青山学院大学鉄道同好会公式ブログ

青学鉄道愛好会の公式です。ほんとに公式です。ゆるめで運営してます。生暖かい目で見守ってやってください。最近は結構真面目になって来ました。いつでも入会歓迎します。ツイッターのアカウントは@agu_railwayです。入会希望の方は、ここにDMを下さい。また、文句や意見、感想などありましたら、お気軽に、どしどしコメント欄にお寄せください。よろしくなのです。ほらそこ、ほとんど個人ブログやんとか言わない。

新年度が始まり、自分の職場にも今年の新卒が入ってきました(大学の会のブログなのにこんな冒頭)。
最近東京も雨多くなりましたね。いよいよ雷雨になることも増えて、桜もそろそろ散るのが本格化する時期でしょうか。
青山キャンパスの5号館裏にある八重桜の木が個人的なお気に入りだったんですが、あの木もそろそろ花を咲かせる頃合いですかね。

さて、そんな時期ではありますが、前回の記事で言ったとおり、上げる予定だった記事のダイジェスト版を上げようと思います。
この先上げるのが確定している記事が12本ありますが、そこにプラス、もう14本上げる予定がありました。今回の記事では、その14本の記事で使う予定だった写真をそれぞれ1枚ずつ上げて、その記事の内容を大まかに紹介していきます。なお、ほとんどがバス記事の予定だった(2本ほどそうでもないのもありましたが)ので、便宜上バスタグをつけます。それではどんどんまいりましょう。
・1:茨城北部バス巡り
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写真は茨城交通の水戸22あ1382(左)と水戸200か1132(右)です。どちらも前に記事で取り上げたと思います。水戸22あ1382は茨交最後の富士重6Eで、形式は日産ディーゼルP-RM81G。当初の廃車予定から1年以上生き延びましたが、残念ながら一昨年廃車されました。因みに茨交に統合された日立電鉄にいた6Eもすでに除籍済みなので、茨交から6Eは全滅しています。水戸200か1132は元神奈中の三菱ふそうKC-MP317Mで、茨交ではあまり多くないニューエアロスターです。この車、塗ホイールから銀ホイールに変わる車が多い中で、銀ホイールから塗ホイールに変わったという特異な変化をたどったようです。なお、最近また銀ホイールに戻されました。
さて、この旅は一昨年の8月中旬ごろに常磐線を北上していったもので、一度水戸に寄ってバスをしばらく撮り、そのあと高萩に向かって椎名観光バスを撮ろうと思ったんですが、まさかの休日運休。このことを知らず日曜日だったこの日に高萩に向かったために空振りに終わり、椎名観光の車庫のある十王で途中下車、車庫を見てから水戸に戻り、水戸でまたもやバスを撮って帰った旅でした。この時初撮影になった元尼崎市営のノンステエアロスター(KC-MP747K)の水戸200か1259や今は除籍になった椎名観光の元名鉄のエアロミディ(KC-MJ218F)の水戸200か943、茨交では貴重なU-UA系の残存車として有名な水戸200か424(U-UA440LSN)、今は関鉄バスに移管されたJRバスも記録できました。
行程:東京→水戸→高萩→十王→東京
・2:東海地方バス巡り18券旅1日目~浜松・大垣・岐阜編~
P2010551
写真は遠州鉄道の浜松22か2730です。遠鉄バスではあまり数が多くなかった三菱ふそうKC-MP317Mですが、遠鉄最後のツーステ車グループとして活躍を続けたグループでした。この時もツーステ車はこの車しか見ず、日野シャーシの7Eも1台残っていたようですが、見ることは叶わずでした。この車も一昨年頃に除籍され、その時点で遠鉄バスのツーステ車が消滅しました。
この旅は東海地区の未撮影事業者をひたすら撮りつぶしまくることを目的とした2日間旅で、ほとんど18切符を使った旅でした。一昨年の8月後半に行ったものでした。
1日目はまず浜松経由で浜北へ行き、今はなき浜松バスを記録、浜松に戻って遠鉄バスを撮影し、その足で大垣へ移動、名阪近鉄バスを狙ってから岐阜へ戻り岐阜バスを撮影、名古屋経由で多治見へ移動し、東鉄バスを撮影した後、宿をとった名古屋へと戻りました。今は全車が引退した名阪近鉄バスのセレガR(KL-RU1FSEA)の岐阜200か1875や名阪近鉄バス復刻塗装の元近鉄バスブルシチワンステ(KL-HU2PLEA)の岐阜200か1656、岐阜バスの旧塗装車や行灯付き車などを記録することができました。
行程:東京→浜北→浜松→大垣→岐阜→多治見→名古屋
・3:東海地方バス巡り18券旅2日目~三重・名古屋編~
P2020118
写真は三重交通の5809号車です。三重交通ではそれなりに見るいすゞKC-LV280Qの富士重7E架装車で、いすゞシャーシの長い7Eというのがかなり特異な存在ですが、三重ではたまに見ます。因みにこの車の前に付くコーポレートマークは古いもので、最近はこの車にバスマスクが付いているらしく、今はマークが更新されたかどうか確認できないようです。
上の旅の続きで、2日目は宿をとった名古屋から四日市へ移動、市内をうろつきながら三交バスと三岐鉄道バスを撮り、桑名に戻って三交バスと八風バスを撮影、名古屋経由で太田川へ移動して知多バスを撮りましたが、知多バスは1台しか撮ることができず・・・時間が許せば常滑に行けばよかったんですが、時間的に太田川になったのが惜しいところでした。そのあとは名古屋市内に戻り、栄バスセンターで名鉄バスと市営バスを撮ってから名古屋を離脱、豊橋で豊鉄バス、静岡でしずてつバスをそれぞれ撮りながら東京へと戻りました。今は離脱してしまった八風バスの元三交いすゞ7E(KC-LV380L)の1208号車や名古屋市営バスのエルガミオ(KK-LR233J1)のNMS-9号車、この時が初撮影だったしずてつのブルーリボン(U-HT2MLAA)の静岡22き2839、たまたま特定輸送をしていた鯱バスの新型レインボー(2KG-KR290J3)の113号車などを記録出来ました。
行程:名古屋→四日市→桑名→太田川→名古屋(栄)→豊橋→静岡→東京
・4:軽井沢と碓氷峠、前橋を巡って
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写真は草軽交通の2018号車(左)と2038号車(右)です。2018号車は元東急コーチの三菱ふそうKC-MK219Fで、珍しい観光マスクの短尺エアロミディとして、東急時代のカラーのまま活躍しています。置き換えの早い軽井沢地区ではすでに珍しくなったKC規制車ですが、まだ元気に活躍を続けているようです。2038号車は元神奈中のPJ-MS86JPで、元東急グループの草軽交通では珍しく、グループ外から来たエアロバスです。草軽交通標準の東急リムジンカラーをベースとした塗装ですが、通常地が銀のところを白塗りになっており、屋根には神奈中時代の薄青が残るという折衷塗装。草軽としてもかなり珍しい車です。
この旅は一昨年の8月末、横川の鉄道文化むらに数人で連れ立って行こうとするも、結局誰も来れなくなり、1人で行動することになった旅でした。まず最初に東京から安中を目指し、安中でボルテックスアークを撮影、そこから横川に出て、バスで峠を越えました。軽井沢に着いたはいいものの、合流できるかもと言っていたメンバーが結局来れなくなり、一人で横川へ戻ることに。横川で文化むらには入らずに横を散策し、そのまま電車で高崎経由で前橋に出て、結局前橋でバスを撮って東京に戻りました。この旅では京阪バスでは2台しかいなかったうちの1台が来たボルテックスアークの日デRN系(KC-RN210CSN)の高崎200か134やかつて渋谷駅前で大量に見かけた元東急トランセ代官山ループのリエッセ(PB-RX6JFAA)の草軽交通2037号車、日本中央バスの日デRM系(KC-RM211GSN)のM-1050号車などを記録できました。
行程:東京→安中→軽井沢→横川→前橋→東京
・5:東武電車代替バスと宇都宮のバス
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写真は関東自動車の宇都宮200か790です。元大阪市営バスのいすゞU-LV870Lで、キュービックの試作フルワンステ車という珍車。この形式自体20台と生産されておらず、都営バスと大阪市営バスにしか入らなかったという超珍車で、その中でも前後扉は大阪市営に入った2台のみでした。都営バスの個体は放出されませんでしたが、大阪市営バスの個体は2台とも北関東に移籍(関東自動車と関鉄バス)、そのうち関鉄バスの個体は残念ながら除籍されましたが、関東自動車の個体は未だに現役を貫いています。先月頃から宇都宮のバスは相次いで後乗り化される流れがありますが、この車もしっかり後乗り化されており、まだまだ元気なようです。
