すと30分来ませんから、深江の一つ手前の一貴山で折り返すことにしました。ここで折り返すと8分時間があります。
しかし、103系とは思えないですね。ドアの音もブレーキシューの音も201系っぽいもので、モーター音もどっちかと言えば205系のような感じ。流石に201系を元に製造されただけのことはあります。103系としては唯一、戸袋なしで製造されていますしね。顔も105系とか119系みたい。
それから、揺れます。303系とはかなり違います。
前原に着き、向かい側の空港行きに乗り換えます。1000N系04番編成でした。
P1760577
今宿と下山門の間では海岸沿いを走るので、博多湾を望む見事なオーシャンビューとなります。
名勝生の松原も見え、まさに白砂青松といったところ。
下山門は姪浜の隣で、割合新しい駅なので、かつては地下鉄線から入ると次の駅との間に既にこんな光景が広がっていたことになります。
かつてまだ下山門が開業していなかった頃、姪浜と今宿の間で1000系が踏切事故を起こして車体新製する事態となったことがありました。被災車の1522号は2代目となります。
天神で降りました。ビブレの6階に模型店があるという情報があったので行ってみたのですが、既に古い情報だったので当初より不安は感じていました。
果たして、不安は的中、メイトとミントしかありませんでした。サブカルってとこしか共通点がない。そもそも模型ってサブカルって言えるのかな・・・
結局駅に戻り、空港行きに乗ります。1000N系12番編成。中洲川端まで1駅のみです。
中洲川端で貝塚行きに乗り換えます。2000系23番編成は走れ!山笠号でした。
P1760587
2000系がフルL化されたの知らなかった。暗いところで撮ったので、表示が飛んでます。
まあでも足回りが変わってなかったのは良かったです。日立GTO好きの自分としてはありがたい。この音は他に西武6000系、京王8000系、南海50000系くらい。東急2000系のは少し違う音に聞こえますが気のせいでしょうか。東急9000系も日立ですが、初期のものだからなのか全く違う音です。なんとなく三菱みを感じる。南海1000系は変調が2回で、1回少ない。近鉄1020系列や1220系列は非同期音が違います。ちょっと東芝っぽいかも。他にもあるはずですが、よく知りませんし、挙げるときりがないのでこの辺にしておきます。
2000系は6本いますが、1000N系が18本いるので、2000系に乗れる確率は1/4です。とは言え、JR車もいるので、もっと確率は下がりますね。なかなか会えません。
貝塚からは西鉄貝塚線へ。
P1760593
600形608Fでした。この編成、実は宮地岳線時代は唯一の3連車で、貝塚線になった後、少しして2連に統一されることとなり、中間の609号が廃車になりました。609号は当時原形の運転台が残っていたので、貴重な存在として注目されましたが、ここで廃車されました。これにより、608号と659号が編成を組んでおり、番号末尾が揃いません。
さて、ここから香椎まで乗ります。新宮までも乗れそうではあったのですが、その後のことを考えるとちょっと厳しそうだったので、香椎までにしました。他にも和白から香椎線に乗り換えとかも考えたんですが、それもちょっと厳しそうでした。
貝塚線は313形が撤退した後は600形に統一されてますが、それでも昭和30~40年代製の電車しかいません。いい感じの昭和感です。単線で2連車、ワンマン、自連装備などの要素も、いい感じに貝塚線独特の雰囲気を演出してくれてます。
香椎に着きました。
P1760609
貝塚線唯一の管理駅だそうですが、この近辺はずっと高架化されていて、近代的な路線に見えます。
ただ、短編成のワンマン車が真新しい高架駅に出入りするところを見ると、阪急今津南線に似た印象を受けます。
ここからJRの香椎に行きます。千早は連絡してますが、ここはしてません。それでもかなり近いので、実質の連絡駅と言ってもいいですね。
改札を入って、博多方面の電車を待ちます。
発車していく小倉方面の電車とすれ違うようにして、乗る快速が来ました。本当はこの前に普通があったのですが、快速に乗りたかったので、それを逃しました。
それと並走して、香椎線宇美行きが来ました。
P1760622
先頭は香椎線色のキハ47で、その後は九州色の40、47、40とつないだ4連でした。
これを撮ったら快速の発車ベルが鳴ったので、急いで電車に飛び乗りました。
8連の快速は811系ミフPM107編成とミフPM9編成でした。
811系に100番台があるというのは初めて知りました。この間、0番台にリニューアル車が出ましたね。土曜日に見た気がします。オールロングは個人的にちょっと、という感じです。せっかくなら転クロのままで更新して欲しかったです。