この旅は普通に行けば宇都宮にバスを撮りに行くのが目的だったんですが、JRの運賃が高いということで、東武電車を迂回して行くことにしました。一昨年の10月ごろでしたが、当時は東武日光線の栗橋~栃木間が川の氾濫により被災したため運休となっており、結果的に代行バスを体験することになりました。北千住から東武電車で北上、代行バスは南栗橋から乗れたので栃木までバスに乗り、JRと東武両方が被災して泥だらけになり、当時の爪痕が色濃く残る栃木駅を見ながら東武宇都宮線に乗って宇都宮まで移動、バスでJR宇都宮駅前に行き、そこで撮影した後JRで東京に戻る旅でした。この旅では貴重な両開き中扉を持つ関東自動車の元京急キュービック(U-LV324N)の宇都宮200か644や貴重なワンステ試作車で、先月惜しくも除籍されてしまった元川崎市営のいすゞ7E(U-LV324K)の宇都宮200か834、全国的にも非常に貴重な三菱7E(KC-MP217K)の栃木22う1053、白河から古河を経てやってきたJRバスの国鉄バス復刻塗装の元東急新7E(KL-UA452KAN改)のL538-02503号車などを記録できました。
行程:東京→栗橋→栃木→宇都宮(東武)→宇都宮(JR)→東京
・6:SUNQパス全九州4日間の旅1日目~長崎編~
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写真は長崎県央バスの5E14号車です。元県営バスの三菱ふそうU-MP618MTで、トップドアに長距離塗装を纏った長距離仕様エアロスターMです。個人的に県営バスといえばこのイメージが昔からあり、この色が旧標準色と勘違いしていたというわけですが、生で見るとそのかっこよさに圧倒されます。県営バスグループ内では最古参グループですが、まだ諫早などに向かう路線で元気に走り回っています。なお、このグループではこの年式(平成5年式)のみ銀サッシメトロ窓を採用しています。
この旅は久しく行っていなかった九州に、初めてバスをメインに行った旅で、九州島内と下関の域内完結高速バスを含む路線バス50社局近くが乗り放題になるSUNQパスを使って長崎、熊本、宮崎、大分を訪問した旅でした。1日目は東京から飛行機で長崎へ入り、バスで新地バスセンターへと移動、市内電車で長崎駅前に向かい、ずっと駅前でロケハンをしました。最後は県営バスターミナルから熊本へと高速バスで向かい、熊本に宿をとりました。この時熊本まで乗ったバスが、高速バスとしてかなり古参のKC規制セレガだったのにはびっくりしました。この日は県営バスグループ最古参として先月まで活躍を続けた、5E14号車の1年先輩の県央バスのトップドアエアロスターM(U-MP618MT)の4E16号車や県営バスの一般車としては最古参級のエアロスターM(U-MP218M)の7E24号車、貴重な県営バスのU規制エアロバスミドルデッカ(U-MS826P)の5E31号車、長崎バスの急行色が凛々しい元急行車のキュービック(KC-LV280N)の2001号車などを記録できました。
行程:東京→長崎空港→長崎→熊本
・7:SUNQパス全九州4日間の旅2日目~熊本編~
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写真は九州産交バスの熊本200か885です。元西武バスの日産ディーゼルKC-UA460KAMで、全国的にも非常に貴重なKC-UA系のノンステ車の生き残りでした。九州地区のみならず、少なくとも営業ナンバーを付けた車としては、関東以西で最後の生き残りでしたが、一昨年運用から離脱、去年に除籍され、貴重なこの形式もまた1台減ってしまいました。
この日は朝からずっと熊本でした。前日にICレコーダーをバスの中に忘れたため、受け取りに産交バスの車庫に行き、戻ってきた後は通町筋や水道町周辺でロケハン、一度熊本空港に行きましたが、再び水道町に戻ってロケハンした後、熊本城に登り、最後は桜町バスターミナルから宮崎へと高速バスに乗って宿をとった宮崎へと向かいました。この日は一昨年惜しくも除籍されてしまった熊本都市バス最後の元都営バス都市新バスブルーリボン(U-HU2MLAA改)の熊本200か315や阪東バスから熊本バスに来た特殊塗装の7E車体のブルーリボン、通称日野富士(U-HT2MMAA)の熊本200か574、空港連絡用として残存していた貴重な産交バスのU規制セレガ(U-RU2FTAB)の熊本22か2791などを記録できました。
行程:熊本(市内)→産交バス西部車庫→熊本(市内)→熊本空港→熊本(市内)→宮崎
・8:SUNQパス全九州4日間の旅3日目~宮崎編~
P2070756
写真は宮崎交通の宮崎22か933です。定期観光バス用のいすゞU-LV771Rで、全国的にも非常に貴重な前期型スーパークルーザーのスーパーハイデッカ―でした。同年式同仕様車が乗合転用されたりする中で、観光車として貸切登録で生き残り、ファンから注目されていましたが、先日遂に除籍されてしまいました。
この日は朝から宮崎駅前で少し撮った後、宮交シティに移動、そこでロケハンしたのち都城へ高速バスで移動、都城でも撮影し、宮崎に戻ってまた宮崎駅前でロケハン、最後は高速バスで宿をとった大分へ移動しました。因みに都城から宮崎に戻る際、最初は宮交シティに行こうとしたのですが、帰りの高速バスが迂回するというので宮崎駅まで乗ったという経緯がありました。都城では行き帰りU規制のエアロバスとスペースアローということで、古参車が大量に在籍する宮崎の底力を見ました。この日は2台導入されたうち生き残った方の1台である日デの西工58MC(P-UA33L)の宮崎22か866や貴重なP規制キュービック(P-LV214M)の宮崎22か873、かなり貴重になってきた日デの西工92MC(KC-RA531RBN)の宮崎22か1102、三菱ふそうの蓄圧式ハイブリッドであるMBECS-Ⅱとして全国的にも貴重な、鹿児島交通の元都営バスのエアロスターM(KC-MP637K)の鹿児島200か943などを記録できました。
行程:宮崎(市内)→宮交シティ→都城→宮崎(市内)→大分
・9:SUNQパス全九州4日間の旅4日目~大分編~
P2070927
写真は大分バスの12676号車です。大分バスでは大量に在籍する日野U-HT2MLAAで、大分バス名物の日野富士の1台です。P規制も1台残りますが、これは残念ながら撮れず。ですが、U規制車は大量に撮ることができ、1台には乗車も叶いました。
この日は朝から府内城を訪問した後駅前に移ってただひたすら駅前でロケハン、少しバスに乗って歩いて戻るだけをしました。そのあとは空港に向かい、東京へと飛行機で帰りました。この日は大分バス唯一のチャボ(KC-RM211GSN)の22192号車や4台導入されるも早期に路線バスから引退し、3台が越後交通に移籍した残りの1台で、最近は教習車として運用されるノンステエアロスター(KC-MP747K)の42147号車、国東観光バスの貴重な新呉羽車体の短尺エアロミディ(U-MK117F)のKF627号車などを記録できました。
行程:大分(市内)→大分空港→東京
・10:冬コミ急行C97編
P2090007
写真は東京都交通局のN-L794号車です。都営バスでは最後まで残った日産ディーゼルKL-UA452KAN改で、都営バスのL代の中でも最後まで残った車、つまり、都営バス最後のKL規制車でした。都営バスではその年度で消滅予定の世代は2月ごろには全廃となる例が多いのですが、L代は令和元年度消滅予定だったにも関わらず年度越えを果たし、6月まで現役を続けました。末期はこの車が走るというだけで沿線にカメラを構えた人たちが集まるという人気車両でした。
この回はいつも通りのコミケ急行で、1日目、3日目、4日目のバス(参戦は夏と同じく3・4日目のみ)を撮影しました。上の写真のN-L794号車も連日動員され、KL規制車としては最後のコミケ急行を盛り上げました。結局現時点でこのコミケが最後になっているので(C99も延期が発表されましたし)、結果的にこれ以降コミケ急行を撮る機会がありません。仮にこのサークルも参加が決定していたC98が開催されていた場合、N-L794号車も充当されたんでしょうか。1日目は京橋一丁目交差点でのみ、3・4日目はビッグサイトでのみ撮影しました(3日目に関しては有明駅手前でも)。
この回ではグリーンアローズサボを掲出した都営バスのエルガ(QPG-LV234L3)のS-X280号車や前面窓下の黒塗りが凛々しいブルリⅡ(PKG-KV234L2)のS-R635号車、青海連絡バスの乗務員休憩用に来た中日臨海バスのリエッセ(PB-RX6JFAA)の品川230う7202、今は除籍されてしまった、ちばフラワーバス最後のシーサイドライナーカラーだったセレガR(KL-RU4FSEA)の6208号車、バスコレのモデルにもなった茨城交通のセレガR(KL-RU4FSEA)の水戸200か396などを記録できました。
行程:省略
・11:SUNQパス全九州3日間の旅1日目~宮崎編~
P2090935
写真は宮崎交通の宮崎22か703です。宮崎交通ではまだかなり大量に在籍する日産ディーゼルP-RM81Gですが、この車が恐らく全体でも6Eの現役最古参の車となります。宮崎交通の全在籍車で見ても最古参級の車で、昭和61年式の6Eの中でも特に古い車です。この後ろには宮崎22か825が続きます。こちらも宮崎交通ではまだ多数派の日野P-RR172BAですが、残念ながらこの車は去年の秋に除籍されてしまいました。とはいえ昭和63年式ということで、これも去年の写真ですが、令和も2年目になるのに昭和年式のバスが2台続いてやってくるという結構な光景です。こういうのは今でもよく見られる光景で、宮崎の街のすさまじさを感じます。
この旅はSUNQパスを使ってバスを見に行った旅の2回目で、今回は去年の2月頭に全九州3日間券を使い、宮崎、福岡、佐賀を回った旅でした。1日目のこの日は飛行機で宮崎へ飛び、バスで宮交シティに移動、ちょっと見たり翌日のバスの予約をした後に市内に移動し、あとはずっと撮影でした。この日乗ったバスは、成田まで電車で行ったのもあって、P規制車とU規制車しかないという状況でした。
この日は空港からまさかいきなり乗れると思わなかった昭和年式P規制スパクル(P-LV719R)の宮崎22か846や宮崎交通全体でも最古参級のジャーニーK(P-LR312J)の宮崎22か712、1台のみ生き残った観光タイプブルリ(P-RU638BB)の宮崎22か901、貸切車から転用されたセレガ(U-RU2FTAB)の宮崎22か1003などを記録できました。
行程:東京→宮崎空港→宮交シティ→宮崎(市内)
・12:SUNQパス全九州3日間の旅2日目~宮崎・北九州編~
P2100312
写真は西鉄バス北九州の1148号車です。西鉄バスではそれなりに多かったいすゞKC-LV380Nで、貴重になった58MCの生き残りでした。本体からは流石に全滅した58MCですが、北九州にはある程度の数が生き残ります。とはいえ、除籍が続いているのも事実で、この車も去年の春に除籍されてしまいました。小倉駅前で58MCが見られるのも今のうちですね。
2日目のこの日は朝から宮崎市内で野球キャンプシャトルバスを含めて撮影をし、そのあとは高速バスで天神へ、そのまま乗り継いで小倉へ向かい、撮影をした後市営バスを狙って黒崎へ行くもほとんど撮れず、結局JRに乗り換えて折尾へ移動、この日はJRのダイヤが大幅に乱れてはいたものの、それでもバスに乗るより速かったので、さすがに市内移動は電車だな、と悟りました。折尾でも撮影し、そのあとは小倉に戻ってそこから終車近い高速バスで福岡市内に戻りました。この日は野球キャンプシャトルに充当されたホークスラッピングのP規制7E(P-UA33N)の宮崎22か894や数いる宮崎交通の6Eの中では少数派のエアサス車(P-RM81GR)である宮崎22か910、西鉄グループでも最古参の西鉄バス北九州の日デの58MC(U-UA440LSN)の6661号車、当時は唯一乗合車で生き残り、今は他の車とともに貸切車になった北九州市営バスの7E(U-UA440LAN)の503号車などを記録できました。
行程:宮崎→小倉→黒崎→折尾→小倉→福岡
・13:SUNQパス全九州3日間の旅3日目~福岡・佐賀編~
P2100742
写真は昭和自動車の0994号車です。九州ではそれなりに多いいすゞKC-LR333Jの西工58MC架装車です。佐賀にも58MCがいるということでぜひ撮りたかった車でした。佐賀市内では恐らく最後まで残った58MCで、方向幕が残ったことでも注目された車でしたが、残念ながら去年の夏ごろに除籍されてしまい、これで佐賀市内から58MCが消滅したと思われます。
この日は朝から博多駅前でロケハンし、そのあと姪浜へ移動、姪浜タクシーや昭和バスを撮ったのちに天神に戻り、天神で少しロケハンしてからそろそろ乗りたかった西鉄電車を使って久留米へ移動。ここでまたロケハンし、天神に戻ってから高速バスで佐賀へ向かいロケハンをして、そのあと佐賀空港から東京へ帰りました。この日は元大阪市営の赤バスだった姪浜タクシーのポンチョ(SDG-HX9JLBE)の福岡230あ793や今は除籍されてしまったらしい西鉄バスのいすゞの初期96MC(KC-LV380N)の1209号車、まさか福岡ではなく久留米で撮るとは思わなかった復刻塗装の96MC(PKG-RA274MAN改)の9429号車、新潟輸送からの移籍車で昭和バスらしい自家用中古のような車だった、これも今はなき日デの8B(KC-RM250GSN)の0169号車、今では佐賀市営バスでも最古参級の日デチャボ(KC-RM211GAN)の718号車などを記録できました。
行程:福岡(博多)→姪浜→福岡(天神)→久留米→佐賀→佐賀空港→東京
・14:信州の鉄道とバス、城を巡る旅
P2110316
写真は千曲バスの長野200か606です。自家用中古の三菱ふそうKC-MK219Fで、上田では最後の方向幕車でした。短尺であることも手伝ってかなり目立つ車で、側面幕はありません。銀サッシ2段窓に中扉2枚折り戸は千曲バスのプロパー車でもそれなりに多い形態でしたが、さすがに短尺車は数が少なく、かなり注目される存在でした。この車も千曲バスでも屈指の古参車であったこともあってか、新呉羽車体車が1台生き残る中、去年の末に除籍されてしまいました。
この旅は去年の2月中頃に所用で長野県内に行った際、軽井沢を基点に付近を巡った旅でした。軽井沢から小諸へ移動し、バスを撮ろうとするも本数が極めて少なかったため、小諸城を歩いてそのまま上田へ移動、別所線の被災現場を見学した後上田城を訪れ、そのあとは上田駅前でロケハンをしてそのあと軽井沢へ戻りました。ずっと115系に乗った旅で、初期信州色やスカ色にも乗ることができました。この旅ではJRバス関東から移籍した草軽交通のエアロバス(KC-MS829P)の2022号車や別所線代替バスとして運用中だった上田バスの東急中古V8エルガ(KL-LV280L1改)のI-032号車、千曲バスでも数少ない22ナンバー車であるエアロミディ(KC-MK219J)の長野22あ2355、碓氷線で使われる長い車体が特徴のJRバス関東のトップドア96MC(KL-UA452TAN)のM538-04406号車などを記録できました。
行程:軽井沢→小諸→上田→軽井沢
上の14件の記事をあげる予定でした。バスが主体のものがほとんどだったとはいえ、鉄道的にも面白いものもちらほらあったのですが、如何せんそこまでの時間的余裕がなく・・・もったいないですが、こういう形で紹介するにとどめておきます。

さて、ずっと悩んでた懸案をとりあえず片づけました。
この記事も当初の投稿予定より2週間延びました。この先も時間はかかりますが、とりあえずちまちま書いていきます。
それではまた。
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かなり長く放置したこのシリーズもこれで完結です。長々と失礼しました。
それから、わかりやすさを上げるため、一部の記事のタイトルに訪問した場所を入れてます。順次増やしていく予定です。

さて、5日目はいつも通り近鉄奈良駅前でちょっと撮影。
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大阪空港交通のエアロエース、大阪200か2796が出てきました。駅横の細いとこですが、いつも白土線のバスが到着して折り返し待機する場所です。大阪空港交通もここで折り返すんでしょうか。
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前のエルガには教習車の表示が。貸切にしてもそうですが、ちゃんと鹿のマークが出るんですよね。
P2000889
HRロングの奈良200か153です。28番でロングはあんまり見かけない気がします。
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循環バスの前にはCOOL BUSと書かれたマグネットが。30年か40年ぐらい前の冷房車を推してた頃みたいな感じがします。
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23が来たので撮ったんですが、いい位置に注意喚起灯のポールが被りました。
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V8エルガの奈良200か275が曲がって行きます。普通のデンソークーラー装備車もいますね。これは近鉄バスでもそうです。
P2000893
344がやってきました。かなり短く見えます。
とりあえずこんなもんで撮影を切り上げ、電車に乗ります。
とりあえず西大寺まで出ます。
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この頃に話題になった、西大寺の誤乗防止と思われる京都行きに表示されるこのグラデーション。順当にラインカラーの黄色なようです。上にも確認しろという大きな表示があります。あ、そう言えば西大寺の駅リニューアルが大方終わったようで、今までとは見違えるような構内の写真が上がってました。何となくJRの奈良駅みたいな雰囲気もあります。例のテレビ画面が大量にあったあの場所はまだあるんでしょうか。
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分割編成表示のフルLのはまだ撮ってなかったので初記録です。これはフルLでもあんまり変わらない気も?