PM9編成は昔三井グリーンランド号になってましたね。ラッピングが終了した後も前面に緑帯が残ってました。それの模型を持ってます。西鉄5000形も一時期グリーンランド号がいたそうですね。
千早で車両を移動し、博多までずっとクモハに乗ってました。クモハとクハの向きを勘違いしたために、編成間を移動しなければならなかったので。811系は貫通できないんですよね。
博多で発車を見送って、みどりの到着を見た後、模型店巡りをしました。天神より博多の方があるみたいですね。
あ、博多口に山笠が展示されてましたが、写真は撮りませんでした。ちょっと後悔です。それから、夕方4時半になって、朝をしっかり食べたので腹が減らず、以来何も食べてなかったために腹が減ってきたので、ファミマでファミチキとチーズバーガーを買って食べました。
まずはアミュプラザのポポン。流石に人が多かったです。ここで少し買いました。
ポポンは駅名票のキーホルダーも扱っているので、現地ではたまに買ったりします。ここでもJR九州と西鉄、地下鉄のを買いました。特に、前回門司港の博物館で売り切れてた周船寺のがあったので、喜び勇んで買いましたね。
次に新王様模型。店の存在は知っていましたが、行ったことはありませんでした。
ワンマイルの西鉄600形各種の動力化製品が並んでいましたが、予算的にきつかったのでパス。
最後にカラマツトレイン。ここだけは筑紫口側です。ここは模型よりも各種鉄道グッズ、特に廃車発生品や古いダイヤなどを重点的に取り扱う店なので、模型はほとんどありません。新宿の店舗もそうなんですよね。函館の鉄道博物館にある店ではかなりしっかり扱っていたような気がしたのですが、他の店舗はそうでもないようです。
そろそろ空港に向かわないと飛行機に間に合わなくなるので地下鉄に乗ります。
P1760631
来たのはまさかの303系カラK02編成。303系は3本いて、305系が6本いるので、JR車だけで見ると1/3の確率ですが、もちろん地下鉄車が他に24本いるのでかなり当たる確率が低いです。その少ない303系のうち2本に乗るという。内心ええ・・・(困惑)という感じでした。
それから、空港に着いた時、初めてマグサインが変わる瞬間を見ました。
結局割と時間が余ったので、搭乗口の前のJALUXで土産を物色し、気になったぶどう大福を食べ、更にそこで少し早めの夕食として豚骨ラーメンも食べました。これがバリカタというやつですか。最後に福岡を満喫してる感。
飛行機の時間になったので乗ります。定刻通りの離陸。
P1760632
九州の自然が見渡せました。右の川は遠賀川でしょうか。筑豊地方を一望といった感じです。
P1760635
こっちは大分ですかね。手前は国東半島、奥は別府市から大分市だと思います。湾の奥まったところに見える市街地が杵築市だと思います。少しすると大分空港のようなものも見えました。
この先は結局雲に隠れてしまい、海くらいしか見えず、更に日が暮れたのもあって、結局羽田直前まで何も見えませんでした。
羽田到着は定刻より5分ほど早かったようです。暫く滑走路を引き回されました。
到着搭乗口は71番。遠かった。
本来行程は土曜日と日曜日逆の予定だったのですが、水都の時刻を勘違いしていた結果、逆になりました。土曜日は水都の特急がなく、朝に1往復して終わりだったのです。水都ありきで行程立てましたからね、それが潰れたら元も子もありません。

九州は台風からそろそろ抜けたんですかね。関東に接近してますから、明日の朝までは注意です。皆さん、気を付けてください。
泊りがけの記事は、こういう風に日で分けて書く予定なので、これからそうなります。その時はまたよろしくお願いします。
それではまた。
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7月に入り、本格的な夏が近づいてきましたが、東京はどうにも梅雨が明けず、ジメジメ曇ったりたまに雨が降ったりという天気が続いています。
まあ梅雨が明けたとしても、夏本番になるので今よりさらに暑くなるわけで、ジメジメ感も続きますし、過ごしづらいことに変わりはないんですけどね。

さて、週末の連休で福岡に行ってきました。
親が福岡に出張するということで、それが週末になることから、福岡行きが決まったわけであります。
つまりは親の出張について行ったわけです。もちろん現地では別行動ですよ。
土曜日、福岡空港には昼の2時半過ぎに着きました。飛行機を降りた瞬間、東京とは次元の違う暑さが襲ってきました。天気がいいだけに暑い。
空港からは地下鉄で博多へ。1000N系13番編成でした。