ここから急行で一気に南下します。
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昭和44年製の銘板があります。8000系の最終増備グループか8400系の初期車がこれに当たります。この時点で既に車齢半世紀ですが、近鉄はこのレベルがゴロゴロいるので全然珍しくないです。
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橿原神宮前に着くと12400系のNN03編成がいました。12200系と似た顔ですが、貫通扉周辺などに若干の違いがあります。
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乗ってきた急行の後ろには1233系のVE44編成かVE45編成だかが繋がってました。これの車内は近鉄一般車初のLCDモニタが設置されてるので、こういう風な表示が出ます。LCD車を見たのはこの時が初めてでした。1画面だけなので、広告は出ません。最近はLCD設置車も増えましたが、何故だか悉く阪神直通非対応の2連車ばっかりと、何かよくわからない法則です。
P2000905
ドア上の警告灯も設置されました。急に近代化が進んだ感じがします。でも普通に方向幕車です。
P2000906
側線には24系のモワ24が。24系をまともに撮ったのはこれが初めてです。前に走ってるのを見たときも南大阪線をクワ25が6200系のU11編成に引っ張られて走ってるとこだったんで、何か南大阪線検測に縁があるようです。
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南大阪線ののりばには吉野口のJRの時刻表が。掖上・玉手方面っていうのは何というか、何で高田・王寺方面にならずにただ隣とその隣の駅になったのかよくわかりません。反対側は普通に五条・橋本方面って書いてありますし。そう言えば、五条はなんか接続路線があるイメージがあるんですが、普通に未成線なんですよね。五新線というか、阪本線が分岐予定だったのが五条でした。
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特急が上下2本来ました。両方とも16000系、吉野行きはY09編成であべの橋行きはY08・Y51編成です。さて、ここから急行だと各駅に止まって時間がかかるので、吉野行きの特急に乗ります。
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昔の自分だったらこんなすっと特急課金しなかったんですけどね。やっぱ快適だし速いですよほんと。
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吉野口入線直前だと思います。横の線路は多分和歌山線。奥の山は山肌がむき出しです。
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相変わらずJR仕様の駅名表。地味にJRの方がラインカラーを駅名表に使うようになったので、JRじゃない方にJRのコーポレートカラー仕様が残るというあべこべなことに。
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吉野口で16200系SY01編成と交換です。こうして見ると何となく通勤車っぽさが残る感じがします。
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田んぼが夏らしく青々と実ってます。里山といった景色ですね。
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吉野川に沿って走りますが、豪雨からあんまり経ってなかったので、結構増水して濁流になってます。
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確か壺阪山だったと思いますが、駅前にRHの奈良22き633がいました。結構運用範囲が広いRHです。
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六田の留置線には6020系が3編成。C65編成、C33編成、C43編成です。C43編成の吉野方はモ6043で、C65編成のあべの橋方はク6143なので、何か同じ編成に見えます。
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さらに山に入っていきますが、割と吉野川と吉野線に沿って集落がずっと続くので、結構民家はずっと見えます。
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さて、前に鉄橋が見えてきました。これが有名な撮影地にもなっている上市の吉野川橋梁です。結構ここを渡る電車の写真はよく見るんですが、橋の全景と周辺の写真はあんまり見ないので、こういう感じになってるのかっていう感じです。
P2000943
そんな吉野川橋梁を渡るときの車窓がこんな感じ。川が結構増水してるので普段と違う車窓ではありますが。
さて、電車はそのまま終着の吉野へと滑り込みます。吉野地域を通る唯一の鉄道である近鉄吉野線、その終着地点のターミナル、奈良県最南端の鉄道は和歌山線になりますが、こっちの方がこの先に通じていない分最果て感があります。
P2000944
駅のあべの橋方はこんな風に屋根がなく、結構開放的な感じ。
P2000946
一方の車止め側にはターミナルらしく立派な上屋があります。
P2000947
改札側から見るとこんな感じ。乗ってきたY09編成とKipsカードラッピングが特徴的な6020系C49編成、そして16600系がいます。かなり屋根が高く、開放的な中に、のりば案内と発車標がぶら下がります。
P2000950
改札口です。ICカードは簡易改札機にタッチする方式で、自動改札はなく、手動改札方式が残ります。大手私鉄としてはかなり珍しいでしょうか。そう言えば、吉野線の飛鳥は全国で唯一大手私鉄の有料特急の止まる、村に所在する駅だそうです。というか、全国の大手私鉄の駅の中で唯一、村に所在する駅だそうです。
P2000951
駅を出るとケーブルのりばの標識が。ロープウェイなんですが、ケーブルという表記です。
P2000952
吉野駅舎です。駅舎も大きく立派なもの。春になると吉野千本桜を求めて観光客が押し寄せます。吉野線は春の吉野桜輸送でもってるので、それがなかった今年はほんとに厳しいらしいです。
P2000956
駅わきのかなり鬱蒼とした小径を進むと、ケーブルのりばの看板とちょっとした屋根、そしてその奥に小さな駅舎が見えます。
P2000957
ここが吉野山ロープウェイの千本口駅です。ロープウェイの駅としては割と標準的なつくりでしょうか。有人駅ですが、基本的に手前に置いてある簡易的な券売機で切符は買えるので、駅員は発券業務はほとんどしません。ここは運休日が設定されており、表示の通り火水木はバス代行となります。去年5月かららしく、この時はこれが始まってからまだ3か月ぐらいのタイミングだったようです。なお、火水木でも、祝日の場合はロープウェイの運行日になるようです。
P2000958
搬器の中はこんな感じ。ロープウェイとしては珍しく、搬器の中に段差があるタイプです。ここは昭和3年に開通した古いもので、支柱などは開通当時のものをそのまま使っています。他の場所は結構更新はされていますが、それでも半世紀以上は前のものばっかりで、システムもかなり原始的なため、古いタイプである搬器が階段状のタイプをそのまま採用しています。貴重なものであることから、平成24年度の機械遺産に指定されています。今の搬器は昭和41年製で、1号搬器のかえで号と2号搬器のさくら号が稼働します。今回はさくら号で。今はかえで号は紅葉をあしらった塗装、さくら号は桜をあしらった塗装ですが、かつては近鉄特急色でした。ただ、近鉄との資本関係があったことはありません。
P2000960
のりば番号は搬器の番号に対応します。
P2000961
駅の下には清流が流れます。吉野川は増水しても、ここまで来るとさすがに清いです。
さて、ロープウェイが動き出し、段々と高度が上がっていきます。古い搬器ですから当然空調なんてものはなく、曇ってはいても流石に夏ということで暑い。まあでも我慢できないって程ではないです。
P2000963
真ん中ぐらいでかえで号と交換。古い搬器でも、ポップで明るい塗装になって古さをあまり感じさせません。こういう古いのが新しい塗装纏ってるの好きなんですよね。旧塗装的なのも好きなんですが、旧型車は新塗装の方が好きだったりもします。
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吉野駅が見えます。ちょうどC49編成が出ていくのが見えます。立派な駅舎や上屋が見えます。
P2000965
さて、吉野山駅に着きました。こっち側にロープウェイの駆動関係はあるようです。駅名表はポップ体の簡易的な感じ。両脇には鏡と機械遺産の認定プレートがあります。
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吉野山駅に佇むさくら号。古風で武骨な駅にポップなカラーの古い搬器が結構なじみます。
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改札を出て、通路を抜けた先の駅前はこんな感じ。駅窓口自体はこっち側にあります。吉野山の玄関口なだけあって、かなり狭いスペースですが数軒の土産物屋が立ち並びます。
P2000968
ふと駅前の土産物屋のうちの1軒に目を向けると、奈良交通案内所の文字が。その壁からは奈交の吉野下千本のバス停表がかかります。かつてはここにも奈良交通の路線バスがあったんでしょうが、今はせいぜい観桜期間中に近鉄吉野駅から中千本公園まで臨時バスが出る程度で、これも下千本は経由しないので、これは完全に今は使ってないことになります。案内所も今はないんでしょうね。完全に土産物屋って感じでした。
P2000971
駅から延びる道はずっとこんな感じ。結構狭めです。ただ雰囲気はすごいありますね。横の旅館千本楼の看板の下、電話番号のカッコの中が1桁です。これは市外局番が5桁なためで、実はこれ現存しません。今はこの周辺は統合によって市外局番が0746と4桁になりました。県内では上北山村と下北山村のみ、07468の5桁が残ります。
P2000976
さて、1台のバスがやってきました。かなり古いローザ、奈良200あ77です。ダークグリーンとベージュグレーのツートンで、どこかの旅館の送迎のような雰囲気。でも営業ナンバーを付けています。実はこれが路線バス、吉野大峯ケーブル自動車の定期路線バスです。社名のケーブルにピンとくるでしょうか。そう、ここは吉野山ロープウェイの運営会社ですが、吉野山で路線バスも運行しています。吉野神宮から吉野山駅を経由して奥千本口までの1路線のみを運行します。30年ぐらい前には、古いトヨタ製といすゞ製のキャブオーバーバス(ボンネットバスを箱型車体にしたようなバスで、現在一般的なリアエンジンバスとは違い、最前部床下にエンジンを搭載したタイプです)を運行していたことでも有名です。昭和40年頃の車だったようで、当時で既に車齢が30年ほど経っており、ワンオーナーで奈2あナンバーをその当時まで残していたようです。現在はコースターとローザですが、そうやって聞くとただのマイクロバスで運行する地方路線と思いがちですが、実は両方とも恐らく20年は経っているタイプで、コースターは平成4年以降、平成13年以前のもの、ローザに至っては平成2年以降、平成7年以前のもので、恐らくは全車がU規制車と思われます。ローザなんかは下手をすればP規制車の可能性すら・・・マイクロバスになった現在でも物持ちが恐ろしくいいです。キャブオーバーバスのことを考えるとまだ10年は使いそうな感じすらします。
P2000977
幕はなく、側面にはラミネートで経路が表示されています。1路線しかないのでこれでもいいんでしょうね。
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側面社名表記の末尾にK・Kって書いてあるのが妙な古さを感じます。ローザは1台のみの保有っぽいので、今度はコースターを狙いにまた来たいところ。
さて、登ってきたさくら号でそのまま帰ります。
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この支柱が恐らくは開業当初からあるもの。トラス構造でかなりがっしりとした作りです。ロープが2本なのもロープウェイとしてもかなり原始的な構造です。
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少し下りて行くと、また吉野駅が見えてきました。
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対向のもみじ号とまたすれ違います。
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戻ってきました。高低差によって下の建屋の形状がよくわかります。
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千本口にもこのタイプの駅名表と機械遺産のプレートがあります。
駅前の土産物屋で土産を買い、吉野駅に戻ります。
P2000988
青の交響曲の残席案内がありました。この時点で昼の2時ぐらいのはずで、12時34分の電車はすでに行ってる、というか多分行きに吉野口で交換したのがそれなはずなんですが、なぜか残席あり表示。次の日の分でしょうか。
P2000989
のりばには6200系のU01編成がいました。6020系が大量にいるおかげでまだそれなりに新しいようなイメージもある6200系ですが、もう今年でデビュー46年なので、他所だと置き換わる頃に差し掛かってる車です。こっちじゃまだまだですね。
さて、ここから乗る特急は行きに乗ってきたY09編成の折り返し便です。
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吉野川を今度は左に見て進みます。
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最近じわじわと置き換えが進んできたパタパタですが、殊南大阪線系統となればまだ結構残ります。長野の幕式が消えた近鉄ですが、パタパタはまだありますね。
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南大阪線に入ってくると、平地に田んぼが点在する光景になります。すっかり下りてきました。
P2010002
尺土で御所線が合流します。複線で駅から出ますが、南大阪線と分岐するとすぐに単線にまとまるんですね。
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大阪府内に入って大和川です。ちょっと増水はしてますが、まだゆるめですかね。
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あべの橋に近づくにつれて、ハルカスが大きくなっていきます。やっぱり300mあるだけあって(周りに高い建物もないので独立峰ですし)、かなり遠くからでも見えます。
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さて、特急はあべの橋に到着しました。この内装もリニューアルでできたものだったと思います。
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折り返しはやっぱり吉野行き。この車は幕がないので、行先は未だにサボを窓内に掲出します。これもいつまで続くんだか・・・12200系は置き換わりますが、16000系は未だに置き換わる気配がないのでしばらくは安泰ですね。大鉄に譲渡された編成は南海6000系に置き換わりますが、あっちとは10年ぐらい世代差があるはずなので、まだマシでしょうか。そう言えば16000系初期車と南海6000系ってほぼ同世代では・・・まあ6000系は都合がよかったんでしょうね。
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例の古墳の広告です。これの装飾編成は未だに出会えてません。
天王寺から本町へと移動します。御堂筋線ですが、相変わらず乗った編成がわからないので保留です。
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本町にはこんなのが。バスコレ80とトレーンだったかのおもちゃ、バスラマのモデルを並べた展示がありました。ここはちょくちょくこういう廃品とかミニチュアの展示がありますね。淀屋橋だか心斎橋だかにもあったかな。
ここからは中央線でコスモスクエアへ。編成は保留です。
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この時はサマソニの開催時期が近かったので、こんな表示がありました。インテでなんかやるときなんかは結構中ふ頭とかにこういう表示がありますね。去年はあんな感じでしたし、今年もこういうのは無理そうですかね・・・ある程度やってるライブもあるんですが。
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駅前に出ると北港観光バスのなにわ200か1803が来ました。北港観光バスは大阪では大手の観光バス会社で、主に市内で送迎バスを運行したりしますが、いくつか路線バスやコミバスも運行します。社名の通り北港地区を中心に3路線、中之島と旭区のコミバス、現在は貸切専業になった日本城タクシーから平成28年に引き継いだ3路線を運行します。他に大阪駅からネスタリゾートまでの高速バスも運行しています。今は大阪シティバスの運行になった、IKEA鶴浜の送迎バスも、以前はここの運行でした。2日目に淀屋橋に寄ったのは中之島ループバスを見たかったっていうのもあったんですが、結局その日は運休日だったかで来ませんでした。最近エルガハイブリッドを除籍したようで、なかなかにとんでもないことをしでかすな、という印象です。1803号車は平成25年導入なようで、コスモスクエアから舞洲に行く路線(3番系統)の運行開始年と重なるので、もしかするとそのタイミングで入った車かもしれません。尤も、撮影時はコスモスクエア内循環路線(1番系統)の運行でした。
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この看板も市営時代から使ってる感じがします。民営化してから南港ポートタウン線っていう正式路線名がほぼ全く使われなくなった印象があるので、こういうとこに残ってるとちょっと嬉しくなります。そういえば、民営化以降見づらくなってた車内の路線図が元に戻ったとか。やっとかっていう感じがします。
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ついでにちょっと駅の周りを散策します。海釣りをする人たちとかランニングをする人たちなんかもいて、典型的な都市の海沿いっていう雰囲気です。ちょうど夕方でなかなかきれいでした。
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駅の表示にマルコマークが残ります。これはもう1年半以上前ですが、多分まだ残ってるでしょうね。交換されたって話は聞かないです。まあでもどうなんでしょうね、南森町の5号出入り口みたいに普通に交換された例もありますし。でもまあマルコなくすぐらいならとりあえずひげ文字なくすんでしょう。どこだったかな、肥後橋だったかな、ひげ文字なくした代わりに似たようなデザインを採用したっていうのがありました。
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このポスターなんですが、下の写真がCNGの西工KL-UA系というチョイス。いつの写真なんでしょうか。今や大阪でもこのタイプの残存車は大ガス送迎の日交ぐらいでしょうか。というか関西圏でそれだけ説。広電のももういなさそうです。仙台市営のも落ちましたし、他に国内富士急ぐらい?