博多からは鹿児島線で折尾に出ます。小倉行きの準快速は817系ミフVM3006編成と813系ミフRM234編成でした。
P1760247
817系のロングシート車は初めて乗りましたが、個人的にはちょっと椅子硬いですね・・・
香椎辺りから折尾までずっと座ってましたが、尻が痛くなりました。
準快速は福間から各駅に止まるので、この時点ではすでに普通表示になっています。
P1760256
折尾駅は目下工事中で、鹿児島線ののりばのみが高架化済みです。今は若松線と福北ゆたか線ののりばを高架化中で、鹿児島線ののりばからその様子が見えました。ただ、駅舎を取り壊したのはもったいない気がしました。
コンコースはこんな風に仮設感満載ですが、きれいでした。地上に残る1・2番のりばは完全に従来通りの国鉄感満載ののりばで、改札口もそんな風なので、なんというか、すごい取り合わせだなと思いました。
ここからは若松線に乗ります。BEC819系チクZG004編成でした。
P1760262
日中は全列車が直方に直通しますが、朝夕は折尾折り返しも設定されます。これは夕方の折尾折り返しの第1便で、1番のりば発着。2番のりばは同じく折尾折り返しの博多行きでした。
ここで折り返すと充電時間が折尾停車中しかないので、急速充電しないといけないのかなと、いらん心配をしてしまいます。若松に充電設備がないんですよね、行くまで知りませんでした。
思ったよりも乗客が多かったです。二島でかなり降りて空いてきました。
若松はのりばの雰囲気がなんとなく門司港に似てます。ちょっと離れた場所から見ると、伊万里の松浦線のりばとか志布志なんかに似てます。九州の割合小規模のターミナルはどこもこんな構造なんでしょうか。
駅前には9600形の保存機がありました。
P1760276
荒れてますね・・・
駅前広場、というか操車場跡の広場なんですが、端の方に鎮座しているこの保存機の周りは、かなり草生していました。半分自然に還りかけてます。整備して欲しい。
ここから若松の渡船のりばまで歩きます。
若松と戸畑の間には洞海湾が横たわっています。その洞海湾を渡るのは若戸大橋がありますが、如何せんかなり手前から橋に登らないと渡れないので、距離や時間のロスになります。しかもそこを渡るバスの本数が少ない。そこで重宝するのが、北九州市営の若戸航路。双方若戸大橋のたもとにあるのりばの間を2~3分ほどで結びます。片道100円、子供50円。12分ないし15分間隔で、かなり使い易い渡船です。
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この日は第十八わかと丸がずっと往復してました。往路復路共にそこそこの利用客がおり、自転車を載せている人もいました。
船体は前半が密閉式の船室、後半が開放式になっており、前半は冷房が効きまくっていました。
椅子はほとんど設置されておらず、壁沿いにベンチがある程度でした。
そして、戦艦ドリフトばりの急旋回を見せてくれました。流石小型船、小回りの利きがすごいです。
一度大橋をくぐりますが、のりば自体は双方とも大橋の西側にあるので、最後にもう一度大橋をくぐります。
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戸畑ののりば脇から見た大橋です。ゴールデンゲートブリッジを思い起こさせるような見事な赤い橋で、近くで見ると結構圧倒されます。
若松の駅の近くからももう支柱が見えるんですよね、立派です。
のりばからは戸畑の駅までは大通り1本ですぐ着くので、分かりやすいです。ただ北側から来ると、改札が南側なので、連絡地下道で駅と貨物線をくぐらなければいけません。まあエスカレーターが設置されているので、しっかり整備されてますけどね。
戸畑では既に来ていた快速に飛び乗りました。811系ミフPM15編成と813系ミフRM235編成。
路線図も停車駅もろくに見ずに飛び乗ったので、内心戦々恐々でしたが、しっかり黒崎に着けたので結果オーライでした。まあ戸畑に黒崎・博多方面と書いてありましたし、黒崎を快速が飛ばすわけもないんですが。
途中、閉園予定のスペースワールドを写真に収めました。駅は存続させるようなので、駅名を変えるんでしょうね。炭鉱で使う機関車が保存されているのが見えました。あれはどうなるんだろう・・・
黒崎に着くと、福北ゆたか線の813系がいました。
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博多にも顔を出すので、割合見る車ではありますが、福北ゆたか線の始発って一応黒崎なんですよね。(一部小倉・門司港方面からの直通もあり)