さて、駅に戻ります。
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ここも旧仕様と新仕様の時刻表が混在する形。ただ、こういうのは結構交換の対象になってるようで、これも今はないかも・・・
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これも前からある感じですが、南港ポートタウン線の表示が目隠しで消されてます。何となく民営化初期にあった市バスの局章をガムテで隠したやつみたいな印象を受けます。
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夏で風鈴が釣り下がる方向指示看板も、中央線は路線記号を変えた程度ですが、ニュートラムは上から丸々覆い隠す、いわゆる野良サイン状態に。路線記号はあるもののニュートラムの表示はなく、電照式ながら光も通らないのでちょっと案内として後退してる感じがします。
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ここからは学研奈良登美ヶ丘行きです。近鉄7020系HL24編成はKIPSカードラッピング付き。最近白色LED化が進む近鉄のHL編成です。これで阿波座まで。
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阿波座にもありました。こういうのは交換しないですね。マルコマークの宝庫です。
ここから千日前線で西長堀へ。
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相変わらず西長堀にもあります。長堀鶴見緑地線のは地が黄緑なので黒文字ですが、どうにも黄色に見えます。
ここから長堀鶴見緑地線で長堀橋へ。長堀橋では少々ロケハンです。当時運行開始したばかりの80系8531Fを狙ったんですが・・・結論から言うと来ませんでした。
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70系未更新車の7175Fがやってきました。最近は未更新車を見ることも少なくなったと思います。この当時よりさらに減ってますからね。因みにこの編成は70系のラストナンバーです。
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これ、門真南の上に何か貼られてたっぽいんですが、多分鶴見緑地方面って貼られてたんだと思います。鶴見緑地~門真南が開業する直前に、門真南に対応したものに交換して、開業まで張り紙対応でしのいだ名残なんじゃないかと。しかし20年以上経ってもよく残ってますね。
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黒の駅番号を使ってるからか、なんか近代的に見えるんですが、これでも普通に更新前のサインで、マルコマークを路線記号で隠した後もあります。
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更新車の7113Fが来ました。この編成は平成2年の1次開業時に製造された13編成のラストナンバーですが、リニューアルを最初に受けた編成でもあります。そして特筆すべきはこの大正方先頭車の7113号車。実はこの車両のみ昭和63年製で、南港にあった実験線を走行する試作編成のうちの1両でした。当時の車番は7691号車で、4両のうち2両をリニアモーター、もう2両をロータリーモーターとしたうちのロータリーモーターになった先頭車でした。結局リニアモーターが採用され、量産編成に組み込むときにリニアモーターに改造されました。残りの3両のうち、リニアモーターの2両は7111Fに、ロータリーモーターのもう1両は7112Fに編入されて、全編成リニューアル済みです。
P2010038
こっちは1次車の7107Fです。1次車は全編成がリニューアルを終えてます。
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未更新車の7123Fです。2次開業区間の心斎橋~京橋間開業時に増備された編成の最終編成です。
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セカンドナンバーの7102Fです。
P2010044
こっちは未更新車の7118F。現状ここから全編成が未更新な様子。
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ピンクリニューアルの7108Fが来ました。時期によって内容が違うので、こういうのも出ます。
P2010047
未更新車の7120Fです。
そろそろ時間がないので切り上げて長堀橋を後にします。この時思ったのが、長堀橋ってかなり利用客多いんですよね。インバウンドのせいもあってか、ずっとエスカレーターに向かう列が続く感じ。車内もずっと混雑したままで、これはちょっと、4両じゃ輸送力不足じゃないかねと思いました。確か駅設備自体は8両まで対応してるはずですし、何とかして増結考えた方がいいと思います。関係はないですけど、ゆいレールも3両化決まりましたしね。ちょっとこのご時世、インバウンドがない分微妙ですけど、増結は視野に入れた方がよさそうです。
ここから堺筋線です。阪急1300系1301F、古都ラッピングに当たりました。
P2010049
車内にはラッピングの紹介も。こういうとこ阪急っていう感じがします。
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恵美須町で降りたついでに発車したとこの写真も撮ります。準急でした。
この後は例のごとく日本橋を歩いた後、なんばから近鉄で奈良へ。夕食をとり、そのまま東京へ戻るために特急に乗ります。
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向こうには尼崎行き快急が。そういうのが走る時間帯です。
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隣に入ってきた特急が、22000系トップナンバーのAL01編成でした。
この後は京都からのぞみ62号に乗って東京まで戻りました。

さて、まず最初に、1年近く放置したことをお詫び申し上げます。あの時に既に放置しすぎでしたが、そこからさらに放置し、気づいたら年度を超して、自分も社会人2年目に・・・後輩も卒業生が出始め、さすがにまずいと思って再開した次第です。そもそも書くと言っておきながら、途中で書くのをやめたまま時が過ぎ、この記事も去年の6月投稿予定だったのにずっと放置する体たらく。とりあえずこのシリーズはやっとこれで完結なのでいいですが、この先投稿予定だった記事の計画を発表します。この先まだ結構投稿予定があったわけですが、そのうち一昨年の合宿、一昨年のお疲れ様旅行、去年の帰省以外の記事は書かないことにします。これを全部書いてしまうと、いつ終わるかわからん上に、ほとんどバス記事と化すので、バス好きが本格的に会からいなくなろうとしてるタイミングで投稿したところで無駄なんですよね。なので、その辺は上げない代わりに、ダイジェストで、上げる予定だった記事の中から1枚ずつの写真を紹介する記事を1つ上げます。それと、1つことわりますが、合宿記事がかなり個人行動したせいで結構なバス記事となります。ただ、合宿の名目があるので上げさせていただきます。
というわけで、今後の計画を発表させていただきましたので、今後はこれに沿って投稿していきます。新年度が始まり、このご時世の中思うように勧誘もできない中で、少しでもOBの立場から力になれればなと思います。
それではまた。
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溜めてた分掃くために書きます。
これが終わらないと正式にブログ担当から卒業できません。
あ、エアコミケお疲れさまでした。 1日目は暇な時間はずっとホロライブのホロコミを見てました。
なんか期間中ずっといつも通りなのにちょっとお祭り気分でそわそわしてました。
ホロのコミケセットも色んなサークルの新刊も買いました。

さて本編です。
4日目はまあバスですね、いつも通り(?)。
出発前にJR奈良駅前から近鉄駅前で撮影です。
P2000629
ブルシチの奈良200か136が東口ロータリーから出てきました。平成12年式の最初期型で、尺が短めの車です。
西口に移動します。
P2000630
KC-HUワンステの奈良200か23とKC-LTの奈良22き573が並びます。2台とも前にもブログで取り上げたと思います。573も1台のみながらしぶとく浄瑠璃寺急行に入り続けてます。
P2000633
ワンステキュービックの奈良22き656が来ました。奈良交通のキュービックでは多数派の長尺ワンステ車です。
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573の後ろにはCNGエルガミオの奈良200か405が。全国各地で天然ガスのボンベが使用期限を迎え、どんどんCNGバスが引退する中、奈良交通では唯一のCNG車であったエルガミオのグループも、先だって遂に引退してしまい、この車も除籍されてしまいました。これで今残るCNGエルガミオは山梨交通とおのみちバスぐらいでしょうか。いや、おのみちのは日野なので、エルガミオで言うと本格的に山梨のみかもしれません。とはいえ、日野もおのみちぐらいにしかいないので、そっちはそっちで見たいんですけどね。
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656がロータリ―を回って出てきました。
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ブルーリボンⅡの奈良200か853が入ってきました。
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ぐるっとバス用の赤いポンチョ、奈良200か821が出てきました。
ここからまた東口側に出て、大宮通を東に進みます。
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ブルシチの奈良200か344です。デンソークーラーが真ん中に載った、ワンステ車としてはかなり標準的といえる仕様。
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市内循環用のブルーリボンⅡの奈良200か722は高畑町行きに入ります。
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一方こっちは普通に市内循環に入るエルガハイブリッドの奈良200か896です。なぜかこの車はクーラーまで黄色いです。ハイブリッド表記の位置や大きさも違うので、初期の車はこういう仕様なんでしょうか。
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こっちも短めのブルシチ、奈良200か193ですが、クーラーがデンソー製の薄型。奈交のブルシチはバリエーションが豊富です。
P2000642
ブルーリボンⅡの奈良200か682です。
P2000643
ブルシチの奈良200か361は長めのデンソークーラー車。
P2000644
HRチョロQの奈良200か214です。
P2000645
レインボーⅡの奈良200か704も来ました。
P2000646
新型エルガの奈良200か1161です。
P2000647
デンソークーラー装備のブルシチ、奈良200か341です。
P2000648
こっちは新型エルガの奈良200か1050。
P2000649
ここで、西口で待機中だった573が運用に入りました。
P2000650
ぐるっとバスの赤いポンチョ、奈良200か832も来ました。
P2000651
市内循環用の新型ブルハイ、奈良200か1107です。
P2000652
セレガの奈良200か592は相変わらずの空港リムジンに。
P2000653
浄瑠璃寺急行に入るエルガミオの奈良200か947。この路線は573以外はほとんどエルガミオです。
P2000654
ワンステブルリの奈良22き593です。
P2000655
ぐるっとバスの青のエルガミオ、奈良200か826です。
P2000656
HRロングの奈良200か261も来ました。HRはまだ初期ノンステ車のグループなため、大きなノンステップバス表記が目立ちます。
P2000657
市内循環用のエルハイ、奈良200か1037です。エルハイ特有の非公式側最後列窓部がよくわかります。
P2000658
奈良200か707はレインボーⅡ、奈良駅付近ではあまり見ない北大和営業所の車です。
P2000660
新型エルガの奈良200か1086です。
P2000661
奈良200か261はHRロング。
P2000662
奈良200か979は新型エルガです。キュービックから続く伝統の長尺車。
P2000663
ブルーリボンⅡの奈良200か881が来ました。
P2000664
V8エルガの奈良200か187が来ました。ワンステ車で、近鉄グループらしいデンソー薄型クーラー装備車です(写真の角度からだとよくわかりませんが)。奈交ではブルシチが多く、V8エルガは少ないので、結構こうして狙ってみないと、特に奈良駅周辺ではなかなか遭遇しません。
P2000665
新型エルガの奈良200か1105も来ました。
P2000666
続いてエルガの奈良200か770。
P2000667
HRチョロQの奈良200か321です。あんまり9m車を見かけないので両極端です。
P2000668
市内循環用のエルハイ、奈良200か963です。
P2000669
214が戻ってきました。
P2000670
こっちは136。
P2000671
市内循環用エルハイの奈良200か964が続きます。
P2000672
新型エルガの奈良200か1100です。
P2000673
こっちは新型エルガの奈良200か1103。
P2000674
続いてブルーリボンⅡの奈良200か661。
P2000675
さらにブルーリボンⅡの奈良200か853が続きます。
P2000676
こっちはぐるっとバスの青いエルガミオ、奈良200か822です。ナンバーはご当地ナンバー。
P2000677
ワンステエルガの奈良200か507が来ました。市内に来るエルガはノンステ車が多いので、中扉4枚折り戸のワンステ車はあんまり見ません。
P2000678
レインボーⅡの奈良200か701です。
P2000679
HRロングの奈良200か153。
P2000680
321が戻ってきました。19番の終着、杏中町は、住宅街からも大きな道路からも少し外れた、ちょっと田んぼがある辺りにぽつんといきなり現れるバス停で、前に近くを通った時に急にバスが1台止まってるのに出くわしてびっくりした思い出があります。
P2000681
市内循環用新型ブルハイの奈良200か1106です。
P2000682
979が戻ってきたところでそろそろ撮影を切り上げて電車に乗ります。
ここで乗ったのは多分9820系の快急だと思うんですが、この時記録したデバイスが操作不能になって記録を見ることができないのでとりあえず仮にしときます。
P2000683
とりあえず三宮まで乗りとおし、電車を降りると6000系の直特が。一時期直特から外れてた6000系ですが、結局そのあと割とそんなに経たずに復帰してましたね。
P2000684
この路線図ももう梅田と鳴尾の駅名変更に対応してるのかな、と思いきや、鳴尾はステッカーが貼られた形跡がないので、なんか別の理由っぽいですね。まあ改正があって、区急が青木までになったりしてこれも見られはしなくなったので良しとしましょう。
P2000685
何となく8000系を見送ります。特に変なとこはないです。
P2000686
これに写る各車もなんやかんやで近鉄の幌枠設置とJRの転落防止柵取り付け以外は特に変わってないですね。
P2000687
と、梅田行きで5001Fが来ました。つい先だって武庫川線の赤胴車が消えましたが、5001形にもそろそろ離脱編成が出てきてるようで、置き換えもそろそろ本格化しそうです。もう最後が決まってますし。
さて、そろそろ駅を出ます。
P2000688
適当にエスカレーターを上がって地上に出ると、三宮センタービル向かいの空港リムジンのりば前に出ました。大阪空港交通のエアロエース、大阪200か3345が発車待ち中でした。
P2000689
駅前の歩道橋に上がると、三宮と六甲アイランドの間を結ぶサブローバスにて運行中の、日本交通の新型エルガ、677号車がいました。鳥取で一般路線バスを運行する日本交通ですが、子会社の日交シティバスが運行する神戸周辺の路線バスの車両もどうやら保有するようです。ただ、これも正直日交シティバスが表記だけ日本交通にした可能性もあるので何とも言えないです。
P2000690
続いてやってきたのはこれもサブローバスにて運行中の日本交通のエルガミオ、680号車です。こっちはKK規制車で、ワンステの中扉4枚折り戸、メトロ窓に車内はリクライニングシートを採用した特定車っぽい仕様。以前は689号車を名乗ったようですが、登録ナンバーはその当時から同一。出所がいまいちよくわからない個体なようです。
P2000691
国道2号から県道21号を阪神バスの新型エアロスター、611号車が走ってきました。向こうにはポートライナーの姿も見えます。
P2000693
その後ろをついてきたのは神戸市営のワンステエルガ、中491号車です。
さて、JRの駅の方へ向かいます。
P2000694
ここは2か所バスターミナルがあって、主に神姫バスの高速バスが発着する神姫バス神戸三宮バスターミナルと、主にJRバスの高速バスが発着する三宮バスターミナルに分かれます。市営バスや神姫バス、阪神バス、サブローバスなどの一般路線バスはまた違う場所にものりばがあったりします。
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市営バスのワンステエルガ、中489号車が来ました。ここに入ってくる市営バスは結構ワンステ路線が多いです。山越えとか登山路線が多いんでしょうね。こんな地形なので、昔はここの局には軒並み高出力車がいました。
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さて、ここからさらに線路に沿って進みます。
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こっちが神姫バスターミナル。ずらっと並ぶ白地にオレンジと黄色の帯の高速バス。
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発着案内が出ます。一般バスとの表記ですが、これも使う車自体は高速車です。所謂快速バスとかですね。
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サイネージにエアロスターの広告が。さすがは三菱の導入が多い神姫バス。代理店なのかもしれません。
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さて、ここから乗るのは一番上にある13:40発の洲本BC行き。8番のりばは一番奥です。
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ターミナルを一番奥まで進み、その壁にあるこの案内器。1列目がいわゆる高速バスの発着するのりば、2列目がいわゆる一般バスが発着するのりばで、2列目は10番台ののりば番号が振ってあります。
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側面にはハーバーライナーのロゴ。主に神戸発着の近距離高速バス用の車に貼られるマークです。
乗るのは8330号車、平成29年式とまだまだ新しいセレガです。ただ、登録までに少しブランクがあったようで、登録自体は平成30年に入ってからなようです。
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東京だと日の丸自動車興業が運行するスカイバスですが、神戸では神姫バスが運行を受託するため、こんなステッカーが車内に貼り出されます。
さて、座席は定員制なので自由席、何となく空席を見つけて座り、ほどなくしてバスは発車します。
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バスターミナルを出ると、県道21号には出ずにそのまま国道2号を直進します。対向には神姫バスのエアロスターと徳島バスと思われるエアロバスがいます。
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今度は全但バスのエアロエース、3231号車と並びます。
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西日本JRバスのエアロバス、644-3975号車の後ろをついて曲がります。平成15年式のかなりベテランです。
そのまま生田川ICから阪神高速3号神戸線に乗ります。P2000718
ほどなくしてポートライナーと出会います。交差して若干並走します。
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須磨のあたりでは一度内陸に入ります。神戸らしいすぐ変わる地形が楽しめます。
この後は名谷JCTから垂水ICを経由して一気に海側へ。垂水を通過した直後にすぐ長いトンネルに入ります。
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トンネルを出るともう既に目の前に聳え立つ明石海峡大橋の橋桁。
この手前に舞子のバスストップがあります。ここに止まって乗客が増えます。流石に乗車専用です。
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反対側に本四海峡バスの西工02MC、502号車がいました。平成17年式の日デKL-RAで、同社でもかなりの古参。正直本四海峡にこんなのがまだ残ってるとは思ってなかったのでびっくりしました。もうちょいまともなのが撮りたい。
さて、バスは高速舞子を出て、いよいよ明石海峡へ。
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ものの数分で淡路島に上陸。2枚目の写真には、拡大するとわかる程度ですが阪神電車も写ってます。
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神戸淡路鳴門道をどんどん進みます。島の北の方は山がちなので、しばらくこんな景色が続きます。
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ちょっと進むと島の反対側に出るので、右側車窓からも海を望めるようになります。阪急バスのエアロエースとすれ違います。
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今度はしばらく右側に海を見ながら走ります。
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徳島バスやJR四国バス、四国高速バスなどが休む室津PAを右に見ると、ほどなくしてまた島の反対側に戻るため山の中へ。
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手前の尾崎から遠くの江井までを望みながら島の北側に別れを告げて内陸へ。
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津名一宮ICで神戸淡路鳴門道を下り、一般道へ入ります。並走で下りてきたみなと観光バスのエアロエースは津名一宮にバスストップがあるので止まりますが、こっちは止まりません。そのまま淡路市の中心となる町、津名へ直行します。因みにみなと観光バスという会社は2社あり、よりによって神戸と淡路にそれぞれ所在します。しかも神戸の方は日交シティバスと共同でサブローバスを運行し、淡路の方は神戸と淡路を結ぶ高速バスを運行するので、両者のバスが三宮で顔を合わせるのも日常茶飯事。しかも淡路の方の事業者の運行する高速バスはかつて日交シティバスとの共同運行で、みなと観光バスの単独運行となった今でも、神戸側での発券業務は日本交通が担当するとのこと。その関係からか、側面のロゴは日本交通のグループっぽい感じですが、資本関係はありません。もちろん2社のみなと観光バスの間にも資本関係は一切なし。ややこしすぎる・・・
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さて、バスは県道66号をひたすら臨海部に向けて走ります。この辺りは妙に池がありますが、香川県内と同じように水が確保しづらいための溜池なんでしょうか。
やがて視界は開け、淡路市中心部に出ます。津名大橋を渡り、一瞬だけ市役所のある生穂新島を通りますが、止まらずにそのまま淡路島本島に戻ります。P2000779
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運河を渡って津名港のフェリーターミナルに寄り、そのまま西に進みます。P2000781
津名ワールドブリッジで宝珠川を渡り、バスはいよいよ目的地へ。
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次停留所案内に出ました、志筑です。少し国道28号を走り、そのまま海側に少し出た道に入っていよいよバスは止まります。