直方発着が多いイメージだったので、ちょっと驚きました。
横に止まっていたカモレにコキ104-51なんていう超若番車がいたので撮りました。
黒崎からは筑鉄で直方へ。どこに駅があるのかと思ったら、駅の南西にあるバスターミナルに隣接してました。
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来たのは5002号でした。2000形が向こうに見えたので期待したんですが、黒崎車庫の留置車だったようで、土休日は運用を持ってないみたいです。あっという間に5000形に置き換わりました。
車内に置いてあるポケット時刻表に時刻だけでなく、使用車両形式まで書かれています。最早平日もほとんど動かないようです。
ちょっと前まで新性能化率0%とか言われてましたが、最早過去の話ですね。今は四日市あすなろう鉄道くらいかな。
最初は街の中を走り、場合によっては高架区間も走ります。この時点で路面電車型の車両が走るとは思えない線路です。
そのうち山の中を抜けたり、切通しを通ったりと、本格的な地方鉄道に変わります。
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直方に近づいてくると、こんな田んぼ沿いになります。福岡は郊外に出ると割と田んぼが多いので、福岡らしい光景ではあります。どっちにしろ、路面電車型の車両が走ると違和感がすごいです。30‰台の急勾配も連続します。最後は鉄橋も渡って、高架駅の筑豊直方に着きます。
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ここは昔博多延伸を考えていた関係で、国鉄を乗り越えるために高架駅になっています。
ですが、途中の峠越えなどがネックとなり、結局夢は潰えて、直方の駅が兵どもが夢のあとといった風です。ここが開業していたら、北九州市内線と福岡市内線がつながっていたのでしょうか。それとも鉄道線型の車両が急行運転をしていたのか。今だったら福北ゆたか線とガチバトルを繰り広げてそうですね。
黒崎を出た辺りでは大混雑だった車内も、中間を過ぎると空いてきて、楠橋のころには空席が目立つように。直方に着くころにはもうガラガラでした。
ここからJRの駅まで歩きます。
また地図を見ずに感覚に頼って、逆に行きかけました。この癖を正さないと。
直方でセミの声を聞きました。東京より一足早いセミ、今年初はまさかの福岡でした。
JRの駅は大きいですね。福北ゆたか線では中核駅の一つなので、この規模もうなづけます。
直方車両センターも併設されているため、817系やら813系、BEC819系、キハ40系、キハ31形など、多くの電車や気動車がいました。
そんな中、1本415系が入れ替えてました。
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そもそも415系が福北ゆたか線の運用を持っていること自体知りませんでした。
なんとなく撮影しただけで終わりましたが、後で後輩とラインをしていたところ、衝撃の事実が。この編成、オイFO507編成なんですが、大分唯一の500番台なようで、それを知らずにただの500番台と思って撮影してたら珍車に当たったといった感じでした。
そうこうしているうちに、博多行きの快速が来ました。直方始発ではない電車でした。817系チクVG1104編成とVG2002編成でした。
2000番台はロング車なので、転クロ車の1100番台に乗ります。
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1100番台はシルバーなのに対して、2000番台は白なので、同じ817系でも大分見た目が違いますね。
土曜日の夜の博多行きなので、快速でもそこまで混むことはありませんでした。
筑豊線内はそこまで飛ばしませんが、篠栗線に入った途端かなり飛ばしますね。元々高規格で作ったんでしょうか。新しい路線ではありますからね。
博多には夜8時前に到着。ホテルは博多駅近くなので、このままホテルに向かうところですが、親が夕食を8時に予約しているので、そのまま予約していた居酒屋に向かいました。こういうところに来る醍醐味のうちの一つに、地魚があります。新鮮な魚はやはり旨い。満足です。
居酒屋はホテルの向かいなので、ローソンに寄ってすぐにホテルに向かいました。

今回は泊りがけで行ったため、1日目と2日目で記事を分けます。
とりあえず明日には2日目の記事を投稿する予定です。その時はまたよろしくお願いします。
それではまた。
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