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到着しました、志筑バス停。バス停の位置は若干町の中心から外れます。志筑と津名は隣町ですが、正直1つの町といってもいいほど隣接します。バスはこの先洲本BCまで行くので、この先に走り去っていきます。
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ちょっと近くをうろつきます。昼の3時前だったんですが、昼を食べておらず、とにかく昼飯を調達するために店を探しました。しかし近くに店はほとんどなく、あるのはイオンとファミマ、ケーキ屋ぐらい。というかその辺で買ってくりゃよかったものを、時間が足りないと思い、結局何も買わず。空腹を感じたままバス停に戻りました。ほんとは中に入って食べるとこもあったんですが、それは時間も足りないので、テイクアウトをしようと思ったわけです。
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バス停のポールです。高速バスは各社共通のもの、そこに各々の一般路線のポールが立ちます。
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因みにバス停周辺はこんな感じ。向こうに見える銀色の蛇腹のような建物は、淡路地域では最大の音楽ホールであるしづかホールです。
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本四海峡バスのローザ、神戸200あ435が来ました。志筑に来たのはこれが目的です。本四海峡バスはその社名の通り、本四間の高速バスを神戸淡路鳴門道経由で運行する事業者ですが、一般路線バスも1路線のみ運行します。それがここ志筑を発着する鮎原線で、使われている車はローザのみ。そもそもこの路線は本四海峡バスのものではなく、元は島内の他路線と同じく、淡路交通が運行する路線でした。それが採算の問題で子会社の淡路タクシーに移管。このローザは淡路タクシー時代に導入されたものです。その後さらに淡路タクシーから本四海峡バスに移管されて現在の姿になりました。
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側面には大きなサボのようなステッカーなのかマグネットなのかが貼ってあります。車体のカラーは同社の高速バスと同じです。
さて、目的を達成したところで帰りのバスに乗るために津名港に歩いて向かいます。
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志筑中央東交差点です。向こうはもう海なので、高い建物もなく、広い空が広がります。
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本四海峡バスのエアロエース、M1102号車が来ました。
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淡路交通のセレガ、神戸200か5226は志筑のバス停を経由せず、国道28号をそのまま走る路線に入ります。
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志筑バス停を三宮方面に出るのは神姫バスのエアロエース、5635号車です。
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津名港のターミナルに入る道への分岐にこんな看板があります。
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宝珠川河口から海を望みます。向こうに見えるのは志筑新島から延びる防波堤です。
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川沿いには半分自然に還りかけた公園が。人が来ることもあるようですが、かなり荒れた印象を受けます。
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港の横はヤシ並木がありますが、ここにもかなり背の高い草が繁茂します。
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相当暑い思いをしながら津名港に到着。この日はカンカン照りだったのもあってものすごい暑さでした。
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ついでにターミナルを見て回ります。割と釣り人がいました。
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さて、港の旅客ターミナルなので、土産物屋などあるかと思ったんですが、それっぽいとこは全部休業、自販機しかないような状態で、とりあえず少しでも腹にためるため、缶のカフェオレを買って飲みます。バスの切符をとりあえず買い、土産物屋の場所を尋ねると、山側にある宿泊施設に行かないとないとのこと。自転車を貸してもらう手もありましたが、往復20分はかかると聞き、バスの時間まで残り30分という状況では難しいため断念。結局ここで帰りのバスを待つことに。しかも中は冷房がないため、扇風機が数台稼働するところで涼をとることに。
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淡路交通のエルガ、神戸200か4424が来ました。淡路島全島に路線網を広げる淡路交通、地方事業者としては割と珍しい、それなりに大型主体の事業者です。そしてなんといってもその特徴は、導入した車をわずか数年で廃車にし、国際興業などの大手事業者にすら中古車を送り込む、首都圏でも特に置き換えの早い西武バスも顔負けのことをやってのけることです。宇野バスとともに、廃車が極端に早いことで昔から有名で、一時期宇野バスは古参車が20年以上生き残ったことがありましたが、淡路交通はそのような時期はほぼなく、一貫して極端な新車志向を貫きます。もっとも、この間までKL規制の2扉エアロバスが1台生き残りましたが。中扉付きエアロバスというのもここのみの存在でした。
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同じく淡路交通のエルガ、神戸200か4628も来ました。
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ターミナルの柱には猪出没注意の張り紙がありました。油断すると建物の中まで入ってくるようです。
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さて、山陽バスのセレガ、28号車が来ました。学園都市行きです。これに舞子まで乗ります。
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淡路市役所の近くには淡路交通の津名出張所があります。セレガとエルガが並びます。
津名一宮から神戸淡路鳴門道に乗り、今度は神戸に向けて北上します。
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内陸部は山がちで高低差が激しいので、こういう風な棚田が結構多くあります。
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東浦ICを過ぎると、右側車窓に2本の大きな鉄塔が見えます。これはラジオ関西の淡路送信所で、淡路地域のみならず、関西一円に電波を飛ばしています。かつて島の北の端である岩屋にあった旧送信所が明石海峡大橋の建設に伴って電波障害が発生することを見込み、ここに新しい通信所が建設されました。国内でも有数の大規模なラジオ送信所で、電波強度も桁違い、名古屋や広島でも聴けることがあるとのこと。
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淡路送信所の横を過ぎるとすぐに東経135度の子午線上を通過します。下り線からはちょっと距離があるので、上り線からの方がよく見えるオブジェです。
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淡路ICまで来ると、対岸の神戸の街並みがよく見えてきます。うっすらとビル群も見えますね。
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バスは淡路SAのバス停に止まります。淡路SA名物の観覧車が聳え立ちます。対向のJR四国バスのセレガは颯爽と通過していきました。
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いよいよ明石海峡大橋が見えてきました。本州に戻ります。
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またものの数分で神戸側に到着。橋の上で本四海峡バスのエアロエース、M1103号車とすれ違います。
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高速舞子BSには伊予鉄のセレガがいました。これから松山に向かうんでしょうか。
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さて、舞子でバスを降ります。結構ここで降りる人が多いですね。この便は三宮に向かわず、そのまま学園都市に向かうので、ここで結構電車に乗り換える人が多いようです。
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階段で降りると、橋の下にこのようなスペースがあります。これでも結構な高さにあり、ここからエスカレーターで一気に地上へ下ります。
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橋のトラスの間から明石海峡と淡路島、海峡を抜ける船を眺めます。ちょうど夕日に輝く瀬戸内海がきれいです。
もう夕方ですが、まだ昼食をとってなかったので、駅のスーパーで適当にパック寿司を買って食べました
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ロータリ―を神戸市営のV8エルガ、西256号車が出ていくのが見えました。このぐらいのKL末期世代のV8エルガは市営でも一大勢力を築くので、結構市内各地でよく見る存在です。
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JRの駅から山陽バスのV8エルガ、1310A号車がいました。山陽バスの平成15年式はこの車が現存唯一で、山陽バスではいよいよ現役最古参車、V8エルガもいよいよ山陽バスで残り3台となりました。もう2台は平成17年式で、この年式ではデンソークーラーを採用したので、ゼクセルクーラーを装備した車はいよいよ最後の1台に。PJ規制車どころか次のPKG規制車すら帝産湖南交通に移籍車が出る中、この車もいつまで現役を続けるか全くわからない1台です。
ここから快速で三ノ宮へ。編成はわかり次第書き足します。
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新長田から兵庫あたりでやっぱり新快速に抜かされます。
三宮からは阪神電車に乗り換え。
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1026系VH27編成です。阪神なんば線開業10周年装飾付き。先だって10周年イベントが終わり、10周年記念のツイッターアカウントも終了しました。
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山陽電車5000系の5606Fが直特で来ました。高校野球副表はこの時期ならではですね。今年は残念ながら見られなさそうでしょうか。
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VH27編成は戸袋部に装飾があります。近鉄は結構こういうタイプの装飾が多いです。
さて、これに乗って一路奈良へ。
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奈良に着くと9020系EE21編成がいました。シリーズ21のフルカラーLED化は9020系にも波及し、トップナンバーも交換されました。これが初めてまともに撮ったシリーズ21のフルカラー車です。

さて、牛歩ですが、着実に記事はつぶしていきます。
まだいっぱいありますからね。
5日目に続きます。
それではまた。
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